たかが人が死んだだけ
毎日0時に更新していきます。五話ほどの予定です。良ければ読んでください。
「私の勝ちね」
そういって彼女は死んだ。飛び降りた。ただ橋から落ちた。地獄に繋がっていそうな淵に飛び込んで、浮かんではこなかった。
いつものように人を馬鹿にしたように「冗談よ」と微笑む彼女。あの時も彼女はそんな風に水面に顔を出すと思った。だけどいくらまっても彼女は浮かんでは来なかった。何かに捕まったみたいに、帰ってこないと思って不安になったことは覚えている。
優秀な彼女。不可能のない彼女。私の親友の彼女。
私が彼女に勝っていることはなかった。勝負はできたけど勝ち越すことはなかった。勉強も運動も、私は敵わなかった。だけど私は負けたくなかった。今は勝てなくてもいずれ勝ちたい。初めて本気でそう思えたから。
それが今の私の生きている理由。大したことじゃない。私は彼女に負けたくない。変わらなかった。変えれなかった。十二分に彼女に囚われる人生。今でもそうだ。私は彼女の言葉を否定するために生きている。
彼女の勝利宣言を否定するために生きている。
私の親友、御影未来は学校でも評判の生徒だった。運動も勉強も気立てもよく、それこそどうして死んでしまったのかわからない。私にわからないなら、きっと誰にもわからない。親にも先生にもわからない。
彼女は死のうと思い死んだ。だけどそれは死にたくて死んだんじゃないと思っている。私を見上げて笑っていた彼女はそういうやつだ。彼女と違って私は目つきも鋭く無愛想で背も高くて、可愛くはない。無口で暗いやつだ。どうしてそんな私を彼女が友人に選んだのか聞いたことがある。
「傷つきやすいから友人に相応しいんだよ」
笑って彼女は答えた。そんな奴だ。だからそんなねじれたやつがただで死んだとは思えない。思いたくない。
「はぁ」
そんな風だから囚われているんだ。私は今日も彼女が死んだ橋の手前までやってきていた。今そこはテープと書きなぐられた立ち入り禁止の立札があった。
彼女が死んでから三ヶ月。早いのか遅いのか。気持ちがわからない。
「私の勝ちね」
今でも声が聞こえてきそうだ。市内から離れた町はずれ。見晴らしはいいけど、下を流れる川と谷の両脇の森は鬱蒼としている。町と森の境目。立札をよけて、谷を覗き込むとあの日を思い出す。
何が勝ちなのか。どうしてその言葉を私に向けたのか。未来の気持ちなんてわからないよ。わからないからこうしてここに来てしまう。
パキッと木が折れる音が背後でしたので思わず振り返る。うちの学校の制服を着た女子生徒と目があった。
「ここは来ないほうがいいですよ」
今日もか。私は心の中でそうつぶやいた。
「久城日和さん」
その生徒は短く私の名前を呟いた。未来の友人というだけで私も変に有名だったんだろうな。私は他人の目にはあまり興味がないので、詳しくはない。未来が死んでからはホント他人なんてどうでもいい。一方で私のことを知っている人間というのはかなり多い。もっとも御影未来が死んだのだ。騒ぐなというほうが難しい。
「どうしてここに?」
彼女の言葉に短く返す。
「いたらいけない?」
「……」
それだけで彼女は静かになった。
ここにいる理由。そんなもの私が知りたい。私はなんのためにここに来て、こんな風に毎日を過ごしているのか。
私は視線をもとの位置に戻す。橋の欄干を握りしめ、未来を飲みこんだ場所を見る。ここから覗く淵は今日も深い。
「駄目です!」
声とともに後ろから強く押された。危うく私も同じ目に合うところだった。
「何の真似ですか」
なんとか踏ん張りそいつをにらみつける。そういえば私はきちんと彼女を見ていなかった。切りそろえされた髪。どこか幼さ残る顔立ち。クラスで三番目ぐらいには可愛いのかもしれない。活発そうな眼は今にも泣きそうで、少しだけ戸惑う。
「先輩まで死んじゃ駄目です!」
