イッピ
この小説は、夢見てた今と夢見る昔をPSPからお送りいたします。
「と、いう訳で転校生だ」
朝のHR、県立三ツ巴中学校3-Bの担任教師・国語科の醍醐武夫三十五歳独身のこの日最初の連絡事項に、3-B生徒一同は沸いた。それはもう白々しく沸いた。
「男子ですか? 女子ですか?」
一人の男子生徒が声を張り上げ質問するが、これもまた白々しいものだった。
「見りゃ分かる」
鼻であしらう様に返ってきた武夫の言葉も気にせず、生徒達はさらに沸く。ドアの向こうに居るであろう"転校生"に歓迎する意思を叩き付ける様に演技臭く沸き上がる。
そんなクラスメート達を尻目に、教室後方・やや窓寄りの席に座る中村志穂は一心不乱に教壇横のドアを凝視し、"転校生"が入ってくるのを今か今かと待ちわびていた。
志穂のその様子に気付いた右隣の席の佐藤翔子は志穂に顔を寄せて小声で話し掛ける。
「中村さん、中村さん」
「え、何?」
「ようやく、会えるね。嬉しい?」
唐突に投げ掛けられた質問に志穂の頬は赤く染められた。
「な、何言ってんのよ?」
「だってこの日を一番待ち焦がれてたのは中村さんじゃない」
「一番って……皆だってそうじゃない。こんなに騒いじゃってるし。それと同じよ」
「そうかなー。まぁ私も嬉しくて堪らないけどさ。中村さんみたいにこの一年ずっと今日を夢見てた訳じゃないよ」
翔子のこの言葉に、志穂はついに耳まで赤くしてしまった。妙な熱が制服の内側に籠り、暑くなる。
「あはは、そんなに真っ赤になっちゃって。中村さんてば可愛いねー」
翔子はそう言って茶化しながら寄せていた顔を離して自分の席に居直った。志穂は何か反論しようとも思ったが、結局顔を赤くしたまま視線をドアに戻すだけだった。
「おーい、バカ騒ぎはその辺にしとけや」
武夫は手を叩きながら生徒達を鎮める。そこで一旦は落ち着く生徒達。
「よし、じゃあご対面といこうか。驚くなよお前ら」
そう言ってニヤニヤ笑う武夫。こういう時は大体驚くのを期待している時である。
しかし生徒達はそんな武夫を全く意に介していなかった。生徒達には何故武夫がその様な事をいうのか、満場一致で予想できたからだ。
「おーい、入って「ぉぉぉぉおおおお」…………」
入って来い、とドアの向こうの"転校生"に呼び掛けようとした武夫を途中で遮って、男子生徒達が突然声を揃えて唸り出した。まるでサッカーのPKの時の観客の上げる掛け声の様に、段々と大きくなっていく。そしてガラッとドアが開いた瞬間に「へい!」と最大音量になった。
入ってきたノリのいい"転校生"は教室に入るなり、
「皆、久し振り! イェイ!」
とおよそ転校生らしくない第一声を教室に響かせピース。生徒達は「お帰りイッピ!」とか、「うわっデカくなったなイッピ!」とか、「イッピ君、私まだ諦めてないから!」とか、それぞれの言葉で迎え、隣のクラスへの迷惑などそっち退けでまた盛り上がった。
「なんだ、お前ら知ってたのか。どうもいつもより演技臭く盛り上がってると思ったら」
武夫は生徒達の反応が期待という名の予想に反していた為、拍子抜けしつつも逆にきょとんとさせられていた。
「先生、俺達は3年B組ですよ? 折角あの某初めは金曜八時からだった中学ドラマと同じ組名なんですから、そこはホラ、雰囲気で乗っとかないと」
教卓に一番近い席に座る鈴木啓太・通称『すずっち』は誇らし気に武夫に言った。しかし「ふーん。あそ」と冷たくスルーされたので「残念ながら担任は熱血じゃ無かったけどー」とぐずりながら机に突っ伏して拗ねてしまった。
武夫はすずっちを無視してドアの一番近くの席に座る糠谷一平・通称『ぬーちゃん』&その周辺の生徒達と早速ダベっている"転校生"に目を向けて声を掛けた。
