その2 辛口評論家からのコメント
「今度は一味違うぞ。題名は『桜花改開発秘話』だ。さあ、読んで感想を聞かせてくれ」
自信たっぷりの前振りをして、改版した出だしの文章を娘に見せた。
娘は、パソコンの画面に映し出された書き出しの25行を見ている。
視線を何度も上下にさまよわせ、ウンウンとうなっている。
「どうかな。もう取り扱い説明書やマニュアルじゃないぞ」
娘の第一声は、「これじゃぁ判らん。三度読み返したけど、よく判らん」だった。
「どこが、どう判らないのか、お代官様、オラにお教えくださいませませ」
「じゃあ、まずは最初の一行目から、どこが判らないか説明するよ。
よぉ~~く聞いいてね。
題名の『桜花改開発秘話』と『昭和20年4月2日、曇り空の下、帝国首都に来襲した約200機のB29の編隊に、蚊の群れのように、しかも幾つもの群れが次々と襲い掛かっていた』のところの解説だよ。
題名が桜花とついて、帝国首都と始まったら、かの有名な『サク○大戦』が思い浮かんでしまったよ。
このイメージを引っ張ったままB29というキーワードがあると、鉄人28号じゃないけど、何かのロボットと思ってしまうんじゃないかなあ。
後々まで読み進めて、B29が第二次世界大戦で使われたアメリカの戦略爆撃機のことなんだとやっと判るのは問題だよ。
今の若い人は、70年前に日本とアメリカが血を血で洗う戦争をしていたなんて、何かの悪い冗談かと思っている人もいる位だから、『東京を火の海に変えんと来襲したアメリカの戦略爆撃機が約200機、曇り空の下鈍く光る翼を連ねてこちらへ向かって来ている』と誰が何をしに来ているのかを、最初にはっきりイメージさせるのが重要だね。
だから、比較的多くの小説の最初は、主人公の名乗りと境遇説明になっているんじゃないかな。
情景シーンから始まるのは、読む人との共通認識の土台ができていて初めて成り立つんだよ。」
「なるほどなぁ。
『昭和20年4月2日』の書き出しで、大東亜戦争末期のイメージと、3月8日の東京大空襲のイメージが共有されると思っていたが、どんな人が読むか判らない投稿小説はそういった気配りもいるんだなあ」
「次は後半の『蚊の群れ』のくだりだよ。
本当に蚊の群れってあると思うの」
「蚊柱っていう現象があるだろ。
夏の終わり頃に一箇所に蚊が群れていることがあるのだよ。
自転車でその群れに突っ込んだ記憶があって、そんなのをイメージしたんだ。
本当は、ゾウに群がるアリといった光景を、空中でのシーンで例えたかったのだよ」
どうやら娘は、この文章で何を伝えたかったのかを質問して掘り起こし、一読者としてわかる内容に置き換える作業を具体的にしているようだ。
大したものである。
「そうすると、アメリカのB-29と日本のグライダーの攻防を、ゾウを攻めるアリのイメージで伝えたかったのね。
あえて『蚊の群れ』を出して、読者を混乱させる必要性はないのよ。
この場合、伝えたかったイメージがゾウとアリってシンプルだから、そのまま使ったほうがいいと思う」
最初の一文でこの添削である。
ちなみに、蚊柱はユスリカという虫で、厳密には蚊ではない。
さらに、交尾のためにその時期群れているだけということから、よく知らない人も、よく知っている人も、この小さな虫が攻撃のために何かに群がっているというイメージは、調べれば調べるほど遠ざかっていく。
「じゃあ、次の一文『蚊の群れをよく見ると、帝都を守る大日本帝国陸軍グライダーの大群である』に行くよ。
これは余計なんじゃないかなあ。
何かモヤモヤと戦っているのを仔細に見ているうちに、敵B-29に対抗しているのがグライダーであることが判った、ということなんだけど、後半を見ると主人公はこのグライダーの開発者なのよね。
何も知らない人が、『空を見ろ!鳥だ!飛行機だ!いや、スーパーマンだ!』って古典的乗りでやってしまうのならともかく、スーパーマンの秘密を知る身内がこのキャッチフレーズを言う訳ないでしょ。
おまけに、お父さんの文章は古臭いのよね。
こっちまでスーパーマンの例えが出てくるなんて、困ったものね。
ともかく、ここで言いたい『グライダー=東京を守る陸軍の兵器』は、『よく見ると』というフレーズとは切り離さないと駄目だよ」
ご高説、ありがたく拝聴いたしました。
無意識に何かの一節をパクッていたのが、諸バレです。
まだ最初の二文でほぼ壊滅状態になってしまった。
この調子で全部のコメントを頂いてしまうか、それともここまでのコメントで頂いた教訓を整理して書き直すか、の別れ道に来ているようだ。
心が折れてしまって「じゃあ、お前が書いてくれ」なんて言い出す前に、ここは撤退だ。
「いろいろとコメント、ありがとう。
何が駄目なのかが、ちょっとわかった気がする。
書き直したらまた見てくれるのかな」
「うん、いいよ。頑張ってね。応援しているから」
本当に辛口の評論家だが、最後のひと声に助けられているのも確かだ。