その声は思った以上に幼い。まるで子どもだ。
「大丈夫ですよ」
私は未来に置いていかれたのだから。そんな私がわざわざ死ぬわけがない。私は彼女の言葉に縛られている。彼女の言葉を否定するために、生きている。
手すりにもたれかかるように座り込む。後輩は私にすがりつき、泣きじゃくっている。しかたないので彼女の頭や背中を撫でてやる。まったくこれでは動けない。
まだ日が暮れるにはもう少しあるかもしれないが、町からは遠い場所だ。この後輩の安全は確保しないと。面倒だ。
「落ち着きました?」
しばらく経過したころ私は声をかけた。
「はい。すいません。久城先輩までいなくなったらって思ったら、いてもたってもいられなくて」
そういうと彼女は眼の端を拭う。同じことを考えまた泣きそうになったのだろう。まったくそれでは生きるのが大変ではないだろうか。
なんて言葉。未来が私に言っていたものだ。曰く「久城日和は生きにくい生き方をしている」と。その時は余計なお世話だと思ったけど、同時にそれをわかってくれている友人がいる私はついているとも思った。
「さぁ帰りましょう」
私は手すりを使って立ち上がると彼女に手を伸ばした。
じっと見上げてくる彼女にイラつくようにこぼす。
「あなた帰らないんですか?」
私の言葉に彼女は素早く立ち上がる。まるでとても大切なもののように手を握られてしまう。私は無理やりその手を引きはがしたのは、なんだか気恥ずかしかったからだ。
「先輩は死ぬためにここにいたんじゃないんですか?」
「違いますよ。私は答えが欲しかっただけです」
きっと彼女にはその意味は分からない。いや私にだってわからない。私が知っているのは、「私の勝ちね」と笑って飛び降りた未来のことだけなのだから。未来の気持ちなんてわからない。最初からずっとわからない。けどわからなくても私たちは友達だった。未来はすごい奴だった。だから私は負けたくない。未来の友達だから、彼女に負けたくないから、未来に死んでほしくなかったから、私は未来の言葉を否定する。
「探さないんですか?」
手をつないだ彼女が私を見上げていた。
探す。それはどこに。誰に。けどここじゃない。心がざわついた。
「そういえばあなた名前は?」
私は動揺を隠すように彼女に尋ねた。それはさらに私を困惑させることになる。
「私は御影愛真といいます。お姉ちゃんはどうして死んだんですか?」
御影未来は秀才だった。校内でも指折りで、容姿も能力もすべてが凡人を超越していた。一方の私は私に望むものに届かせるのが精一杯だった。同じ地平には立っていた。だけどその場所にたどり着くまでの道程はまったく別物だったのだろう。私は私にできる精一杯であの場所にいた。けど彼女はどうして私以上の力があるのに、同じ地平にいたのだろう。
未来は優れていた。だけど敵わないとは思いたくなかった。彼女より下と認めることは彼女を慕う子たちと一緒になるみたいでいやだった。私は彼女と対等の友達でいたかったから、絶対に彼女に負けたくなかった。認めていたし、尊敬していたところもあった。それでも私は。
ブーブー。
携帯電話が振動した。どうやら時間が来てしまったようだ。私は先ほどまで考えていたことを忘れるように顔を上げた。彼女が死んだ時刻よりはまだ早い。彼女が私の前で落ちたのは夕方の六時十四分。もしかしたらちょっとは進んでたかな。
さてとそろそろ移動しよう。人を待たせるわけにはいかない。歩を進める先は昨日も行っていたあの橋の傍だ。教師から小言があったが、気にしない。高校三年がそんなもの相手にするわけがない。彼女を助けられなかった、私も先生も大嫌いだ。そういえば、未来はこんなことを言っていた。
「無知は腹立つ。無理解も苛立つ。無能は、そうだね。気が立つ。全部あてはまるのが教師だよ。怒りの理由は子どもじゃなくて先生にあるんだよ」って。私の否定の言葉は、「彼らは偶然たまたま正解したから生徒に信頼されてるだけ」と笑って答えられた。