「ホレ、一応転校生なんだから自己紹介は要らんにしても挨拶はしとけ」
「ハイハーイ」
「『ハイ』は一回」
「ハイ」
そんなやり取りをした後"転校生"は素直に教壇へ移動し、律儀にも黒板に白のチョークで「三橋 逸飛」とデカデカと書いてから教室の生徒達に向き直って挨拶をする。
「ども! 今日からこのクラスに加わる、三橋逸飛です! 前の学校でも“その前の学校”でも『イッピ』って呼ばれてたので、そんな感じでどうぞヨロシク!」
ペコリとお辞儀をするイッピに教室中から拍手と指笛が上がった。
志穂は手を叩きながら、ちょっとだけ昔の事を思い出していた。
県立三ツ巴中学校の生徒達は、ほぼ全員が隣にある市立三ツ巴小学校の卒業生である。単にこの辺り一帯の小学校と中学校はこれらの一校ずつしかないというだけなのだが、そのお蔭で彼らは義務教育の九年間をほとんど同じ顔触れで過ごすのだ。
そうなるとクラス替え等により同学年の生徒で知らない人などいなくなる。志穂にとって、3-Bのクラスのメンバーは小学校の頃に知り合った人達ばかりだった。
そしてイッピは、小一から中一までずっと同じクラスであった唯一の人だった。
小学生だと、女子の方が男子よりも体が大きいのは一般的だ。しかしそれを考慮しても、イッピは小さかった。背の順では常にブッチ切り一番前。学校全体の行事ではよく二つ下の学年と間違われて連れてかれていた。中学に入ってからも、皆でどこかへ遊びに行く時、子供切符でないと逆に駅員に「小学生は子供料金でいいんだよ」と言われていた。
小柄なイッピは顔も可愛かった。男子ではあるが、多分学年のどの女子よりも可愛い顔をしていた。
性格は、人懐っこくて甘えん坊。そして極度の抱き付き魔だった。男子だろうが女子だろうが、先生だろうが友達の親だろうが自分の味方と認識した相手にはいつでもどこでも何の前触れもなく抱き付いてしまうのだ。
中一の時、当時の身長は一三〇センチだった彼は普通に成長している女子にも平気で抱き付いていったが、少なく見積っても身長差二〇センチ以上の制服を着ている女子に抱き付けば当然、スカートをずり降ろしてしまったなんて事件も発生した。本人には悪気や下心は無く、友人を見ると条件反射で抱き付いてしまう様で、すぐに謝りはするものの被害が減る事は無かった。どこをどう見ても完全にセクハラで、非は一〇〇%イッピであったが、問答無用の可愛さが女子の母性本能を刺激しまくった為、何故か女子側がスパッツをスカートの下に着用する事で対処した・なんて事もあった。
エロ猿共は密かに残念がっていたが。
そんなイッピと小一から中一までずっと同じクラス、さらに地味に帰る方向も同じだった志穂はその七年間で一番イッピにくっつかれていた人物だった。志穂の思い出には自分の隣にいつもイッピがいた。いくらイッピが他の誰かに抱き付いていっても、自分はその中でもイッピにとってさらに特別だと思っていた。
そして自分の中で、イッピは特別になっていた。
中一の三月、イッピの転校が急に決まった。親の仕事の都合で、遠くの地方の親戚の家に預けられる事になったとの事だった。人懐こいイッピは親戚の人達も大好きで、アッサリ納得したらしい。
志穂の胸がチクリと痛んだ。もう自分と会えないかもしれないのに、イッピはアッサリ首を縦に振ってしまった事に。
その痛みを抱えたまま、イッピの出発の前日に何人かの友人と企画した送別会をやった。よく皆で遊びに行ったぬーちゃん家の道場を特別に使わせてもらった。
その時のイッピは本当にいつも通りだった。ぬーちゃんに抱き付き、すずっちに抱き付き、そして志穂に抱き付いた。
その会の最後にイッピはこう言った。
「皆今日はありがとう! アッチに行っても皆の事、忘れないよ! つっても一年くらいで帰ってくると思うけどね」
