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エンドリア物語

「ウサギ・ラプソディ」<エンドリア物語外伝29>

作者: あまみつ

「これはひどいな」

 区画された庭園、その奥にそびえる石造りの豪華な屋敷。

 金をふんだんにかけて作られた人里離れた離宮は、人の手が入らなくなってかなり経つらしい。植えられた樹木は枝をのばし、下草は生え放題。道にひきつめた煉瓦は、所々割れている。

 今回の依頼はルブクス魔法協会からのものだった。

 離宮に住み着いた魔物を退治してほしい。

 桃海亭に依頼するまでに、かなりの数の冒険者や魔術師、聖職者を投入したらしい。しかし、魔物に返り討ちにあい全員重傷を負った。死亡者がでないうちに桃海亭に退治させようということになったらしい。

 もちろん、断った。断ったオレに、エンドリア魔法協会支部長のガガさんは聖なる力があるという銀槍を一本渡すと『引き受けたと魔法協会に言っておくから』と言って逃げてしまった。

「魔法協会からの情報では吸血鬼ということでしたが違うようです」

 漂っている記憶から情報を聞いていたシュデルが、屋敷の正面を指した。

「獣形の魔物のようです」

「魔法協会からの情報は、昼間は姿を表さない、日光に弱いらしい、屋敷の壁に自由に出入りできる、聖なる武器を嫌う、狼の形に変形できる、だったよな」

「その狼が本来の姿のようです」

「日光に弱いは正しいのか?」

「弱いかはわかりません。好まないのは、本当のようです」

 太陽はちょうど真上。

 いま屋敷に入っても魔物はでてこない。

「やるか」

「やるしゅ」

 オレとムーで確認する。

「何をですか?」

 不思議そうなシュデルに、屋敷とは逆の方向を指した。

「あっちを見張っていてくれ」

「あちらには何もないようですが」

「しっかり、見ていてくれ」

 強い口調で言うと、シュデルは屋敷に背を向けた。

 オレは屋敷を見ているムーの隣に立った。

 銀の槍を持ち直す。

「準備はいいぞ」

「いくしゅ」

 ムーの手から魔法が放たれた。

「ヘルファイヤー」

 地獄の業火は屋敷を包み、石造りの壁まで溶かし始めた。

 飛び出してくる狼形の魔獣。

 ムーを止めようと真っ直ぐに駆けてくる。

 その額に向かって、オレは力の限り槍を打ち込んだ。

 甲高い悲鳴、粉になって散っていく身体。

「よっしゃ、終わった」

「うまくいったしゅ」

「なに考えているんですか!お屋敷溶けちゃったじゃないですか!」

 高熱にさらされ、溶岩のようにドロドロになっている。

「帰るぞ」

「急ぐしゅ」

「庭に火が」

 溶岩がゆっくりと庭のほうに広がっていく。

 オレはムーを小脇に抱えると、屋敷に背をむけて駆けだした。

 ついてくるシュデルは庭が溶岩に飲み込まれていくのが気になっているようだ。

「水魔法で消すのはどうでしょう?」

「ムーにやらせたら洪水になるぞ」

 火が燃える勢いが早い。

 走るスピードを上げる。

「このままだと庭から森に火が燃えうつります」

「安心しろ、計算のうちだ」

「有効な手を打っているのですね」

「このあたりに人はいない。周りは川に囲まれている。燃えても川までだ」

 ホッとしているシュデル。

 燃える面積が王都ニダウの2倍くらいだということは黙っておく。

「急ぐぞ」

 草に覆われた道をひた走った。川が見えてきたときに、ようやく足を止めた。

「シュデル、大丈夫か」

 声をかけたが返事がない。

 ふりむいた。

 シュデルがいない。

「おい、ムー」

「いないしゅ」

 ムーも気づかなかったようだ。

 火がここまで達するのはもう少しかかるだろうが、煙に巻き込まれると危ない。

 抱えていたムーをおろした。

「ここで待っていてくれ」

「わかっ…」

 そこで言葉を止めた。

 ムーの視線はオレを通り過ぎて、その後ろにあるものを見ている。

「どうした?」

 振り向いたオレがみたのは、小さな小さなウサギ。

 真っ白なウサギがオレに飛びついてきた。

「わっ!」

 慌てて受け止めた。

 両手であわせると、ちょうど乗るサイズ。

「ハミングラビットしゅ」

 希少種でオレは初めて見るが、噂だとハミングをするらしい。

 火が回り始めた山に戻すのは危ない。

 ムーに手渡した。

「逃がすなよ」

「まかすっ…わっしゅ」

 ムーの手から飛び降りた。

 そして、小さな毛の生えた手で地面に何かを書いた。

「しゅ、しゅでる…シュデル!」

 ウサギがコクコクとうなずいた。

「本当にシュデルなのか?」

 ちいさな手でまた地面に書いた。

「紙の、ようなものを、踏んだら、うさぎになった」

 ムーを見た。

「ありましゅ。人を動物に変える魔法」

「じゃあ、こいつは本当に」

「ゾンビ使いしゅ」

 ウサギがムーの足をキックした。

 間違いない。

「よし、逃げるぞ」

 ウサギを右手につかみ、左腕にムーを抱えた。

 走り出して、同じようなことがあったことを思い出した。

 ロラム王宮、シュデルと初めてあったときも、ウサギとムーを抱えていた。

 ウサギの白い毛の色も同じ。

 違いはとウサギをみると、ウサギもオレの方を見ていた。

 銀色の目。

「どうかしたしゅ?」

「目が銀色だ」

「ゾンビ使いでしゅから」

「だったら」

