奇跡は高度な計算の上に
「やぁ待ってたよ」
靴を脱ぎ上がった部屋は座敷になっていて、その机の上には色とりどりの皿が並べられていた。海老やら刺身やら、和食が多い。山菜の天ぷらがおいしそうだ。いやそんなことはどうでもいいんだ。座敷で偉そうに座っている人物が問題なんだ。
「ほら驚いてないで座りなよ」
私の対面に座る人物がそう促す。私は心を落ち着けるように深呼吸をしてから、その人物の名前を叫んだ。
「未来!」
「なに?」
御影未来は私の良く知っている表情で答えた。何でもお見通しのような余裕溢れる優しい笑顔。昔は背中まであった髪は首の付け根ぐらいになっている。ただその目も、その顔も、表情も仕草も変わらない。白いシャツの上から赤いカーディガンを羽織っており、彼女が好んだ組み合わせである。
「本物?」
「どうだろうね」
彼女は答えると湯呑みを手に取り茶をすする。
「長い話になるから座りなよ。今日は気疲れしてるでしょ」
彼女の言うとおり長い話になりそうだ。ただ私は大人しく座敷に座らなかった。料理の並べられている机を大回りして未来の隣までやってくる。
「どうしたの?」
不思議そうに眼を丸め尋ねてくる姿は愛らしい。私はそんな彼女の顔をはたいた。パチンと渇いた破裂音が室内に広がる。未来は体制を崩しそうになるが腕を伸ばして支える。私の手も少しだけ痛い。
「ユウ様!」
扉を開けて先ほどの男性が現れる。
「大丈夫。下がってて」
そんな彼に未来は落ち着いた声で答えた。今更ながら彼女が幽霊じゃなくて、生きてる人間なのだと改めて思ってしまった。そしてそのことに私が腹を立てていたことに、彼女の頬を打ってから気づいた。
私は何も言わず反転し、彼女の前に座った。
「なんかある?」
私は傲慢にも未来に聞いてみた。悪いとは思っているけど、許してもらおうとは思っていない。
「ないよ。むしろ嬉しいぐらい」
そんな私の心情を知ってから知らずか、未来は叩かれた右頬を愛おしそうに撫でながら答えた。
「なんで生きてるの?」
「死んだよ。御影未来は死んだ。それは間違いないよ」
「じゃあ私の目の前にいるのは誰。未来でしょ!」
「うーん。日和はライトノベルって読む?」
「読まない。私は少し昔のばっかだし」
「そうだったね。私は雑にいろいろ読んでるからなぁ。で最近のそのジャンルのカテゴリに転生ってのがあるんだよ」
「何?人間じゃないと勝てないから神様が転生するの?」
「はははいつの話よそれ。そうじゃなくて記憶とかさ、人格を引き継いで次の生を謳歌するんだよ」
「ふーん楽しそうだね」
「興味なさそうじゃない」
「偏見があるからね。私はさ、人間があがくのが大好きだもの。最後はハッピーエンドじゃなくてもいい。泥臭くあがいた姿を焼き付けたいの。私が納得できたらそれでいいって人間だから、ご都合主義は苦手かな」
「うーんそんなこともないけど、そうなのかもね。まぁ興味ない人間に勧める気はないよ。時間は有限だもの。おっと脱線気味だね」
「そっちが変なこと言ったからでしょ」
「そうかも。私のことを説明するのにちょうどいいなって思ったからね」
「……新しい人生を始めたの?」
「うん正解。ちょっとね。ホントに『御影未来』のままじゃ私の望む未来は手に入りそうになかったからね」
「……今までの自分を捨ててでも欲しかったのそれ?」
「うん。葛藤はあったけど、そこは天秤にかけて真剣に考えた。ちょっと家族が屑すぎたから、こうなったね」
「……自分の家族なのに」
「それっているものかなって考えたら、いらなかったんだもん。私の時間を奪う。私の望みを奪う。私の可能性を奪う。不利益ばかりで、碌な目に合わない。プラスマイナスで考えたら圧倒的にマイナス。無理やり渡される愛情も、親子の間の借金も邪魔だから、いっそのこと死んでみたんだよ。正解だったよ」
「窮屈だったんだ」
「おっ。理解が早くて助かるよ日和」