とりあえずその場に居た十数人でボコ、もといジャレておいた。
胸の痛みは無くなっていた。
出発の日、皆で三ツ巴駅まで見送りに行った。最後にイッピは何人かに自分の連絡先を教えてから改札の向こうに消えていった。泣いてしまう寸前で皆の陰に隠れる様にしていた志穂は、皆の前でついに泣いてしまった。
イッピの連絡先は後で他の人に教えてもらった。活用する事はできなかったが。
それ以降、志穂は胸にぽっかりと穴が開いてしまった様な気分で過ごした。中二の一年間と中三の初めの一ヶ月まで、何をやっても何か物足りない感覚が付き纏った。
今、イッピは志穂の左斜め後ろの席・窓際一番後ろの席で手を頭の後ろで組み、自分を囲むクラスメイツとここ一年の事について語り合っている。
休み時間に入った途端、転校生を囲んで質問タイムに突入するのはそれが全くの新人でなくても変わらないようだ。席が近かった志穂は休み時間に入った瞬間自分のイスをイッピの席に寄せたので輪の最前列に陣取りはしているが、「久しぶり」と挨拶を交わした直後後ろからのクラスメイツの勢いに押し潰され、すっかり傍聴人となってしまっていた。
「それにしてもイッピ背、伸びたよな」
「だよねー、一年前はあんなちっちゃかったのに。話には聞いてたけど一瞬別人かと思っちゃった」
「どんぐらい伸びた? ぬーちゃんくらいはありそうだよね」
「今一七〇センチちょい。去年だけで四〇センチも伸びたんだ」
「四〇!? すごっ」
「え……十日で一センチ計算なんだけど?」
「うん。毎日朝起きると視点がちょっと高くなってて怖かったよ何となく」
「いやいや、成長期にも限度ってもんがあるだろ……」
「まだ伸びてんの?」
「うーん、最近は少し落ち着いてきたかな。止まっちゃいないと思うけど」
次々に掛けられる声にイッピは忙しなく顔を向けながら笑顔で答えていく。
志穂は話し掛けるタイミングを逸し、もどかしさを感じていた。かといって自分の席に戻ろうにも後ろに立っている生徒達に道を塞がれていて、最前列という事もあってここでムリに戻ろうとするのも場の雰囲気を乱してしまいそうだったのでただ所在無く愛想笑いを浮かべる事しかできずにいた。
その時、志穂の頭上を白い手が通り過ぎ、イッピの頬に触れた。
「でもイッピ君、背は伸びたけど相変わらず可愛い顔してるわよねぇ」
そして頭上から発せられる甘い声。志穂が見上げると、そこには艶やかな笑みを顔に貼り付けたクラスメート・窪田瞳がいた。周りの生徒達は「おお、早速窪田がオトしに行ったぞ」的な視線を志穂の頭上に向ける。イッピは苦笑しながらそれに答える。
「いや、それは男として喜んでいいのかな?」
「いいんじゃない? 可愛い顔って結構モテるのよ?」
瞳はそう言いながらイッピの頬から手を離し、その手で長い髪を掻き上げる。周囲に甘い香りが広がった。
瞳の手口に周りは「うわぁ……」といった感じに気持ち引いた。志穂は何となく、頭上から振ってくる甘い香りに胸の奥で何かがザワついているのを感じた。
そんな周りを気にも留めず、二人は会話を続ける。
「そうなの? じゃ一応ありがとうって言っとくよ。でもそういう窪田も綺麗になったよね」
「ふふ、ありがと。こんな顔は好み?」
「ああ、そういう流れ?」
「そうよ」
コクリと頷く瞳。イッピは頭の後ろに組んでいた手を解き、困った様に頭を掻いた。
「うーん、いきなりそう言われてもちょっと……」
「でも理想の人っていうのはあるでしょ?」
「あー、それは昔から変わらないんだけど、今となってはなぁ」
「ふーん。じゃ~あ~」
瞳はさらに甘い声を出しながら身を乗りだし、イッピに迫る。それから続きを言おうとして、