まったく笑えない言葉だ。だけどそれは的を射ている。信じたいと思うから、正解を探して理由にしようとする。今の私からすれば、彼らはみな彼女を死なせた罪人だ。もっともその理屈でいえば一番罪深いのは私なのだけど。
人の感情をそんな簡単に割り切れないのだ。八つ当たりぐらい許してほしい。
考え事をしていると目的地に到着した。橋の近くには先客がいた。
存在だけは知っていたが、こうして会うのは初めてだった。御影愛真。未来と今。その下がいたら過去なのだろうか。そのネーミングセンスはよくわからない。
「お待ちしてました。もしかしたら避けられるかもしれないと思ってました」
「大丈夫。答えが見つからなくて困っていたのは私もだから」
そう。ほぼ毎日ここに来ていた。だけど私は未来の最後の言葉の意味が分からない。少なくとも勝った人間はあんな風に口にはしない。
「ねぇえーと愛真さんはどう思ってるの?」
「愛真でいいです。私はお姉ちゃんは死ぬような人間じゃないと思ってました」
礼儀正しいけれど、つまらない答えだった。みんな本当にそうだと思っているのだろうか。御影未来は死ぬべき人間ではない。その通りだ。だけど御影未来は死ぬ理由のない人間なのだろうか。彼女の死には何か理由があるはずだ。だからわからないし、知りたいのだ。彼女の死が何のためのものだったのか。
「あの先輩はどう思ってるんですか。そのお姉ちゃんのこと」
「理由があったから死んだんだよ。私はそれが知りたいだけ」
冷静に思いを口にしたつもりだったけど、気が付くと右手を痛いほど握りしめていた。思わずその手を眺めて考えてしまう。私は悔しいのかな。
「怒ってるんですか?」
「怒ってるのかもしれません」
そう答えたけど本当だろうか。私の怒りは誰に向けているものなのだろう。彼女が落ちた橋を見る。
「バカ」
未来はバカだ。頭がいいくせにバカだ。どうして私にあんな言葉を残した。どうして置いていったんだ。私とあなたは親友じゃなかったの。
「あの久城さんにとってお姉ちゃんはなんだったんですか?」
慌ただしく表情を変える私に困惑したのか、御影愛真は恐る恐る尋ねてきた。私は気持ちを落ち着け、橋に背を向け彼女を見る。
「とても大切な友達よ」
言って後悔した。目頭が熱くなって、思わず似合いもしない涙を流しそうになった。
「本当だったんだ」
愛真は短くつぶやいたが、私は自分の感情の整理するのでいっぱいだった。
「ごめんね」
私は思わずそう謝罪を口にした。
「いえ私もごめんなさい。久城さんのこと試していました」
気が付くと彼女の表情は冷たい。白く能面のようで感情が見えない。
「あなたは?」
御影愛真。未来の話で聞いたことある。未来と違って平凡だけど良い子だと。未来は彼女のそんなところを羨ましがっていてなんだか不思議だった。
そんな彼女は未来が、姉がなくなって何を思ったのか。
「悲しく思えませんでした。昔からなんです。私には感情の絶対数が足りない。お姉ちゃんが死んだのに私は、何も思えなかった」
「それって何かおかしいことなの?」
自分の罪状を読み上げるように話すのを遮る。
「悲しく思えないとか、足りないとか。別に気にしなくていいと思うよ。だって人が死んでるんだもん。いちいちそんなこと気にしなくていいよ」
人が死んだら、それで死んだだけなんだから。私の喪失は一生埋まらないし、代わりなんてものはいらない。彼女は無価値に死んだ。だから私は未来の言葉を否定する。彼女は死んでも勝っていない。死ぬ必要はなかったんだと言ってやりたいんだ。
なるほど。自分の目的はよくわかる。
「強いんですね」
「別に。弱いよ。未来には負けてばっかりだったし。負け越したつもりはないけど」