「わかんないよ。未来の気持ちなんてね。ただそれはそういうものだと受け入れただけ。私は未来のことがよくわからないから」
「それができる人間ばかりじゃないよ。私の元親なんて駄目な人だったもの。自分の物差ししか持っていない。視野も狭い。価値ある行為に意味をくっつけて、貶める。ナンセンスだね」
「怒ってる?」
「私が?まさか。って言いたいけど、怒ってるね。そういえば私の妹もあの親と同じように視野が狭くて思い込みが激しくて可哀想だったなぁ。そうそう。殺されかけたらしいけど元気そうでよかったよかった」
「そっちも死んだかと思ったけど、元気そうだね」
「おっ嫌味かな。私は心地いいよ。こういう会話は久しぶりで嬉しくなる。何より死んで後悔するかと思ったけど、そんなことはなかったよ。家族はいらない。友達はしかたない。彼氏は引き継いだ。親友とはこうして話せた。なんの問題もない素敵な環境だね!」
「妹は死んだよ」
「しかたなかった。まったく生きてれば勝ちなのにね。そんなこともわからないなんてね」
「悲しくないの?」
「うーん。なんだろう。なるようになったって感じ。あの家から私がいなくなったら、愛真は死ぬかもと思ってたからなぁ。予想してたし、回避しようと労力をかけるのも面倒だったかな。おっ今日は当たりだラッキー」
「何が?」
「漬け物。やけに濃い日が多くてね。これぐらいなのがちょうどいいと思わない?」
「分からなくもない」
「なんかさ日和私に厳しくない?」
「どうして優しくされると思ったの?」
「なんとなく!」
「いや生きてたことは嬉しいけど、今まで通りじゃないんでしょ。それに私不思議なことがある」
「何?」
「どうしてあの時私にあんなこと言ったの?」
「どの時?」
「橋から落ちる時」
「あぁあれ。なんか恥ずかしいな。いや今は失敗したなって思ってるんだ。今の生活を手に入れて最初に後悔したことだもん」
「どうしたの?」
「私は別に日和に勝ててないんだなって後悔した。だって日和負け認めてないんだもん」
「それは納得できてないからだよ」
「私は、『御影未来』をやめて新しい人生を手に入れるからあんなことを言ったけど、それって別に日和が幸せになれないって訳じゃないんだよね。だからあの日の言葉は不適切。ううん。強がりだったんだ。迷わせたかな?」
「ううん。ただ分からなかった。私はホントに未来が死んだと思ったから」
「今の私は羨ましい?」
「羨ましいけど、なりたいとは思わない。私は久城日和のままでいたい」
「そっか。残念。ホントは誘おうと思ったんだけどな。死んでみないかって」
「結果次第かな」
「はは。何その答え面白い。余裕って言っていたの聞こえてたんだよー。フラれちゃった」
「安井君は知ってるの?」
「知ってるよ。あんまり聞かないでほしいかな。私たちのこと」
「じゃあ聞かない。そういえば「アンゼンセン」って未来が言ってたの」
「そうだよ。だって彼小説書いてるんだもん。笑っちゃうよね。これがまたすごく細かくてね。私は好きだな。あっけど日和には見せてあげない」
「酷い」
「だって私のものなんだもん。渡さないよ。あれは私が見つけたものだから。束縛するし、愛し合うんだ。いろいろ迷惑もかけちゃったしね」
「……」
「羨ましいでしょ」
「少し」
「よし勝った!」
「まだ負けてない」
「悔しいんでしょ?なら私の勝ち」
「そこは負けたかもだけど、まだわかんない」
「じゃあ日和も幸せにならないとね。ねぇ好きなように生きたいなら、私のようになるのは全然ありだと思うよ。だって死ねば人間変わらないといけないもの」
「未来は何か変わったの?」
「うん。変わったというか、決めたかな。絶対に日和に勝つって」
「私に?なんで?いつもそっちが勝ってたんじゃ」
「そうじゃない。私の中であれは勝ちじゃない。ただ追いつかれなかっただけなの。日和の足音はすぐ後ろまでしていたのに、私はまったく一歩を踏み出せなかった。久城日和という人間に勝つためには、私はまず『御影未来』をやめないといけなかった。だって『御影未来』には荷物が多すぎたから」