「はいストップ」
イッピの後ろに立っていたぬーちゃんに横槍を入れられた。
折角いい感じにノッてきた流れを挫かれ、瞳はそのままの姿勢で不愉快そうにぬーちゃんを見上げた。そもそもこの場でノせようとする時点で間違っているのだが、瞳に時と場を選ぶ意思は無い。
「……何?」
今までの甘い声から一転、不満全開でぬーちゃんに問う瞳に、ぬーちゃんは瞳の後方を指差す事で答えた。
瞳は片眉を上げながら後ろに目をやり、乗りだした際にどうやら押し潰してしまったらしい志穂が押し潰されつつも鬼の形相で自分を睨み付けているのを見た。というか目が合った。
「あ……ご、ごめんなさい中村さん」
瞳はパッと身を起こし、志穂に手を合わせて謝ってからそそくさとイッピを囲む輪から出ていった。
そこで志穂はようやく自分の眉に力が込められていた事に気付いた。無意識の内に瞳を睨み付けていたのだ。ハッと我に返った時には場の空気が自分の鬼の形相によって重くなってしまっていた後だった。
「あ……えっと……」
何とか取り繕おうと思うがなかなか言葉が思い浮かばず、どもってしまう。居た堪れなくなった志穂は瞳が出ていった際に開いた生徒達の隙間に気付き、一先ずこの場を離れようと立ち上がりかけたが、
「中村、大丈夫?」
「えっ?」
イッピが顔を覗き込んできながら心配そうに声を掛けてきて、思わず動きを止める。
「いや、何か痛そうにしてたから……」
「あ、う、うん。平気平気。窪田さん軽いからそんなでも無かったよ。ハハハハ……」
イッピの勘違いした気遣いに志穂はムリヤリ合わせて乾いた笑いを洩らした。その反応にイッピはホッとした表情を見せる。
「そうか。良かった。スゲェ顔だったから骨折でもしたのかと思ったよ」
「んな訳あるか」
イッピのあまりと言えばあまりな発言に、後ろのぬーちゃんがボカッとイッピの後頭部を殴りつっこむ。
イッピは「痛ッ」と悲鳴を上げ、恨めしそうにぬーちゃんを見上げた。
「痛いなぁ。何でぶつんだよぅ」
「このニブチン」
「は?」
ぬーちゃんの言ってる意味が分からず、イッピはきょとんとした。
そんな様子がおかしくて、志穂は思わずプッと吹き出す。周りのクラスメート達の何人かもクスクスと笑いを洩らす。
周りに付いていけてないイッピは、
「もう、意味わかんねぇ」
と嘆いて机に突っ伏してしまった。イッピの右隣の席の机に寄り掛かる様にしていたすずっちはそれを見て、イッピになだめる様に声を掛ける。
「まあまあ。それよりイッピ、チュウの話を聞かせてくれよ」
「いいよ!」
イッピは置いてかれてる感を払拭する様にガバッと起き上がり、すずっちの振ってきた話題に食い付いた。
不意に出てきたチュウという単語に、ぬーちゃん、すずっち、イッピを除くその場の生徒達は頭に疑問符を浮かべる。
ぬーちゃんとすずっちはイッピと定期的に連絡を取り続けていた為、チュウが何なのか知っていた。約一ヶ月前の五月初旬、イッピが帰ってくる日が決まったという情報もこの二人からもたらされたものだった。
「チュウ?」
誰かが言ったこの言葉を皮切りに、場はまた賑やかな空気を取り戻す。
「チュウはアッチで出来た友達の中で一番仲良かったヤツの事なんだ」
「へ~、どんな人なの?」
「ちび」
「いや、一年前のイッピ君だってアリエナイ位ちびだったじゃない」
「まあね。でもチュウはあの時の俺よりさらに小さかったんだよ」
「マジで? そんなヤツいんの?」
「あの時点でイッピは一三〇だったから……まさか一二〇台?」
「多分ね」
「ちび同盟……」
「上には上がいるもんだなー。いや、この場合下か」
「でも最後はかなり差ついてただろ」
「うん。今アイツは一三〇ちょい位かな。なんか代々そういう体質の家系らしいよ」
