0 その世界に神はいなかった。
その世界に神はいなかった。
民話、童話、歴史書、どれを見返しても神たる存在を示す「ことば」はなく、大きく変貌してしまった今の世界から見ればいささか漠々とする物足りなさを覚える様な世界の有様を感じさせられた。「ことば」が存在を有らしめるという考え方こそは文明や文語の関係性を考察する者たちにとってはそれなりに確立した考え方ではあったのだが、その世界においてはそもそも人間を取り巻く衣食住以外を強く指示す言葉はそう多くはなかった。水をお湯と呼ぶのは自然だが、自然や当時の彼らの見解で証明できない物事を神やそれに類似する、いわゆる神秘的な存在の不可思議な力を結びつけるという考え方は長い間生まれることはなかったのだ。
その世界の技術力を我々の視点から覘いてみるとすれば、さすがに科学万能たる現代から見ればまだまだ途上の範疇にある世界観となるだろう。当然、文明が生まれてからそれこそ「長い間」が過ぎているため、人々が集団を組織して灌漑工事に熱を上げている頃とは少し違う。国家は乱立し、日々群雄割拠の様で多くの場面で対立し、血で血を洗う、と言ったような生々しくも現実的で人間らしい戦い方を繰り広げていた。戦争の大半がまだまだ汎用的なロングソードや弓矢の使用が主流であったが、火薬の燃焼ガスの圧力で金属弾を弾き飛ばす武器「銃」もある程度の歴史を持っており、戦場では回転式拳銃や騎乗での使用を想定したカービン銃などの運用が多く、富裕者の間では狩りに使用されることもあった。また鋳造技術のラインも一定的な安定性を持っていたために大砲の生産や戦時利用も行われていた。
そんなある程度の政治的関連性や軍事的バランス、歴史、文化が成り立っていた世界において、とある詩人がなんとも当時の者たちでは不可解極まりない謎の存在の「存在」を訴えた。いや、詩人は訴えていない。各地を浮浪者や旅人のようにして彷徨い、唄い、その魅惑の旋律のうちに潜むメッセージを世界中に残した。
ハープ片手に各国の王宮や宮殿を渡り歩いたその詩人の存在には未だ謎が多く、その詩人がそもそも一人であったのかどうかという疑問も沸いたほどだった。なぜならばその詩人にまつわる多くの文献、記録が各国には脈々と受け継がれており、諸説を絶やさない歴史人たちの注意はもはや手が付けられなレベルにまで達している。
そう、その詩人が当時、その大陸中に残していったメロディ・リズムの中に神は生まれたのだ。人がその「ことば」の中でなにを受け取り、また夢想するのかをまるで知っていたかのように、最初から手の平で転がすつもりだったとでも言いたげなさまで世界は動き始めた。戦争時、技術レベルが人を傷つける品の強化に向けられていたことも原因にあったのかもしれない。感受性豊かな一般民たちの暇潰しに、ちょうどそこらの空き地で語らっていれば稀につむじ風が起こる。
さぁ、あれはなんだろう。
戦争があるとはいえ、まだまだ民間人が殺し合いに参加するような時世ではなかった。たとえ職を持っていたとしても、時間の余剰を持つ者は多かっただろう。酒の肴のついでに、先日まで続いた連続降雨の話でもする。
さぁ、あれはなんだったのだろう。
静かな海に魚の大量死体が浮いている。
さぁ、あれはなんだろう。
月がいつもより赤く見える。
さぁあれはなんだろう。
詩人は不思議に不思議を与える力を与えた。それを解決できない者たちにとって、また、それを解決したいと思う者たちにとって、都合の良い終着点なら既にあった。自分らに都合の良いこと、悪いこと。不思議なこと、恐ろしいこと。それらは人間の意志でどうこうなっているのではないのかもしれない。じゃあ、誰が。そこまで膨らんだ意識と認識の不和を埋め合わせる存在を人は自然と受け止めていった。
乾いたスポンジ、以上の吸収力だった。
人々が神の存在を信じれば、それだけ神の意志を説いたり、考えをまとめたりする存在が必要となる。誰もかれもが自分らのうちに潜む神をあがめて分断されるより、ある一定のグループでまとめあげ集団的な思想の元で信仰を築く態勢をとった方が「人を管理する」グループである「国」としては都合がよいのだ。また、生まれたての神という観念を王政が無理矢理鎮めようとする動きはなかった。どちらかと言えば、国家乱立で戦争が絶えない諸国の者たちにとってそういったパワーバランスの大変動などはことさら注意を向けなくてはいけない事象だったのだ。
そこで国家間はある程度完成していた周辺国との同盟や連合など、より大きなグループでの同一の信仰と神の理念を開発した。北部列強、中央連立国、南部大同盟、臨海及び、臨海周辺全武力国家がそれぞれ特大級の四つのグループを作り、神の飼い殺しと言いたくなるほどの信仰の集中と布教態勢を生み出した。宗教という名の新しい世界観の在り方も、それほどまでに無理矢理に詰め込み膨張してしまったことを考えれば、あまりにも危険な世界の幕開けを告げるものだったように受け取ることも出来る。
北、央、南、海に分かれた宗教及び軍事力の集合は、宗教の対立を真面目に受け止める者、危険視する者の間でこう呼ばれるようになった。
曰く、【 宗 狂 】と。
北部列強 カリルデシュー教
中央連立国 エチ教
南部大同盟 ミバンナ教
臨海全国家 ファブネル教
カリルデシュー教:CD
~ 神の元での繁栄と安寧獲得の使命を説く宗狂
聖典:イヴェラ
聖職者:尊師候 尊手凱 孫紡羅
信仰神:多神教 最高神カリルデシュー
エチ教:Et
~ 全知全能の理に基く罪の贖罪と魂の開放を説く宗狂
聖典:コーグ
聖職者:パリキニ
信仰神:秤の神トロリル
ミバンナ教:MB
~ 唯一神イギャンアルの予言を導き、神の代弁者たる王に忠誠を誓うことを説く宗狂
聖典:イグ
聖職者:アンラヴェリス
信仰神:唯一絶対神イギャンアル
ファブネル教:FN
~ 世界の起源である海を神とし、海の元での繁栄と精霊と人間の共生を説く宗狂
聖典イヴェラ
聖職者:富裕者全般
信仰神:リリエリル
信仰により結ばれた群雄割拠の英雄国たちは新たな四つの豪国となり、新たな戦力図の元での戦乱の世の幕開けをした。狂った信仰により軍隊はどこもかしこもが増強され、瞬く間に戦地は焦土に代わり、死人の山が天に連なることも珍しくなくなった。病気はあちこちから沸くようにして止むことがなく、崩壊した戦地の自然環境を再興させようという動きも過去と比べて格段に少なくなった。生まれてくる数以上に人は死に、莫大な資金と思惑が今も国家間の間を邪毒の様で巡っている。救済を求めてもそれを神が認めぬ世界では、進み続け、全ての国が統一されて同じ宗狂に浸るまでは決して戦いが終わることはないのだ。
そして雪が降りしきるとある真冬の夜。
戦地で七面鳥に齧り付く一人の青年が新たな宗狂の幕開けを告げたのだ。