「だから死んだの。それだけで?」
「そうだよ。そのために死んだの。私に『御影未来』という人間は重すぎた。親の期待。家族の存在。周囲の目。あらゆるものが枷でしかなかった。日和に勝つには邪魔だった。最初は『御影未来』をやめたら勝ちだと思ってたけど、そんなことはなかったよ。私も納得しなかったしね」
「今はどうなの?」
「スタートラインだよ。今日、今、この瞬間が始まりなんだ。私は日和とも愛し会いたいな。戦争のように競争のように熱烈で激しくぶつかりあって愛し会いたいな」
「変わったね」
「どんなふうに?」
「なんか強欲になってる。私の見てた未来はいっつも余裕で、時々シニカルな笑みを浮かべてたかな」
「別に皮肉屋なわけじゃないよ。ちょっと自分に正直になっただけ」
「そうだね」
「だから、日和も正直になったらいいよ」
「どういう意味?」
「軽蔑してるんでしょ。私のこと」
「分かる?」
「分かんないけど、日和ならそうなんじゃないかなって」
「別に未来のこと嫌いじゃないよ。けどね、あなたのこと許せない。人の人生ってしがらみばかりだと思うから、率先して逃げたのは許せないし、何より妹が死んだのに冷たい」
「つまんないね」
「つまんないよ。私は当たり前なことしか言えない。目の届く範囲にしか世界を持ってない。だからできることを精一杯やって生きていく。あなたの様にはならない」
「それがありきたりで世界に何の意味も与えない人生でも?」
「うん。ありきたりで意味がなくても、それを決めるのは私だ。私は私の人生を『久城日和』としてこれからも生きていく。『御影未来』じゃなくなったあなたとは、同じように生きていけないよ」
「ありがとう。やっぱり日和は私の親友だね。だったら勝負だね!」
「勝負?」
「うん。私は本気で勝ちに行く。そうだ、基準はどっちが幸せかだね!だって人間は幸せになるために生きてるんだから!」
「それってわかりにくくない?」
「そんなことないよ。たとえば今、私はお金持ちで彼氏がいて友達と晩御飯を食べてる。私は幸せだけど、日和は結果待ちで最近いろいろあって混乱してる。言葉にするだけでも私の方が幸せだね!」
「ちょっとまだ始まったばかりだから。勝手に決めないでよ。受験とか余裕で最近の問題は解決してこうして食事してるんだから結構リラックスしてる。だからあんまり負けてない」
「ホントに?」
「ごめんちょっと負けてると思ってる」
「素直でいいね。まぁ私がしたいのはそういう勝負。そうだね、名前を付けるなら『人生競争ゲーム』。ちょっと楽しそうでしょ。だからやろう」
「……いいよわかった。けど一つ付け加えさせて」
「何?」
「死んでも勝ちじゃないからね」
「……あはははははは。やっぱり恨んでたんだ」
すっかり秋になり、もうすぐ冬を感じる季節だ。入り慣れた喫茶店で私は人を待っていた。帰り道にあるので高校に入ったころからよく来たものだ。大学にも無事に合格して、もしかしたらここを利用する回数は減るかもしれないなどと考えていると目的の人物は姿を現した。
「おっアンゼンセンだ」
私は意地悪くそう言うと、彼は不機嫌そうに眉を上げる。安井善一君は私を睨み流れ、
「誰から聞いた?」
と尋ねてきた。チェック柄のシャツの上から黒い上着を羽織っていて、なんというか大学生が良くしていそうな格好だった。
「あの封筒に書いてたよ」
私は正直に答えると彼は首を傾けた。
「ほら。美紀に渡した封筒」
「あぁあれ渡したのはユウだよ」
とそっけなく答えられて少しだけ驚いた。ユウというのは『御影未来』だった彼女のことだ。
「そうだったんだ」
男の人に渡されたとか言っていた気もするが、安井君が嘘をつく必要もない。過ぎてしまったことだ。気にしてもしかたない。
「で話ってなんだ」