「家系て……」
「まあ、一年で四〇センチ伸びる方がどうかしてるだろ」
「確かに」
「しょうがないじゃん伸びちゃったんだから。別に好きで伸びたんじゃないやい」
「それは伸ばしたくても伸びない人に対する挑戦か? コノヤローちょっと前までは豆だったクセに」
「俺もイッピに抜かされるとは夢にも思わなかったな」
「私的にはそのチュウって人を見てみたいかな」
「あ、見る? 写メあるけど」
最後の女子の要望に応えようとポケットからスライド式の携帯電話を取り出すイッピを見て、その場の全員が目を丸くした。
「あれ、イッピ携帯持ってたん?」
すずっちが皆の代弁をする様に呟く。
今時は持ってない方が希少種だが、イッピは転校して行く前は持ってない側だったのだ。そしてぬーちゃんとすずっちもイッピから携帯を買った事は聞かされていなかった。
「え? うん。アッチ行ってすぐ位にね。親が俺と連絡取るのにいちいちアッチの家の人に取り次いで貰うのが面倒だからって」
「早よ言わんかいコノヤ……て小さ!」
知らせなかった事に何ら悪怯れる風も無いイッピに、ぬーちゃんはスリーパーホールドで制裁しようとしかけたが、イッピの携帯に表示された画像を突きつけられて驚愕する。
その反応に気をよくしたイッピは他の皆にも見える様に携帯を向ける。
「わっホントだ小さ!」
「何かネズミみたいなヤツだな」
「ああ、確かに。だからチュウなのか」
「んー、それは単に名字が『千夕』だからだと思う」
「全力でネズミだな。もはやギャグだろーこれー」
などと最後はチュウの事で盛り上がっている内に始業ベルが鳴り、生徒達は興奮冷めやらぬ思いで各自の席に戻っていった。
この日は、次の休み時間の、
「で、取りあえず携帯の番号とアドレス教えろ」
というぬーちゃんの一言以降、その後の全ての休み時間を使ってイッピはクラスメイツ+αとのアドレス交換に追われた。
「じゃなーお二人さん。また明日ー」
「うーん。じゃねー」
十字路で曲がっていったすずっちにイッピは返事で、志穂は手を振って別れた。
一年前に住んでいた家に帰ってきたイッピと、一年前の様に並んで帰路を歩く志穂。ただ違うのは、互いの肩の高さだけ。
やっと帰ってきた、この一年足りなかったものが満たされているのを、志穂はこの日一日中感じっぱなしだった。
「それにしても、まさかぬーちゃんと佐藤が付き合ってるとは思わなかった」
イッピの口から呟かれた言葉。一年で変わったのはイッピだけではなかった。一年前は、先程の十字路まではぬーちゃんも一緒だった。
そんなぬーちゃんと、翔子が付き合い始めたのは去年の夏の話。イッピが居なかった時だ。
「ま、彼氏が彼女を家まで送るのは普通じゃない」
「む、でもずっと連絡取り合ってたんだから、そういう事が起きたら知らせてくれてもいいだろうに」
「イッピだって携帯買ったの言わなかったんだからおあいこでしょ」
呆れの混じった志穂の言葉に、イッピは口を尖らせてブーブーと反論にならない反論をした。
そんなイッピを微笑ましく見つめる志穂。
「やー、でもこうして中村と二人で帰るのも、久し振りだと浸るもんがあるなー」
イッピの声が感慨深気に響いた。志穂は嬉しさを感じながらも意地悪く笑って答える。
「こうして? 違うわよ。一年前はイッピ、私の腰にしがみついて、私が引き摺って帰ってたじゃない」
「ああ、そうそう。何度か中村ん家までくっついてった事もあったよね」
ニハハと笑うイッピ。昔の自分を、しょうもない子供を見ているかの様に思い出す。
「……そういえば、もう人に抱き付かないんだね」
志穂は今日、多分皆が思ったであろう事を言ってみた。それにイッピは寂しげに笑って答える。
「大きくなっちゃったからな。今やったらのしかかりになっちまう」