そう口にするところが負け惜しみみたい。未来がいなくなって退屈なのは、彼女が私の宿敵だったからかな。向こうもきっと同じ。相思相愛だったらいいな。
「あぁだから久城さんはお姉ちゃんの友達だったんですね」
そう口にする彼女は安堵しているようだった。
「どういう意味よそれ」
「お姉ちゃんに負けない人じゃないと友達になれません。私は申し訳ないし、生き辛いですよ」
優秀な姉がいるからの言葉だろう。
「なんとなくわかる。だって未来は努力したとこ見たことないもん。まったく私がどれだけ頑張ってるのか知ってたくせにね」
なんだか愚痴みたいになってしまった。
「そうなんですか。久城さんもお姉ちゃんと同じタイプだと思ってました」
「何よそれ」
「天才型?」
「そんなんじゃないわよ」
私はただの努力型。諦めもほどほどによく限界もよく見えてた。
「未来が私の手の届く場所にいてくれたのよ」
負けたくないと思うけど、その言葉は自然とこぼれた。未来はきっと本気になれば何にでもなれた。
「あなたは何型なのかな?」
興味本位で聞いてみると、御影愛真はさきほどと同じように感情のない顔で、
「私は怠慢型ですよ」
と答えた。
「あるいは逃避型。今ならわかります。私はお姉ちゃんに死んでほしかった。私のお姉ちゃんとして生まれてきてほしくなかった」
「そうなんだ」
私はそれだけ答えた。気持ちはわかる。目の端に涙を浮かべ、話す彼女が本気で未来の死を望んでいたわけじゃないことはわかった。
似たことを未来も言っていたことを知ったらどう思うのだろう。
「生まれる子供は家族は選べない」
「そうですね。その通りです」
涙をぬぐい同調する彼女に告げる。
「これ未来の言ってたことだよ」
「……」
すると彼女は絶句した。目を丸くして、困惑していた。
「もしかしたらあなたのことを言ってたのかもね」
私は何気なくそう言うと彼女は短く否定する。
「違いますよ。お姉ちゃんはそんな弱くない。だからそんな弱いこと言わない」
「けどさっきのは未来が言っていたことよ」
このままでは平行線だ。誰にだって見えない側面はある。御影愛真と未来がどんな姉妹だったのか、家族だったのか私は知らない。
「やっぱりお姉ちゃんはよくわかりません」
そこで彼女は今日初めて寂しげでどこか柔らかい表情を浮かべた。
「私のお姉ちゃんはなんでもお見通しで、私のこの不安も臆病さも全部知ってて何もしなかった。知らないフリをずっとしてくれていたことを私は知っているんです。いいお姉ちゃんじゃなかったからもしれないけれど、私にとっては特別でした」
彼女の両目の端から涙がこぼれた。なるほど。未来の言っていた通り彼女は優しい子だ。彼女自身が自分のことをどんなふうだと思おうと、彼女は人の気持ちに敏感で臆病な生き物だ。自分が傷ついてでも、自分の本性を守ろうとするなんておかしくて可哀想なんだろう。未来はきっとそこが可愛く思ったのかもね。未来はみんなが言うほど良い子ではない。力があるから容姿がいいから。持てはやされてはいたけど、ストレスもある普通の子供だった。
「ねぇ御影愛真さん」
「はい?」
「二人で探しに行きませんか?」
この言葉は嘘かもしれない。私はある人物に会うために彼女を利用したいだけだ。彼は私と会うことを嫌がるから。
「あなたのお姉さんの、未来が死に向かった理由」
あぁ私は嫌な奴だ。自分の内側を吐露した彼女の答えなんてわかってる。
「はい。探したいです。だってお姉ちゃんよりも死ぬべきなのは私だったから」
暗く冷たくそれでいて疲れた目。きっと未来は彼女の世界を優しく照らす光だったんだろうな。自分の心の内側を知られている。それは決して気持ちのいいことじゃないけど、人と繋がっていることを感じさせてくれることだ。
「うん。ありがとう」
じゃあ進まないとね。私は未来の言葉の意味を知りたいんだから。