彼がそういったところで店員がこちらの方にやってきた。安井君はコーヒーを注文していた。なんというか慣れていて、大人っぽい。
「私と付き合わない?」
私は用意して質問を彼にした。
「からかってんのか」
と怖い目で睨まれてしまった。
「勝負のこと聞いてるんでしょ?」
「聞いたよ。バカらしい」
彼ならそういうと思った。
「私たちは真剣だよ。だけどさ、今は別のことを思っちゃうんだよね」
私は言葉を濁すように口にする。理由は多分認めるのが嫌だからだ。答えまでたどり着いて、完膚なきまで正解でも認めたいわけじゃないものがあるから。
「なんだよ」
「未来って、他人が不幸でもいいんだよ」
思い出すのは彼女の妹。いや家族だ。あの後母親も亡くなったか、蒸発したという話を聞いた。未来が死んで、死んだ人間は確かにいる。未来はそのことに自覚的で、しかたなかったといっていたけど、それって許されることなのかな。
「だろうな」
安井君はあっさり認めたことに少しばかり驚いてしまった。
「だからどうした。お前がユウと同じことをしないといけないわけじゃないぞ」
「だけど、私が安井君を奪えば未来は不幸になる」
「それでお前が幸福になるわけじゃない」
はっきり言われて言い返すことができなかった。だいたい私は、人のものを奪うことに罪悪感を持ってしまうタイプだ。未来を不幸にしても、自分も不幸になってしまう。さすがにそんなことはよくわかってる。だからこそ思ってしまうことがある。
「他人の不幸に迷いないのってズルいな」
「だからあんたは傷つきやすいと言われるんだ」
きっぱりと言われてしまったらもう笑うしかない。滑稽だ。
「他人が不幸でも幸せになれるもんだよ」
安井君に諭すように言われてしまった。
「だいたいそれを言い訳にしたら誰も幸せにならないぞ」
続けて言われて目が覚めた気がした。当たり前のことだ。
「お前はあいつに勝ちたいんだろ?」
「勝ちたい」
「だったら自分のことだけ考えろ。否定したいなら勝ってからにしろ。勝負の前に言い訳をするのは負ける気の奴だぞ」
安井君に珍しくきっぱり言い切られてしまった。だけどその通りだ。人生なんて不平等で、誰もが幸せにはなれないステージだ。そんな中で私たちは恵まれている。
下を見るなんて余裕はいらない。私が見るべきは未来ですらない。私は私の人生をいい加減はじめないといけない。勝負なんて関係なくそうすべきだ。未来の言葉の謎も解けたのだから。私は私の時間を動かすべきだ。
「そういえば今日は何であってくれたの?あのあと会ってくれなかったのに」
実は夏休みぐらいから何度か声をかけていたのだが、安井君は頑なに私を会ってはくれなかった。
「そんなもん彼女がいるからだろ。お前の中では死んでたけどな」
「じゃあなんで今日は大丈夫なの?」
「あぁ俺もユウも海外行くからだ。あいつも今日来たがってたけどな。これから忙しくなりそうだよ。あいつのせいで」
彼はそういうと小さく笑った。実に嬉しそうで腹が立ったので、足を蹴ってやった。
「何すんだ」
と彼に言われるがそんな言葉無視して自分で注文していたアイスティーのストローを咥えた。
「はぁ実際お前は勝てるつもりなのか?その勝負。無理な気がするけど」
安井君の言葉に私は不覚にも今日一番驚いてしまった。
「なんだよ?」
彼は気づいていないのだろうか。この勝負には致命的な欠点がある。いや欠点があるのは彼女の方だけど。自分に不利な環境で生きてる人間なんてたくさんいる。けど彼女はそこから抜け出せてしまった。そんな自由な彼女を止めるものはない。
「気づいてないの?なら彼女に伝えといて」
自由になった彼女の欲望に制限はない。だから彼女はいつまでたっても幸せになれない。彼女の幸せは刹那的だ。だからこの勝負は。
「私の勝ちよって」
ここまで読んでくださりありがとうございました。もしよろしければ、感想、ポイント評価宜しくお願いします。