「でも理想の女性は昔と変わらないんだ」
志穂の言葉にイッピは苦笑いを浮かべる。昼間の瞳との会話を思い出す。
『でも、理想の人っていうのはあるでしょ?』
『あー、それは昔から変わらないんだけど、今となってはなぁ』
イッピの抱き付くという行為は単なる「甘え」。しかしそれは成長するにつれて許されなくなっていく。
体の成長が遅れていたイッピは、自分よりも大きく、そして自分を受け止めてくれる人々が好きだった。
目に見える程の体の急成長。どんどん自分を受け止めきれる人が少なくなっていった。どんどん大きくなる自分に戸惑った。
次第に抱き付き難しくなり、それを躊躇する様になり、そして止めた。体の成長に強引に引っ張り上げられる様に精神もある時突然急成長した。
「理想、自分より大きい人・だったよね」
「ははは、うん。今じゃそれに該当する人なんかほとんどいないけどねー」
こういう所で、子供のままでいたかった自分に気が付く。いつまでも子供でいられる事なんてありはしないのに。
しかしイッピにはその変化が急過ぎた。
一年前は見上げていた志穂を見下ろす。この一年で志穂も背が伸びなかった訳ではないが、その目線はイッピの肩にも届いていない。
しばらく二人は無言で歩く。居心地が悪いという訳では無い沈黙。
その沈黙を破ったのは志穂だった。
「うん。よし」
藪から棒に、何かを決心したかの様な掛け声。そしてイッピが何事かと問う前に「えいっ」とわざわざ声に出してガシッとイッピの腰に抱き付いた。
「ちょっ何してはりますのん?」
イッピは驚いて口調まで変わってしまう。それに志穂はにっこり笑って答えた。
「昔のイッピのマネ」
「はい?」
「前はこうやってイッピが皆に抱き付いてたんだよ」
「いや、まあ、そうだけれども明らかに決定的な違いが……」
制服越しから、男には無い柔らかな感触が伝わってきていた。
何の事を言っているのか気付いた志穂は半目になって呟く。
「変態」
「な!? ……いや、スカート降ろしてた過去がある以上否定できねぇ……」
「やっぱりあれ狙ってたの?」
「違います。そこは断じて否定します」
イッピは必死に首を横に振った。汚れ無き頃の自分だけは、誤解されたくなかった。
「でもよくあんな事やってて嫌われなかったよな俺。今思うともの凄い事やってた気がすんだけど」
「イッピ可愛かったからね」
「そんなん理由になんの?」
「可愛い子に抱き付かれるのは誰でも嬉しいものよ。知らなかったでしょ?」
志穂は自分を見下ろしているイッピを見上げ、目が合うと輝きを放ちそうな程の笑顔を見せた。
その笑顔に一瞬、イッピは見惚れてしまった。
「あ~、うん。悪くないかも」
「でしょ? 抱き付くのも結構いいわね」
「ズボン降ろさないでくれよ? 頼むから」
「そんな事する訳ないでしょ」
「で、いつまでこうしてるの?」
「このまま私の家まで引っ張ってってよ。場所、知ってるでしょ?」
「えー、マジかよ」
「ふっふっふっ。あの時の私の苦労を知りなさい」
一年前の様に笑い合い、ふざけ合いながら家路を歩く二人。
変わったのは、イッピの低くなった声だけだった。
諦めずに最後まで読んでしまった方、本気でありがとうございます。
この小説は色々と試してみた事が多かったのですが、ぶっちゃけ大失敗したと感じとります。途中、本気で削除して闇に葬り去ろうかと悩みましたが、時が経つにつれ
「ま、いいや☆」
と、何かが飛び散った感じになり、無事日の目を見る事となった次第です。
まぁ、今入る為の穴を掘ってる最中ですが、少しでも楽しんでくれた人がいてくれればなによりです。
では、いつかまたどこかでお会いすることを楽しみにしております。m(_ _)m