 銀の目、漆黒の髪。

「なぜ、黒ウサギじゃないんだ?」




「かわいぃー!」

「見て、見て!」

 隠していたマントと荷物を回収して、街に戻った。

 飯を食ったら、ニダウに向かって出発する予定だ。

 ウサギ連れなのでカフェテリアの路面の席で、ハンバーガーとジュースを頼んだ。空いている隣の席に荷物を置いて、シュデルを乗せた。

「ハンバーガーにはさんであるレタスをやるからな」

 うなずいたシュデルは毛繕いをはじめた。

 通りすがる人がシュデルを見て、歓声をあげる。

 何人もの女の子に「触ってもいいですか?」と聞かれた。「触られるの嫌いだから」と言って断った。

「うさぎのくせ、なまいきしゅ」

 ムーが指先でウサギの頬をグニュと押した。

 次の瞬間「ギャーー!」と悲鳴を上げた。

 短い指にくっきりと歯形。

 齧歯類をなめるからだ。

「ハミングラビットっていうくらいだから、歌えるんだろ?」

 無視された。

「音痴しゅ」

 無視。

「そういえば、シュデルの歌声を聞いたことないな」

「音痴しゅ」

 小さな前足で長い耳をなぜている。歌えるのかは別として、歌う気はなさそうだ。

「本当にシュデルなのか?」

 ウサギがうなずいた。

「動物に変化する魔法は、ルブクス大陸ではラダミス島の賢者カウフマンが研究していましゅ」

 そういえば、卒業試験の時にトカゲに変身したという話を聞いた。

「連れて行けば、なおしてくれるのか?」

「たぶん、しゅ」

 元に戻せる見込みがたったせいで、気がゆるんでいた。

 オレ達の近くを影が走り抜けた。何気なく荷物をみると、シュデルがいなくなっていた。走って逃げていく男。

「待ちやがれ!」

 追いかると男はそばの店に飛び込んだ。続いて、飛び込む。

 いない。

 雑貨店に店主らしき男がひとり。

「男がはいっただろう」

「後ろのドアからでていったよ」

 親指でクイッと後ろを指す。

 急いで扉を抜けた。

 いない。

 通りには多くの人があふれていたが、右にも左にもオレが見た男の姿は見えなかった。

 カフェに戻ると頼んでいたハンバーガーとジュースが運ばれた。ウサギを盗られたと知ったウエイターは「高額で取り引きされるハミングラビットをこんな場所に置く方が悪い」と言った。盗まれたウサギは明日にはどこかの大商人か貴族に渡っているだろうと。

 まずい。

 非常にまずい。

「大丈夫しゅ」

 ムーがやけに自信ありげだ。

「ボクしゃん、広域探索召喚獣呼べましゅ」

「呼べ、すぐに呼べ」

「ここでしゅか?」

 人が多すぎる。

「町外れに空き地があったはずだ。あそこに移動しよう」

 受け取ったハンバーガーをくわえ、ジュースを持ち、オレ達は駆け足で空き地を目指した。

 後ろから「グラスは持って行くなー!」というウエイターの怒鳴り声が響いた。




「いったか?」

「まだしゅ」

 オレとムーは街道の茂みに、腹ばいになって隠れていた。

 シュデルを追う時間が惜しいのに、すでに2時間近く足止めだ。まもなく、日が暮れる。

「見つかったか!」

「こっちにはいない!」

 ムーが召喚に失敗するのはいつものことだが、今回間違って呼んだ召喚獣は少し、いや、かなり問題があった。

「いたぞ!」

「こっちにくる!」

「逃げろ!」

 問題のある召喚獣を呼ぶたびに、その街の人達から追われていたオレ達だが、今回だけは違う。

 オレ達も召喚獣から逃げている。

 それも、真剣に。

「わぁ、助けてくれ!」

 誰かが召喚獣に捕まったらしい。

 大きさは2メートルほど。

 ダチョウによく似ている。

「うわああーー!」

 捕まった奴の悲痛な声が聞こえる。

 オレ達が呼んだ偽ダチョウ召喚獣は、獲物をみつけると頭をパックリとくわえる。少しして、ペッと吐き出す。吐き出された被害者は、頭髪がなくなっている。輝けるスキンヘッド、丸ハゲになっている。

 狙われるのは男ばかり。

「食べられた奴、髪が生えるといいな」

「はいしゅ」

 生えなければ、魔法協会から呼び出しを受けて、受けて、その先は怖くて想像できない。

「はやくどこかにいってくれ」

 偽ダチョウ、とにかく、足が速い。細くて長い足をフル回転させて走る。

 疲れることがないのか、召喚されてからずっと町中や街道を走り回っている。

「こっちこっち」

 若い女の声がする。

「待っておくれよ」

 今度はちょっと年輩の女性の声だ。

「網を持ってきたわ」

 別の若い女性の声。

「これなら、大丈夫」

 最初の若い女性の声。

 そっと茂みの間から外をのぞき見た。

 十数人の女性が集まっている。針金で編んだ大きな網を手に、偽ダチョウを捕まえる相談を始めた。

 主導しているのは、最初に「こっち、こっち」と言った若い女性らしい。18、9歳で茶色い髪をポニーテールにしている、小柄だがキビキビト動き、元気ではじけそうな感じだ。

「どこにいるかわからないけど」

「すぐに来るわ。みんなが言っていたの。このあたりをよく通るみたいだって」

 このあたり、ということは、偽ダチョウがオレ達を探している可能性がある。

 思わず、両手で頭を押さえた。

 絶対にハゲたくない。

 場所の移動を考えたとき、偽ダチョウが走ってくる音がした。

 女たちが網を広げた。左右の端を3、4人で持つ。

「今よ!」

 駆けてきた偽ダチョウに網で包み込むように捕獲した。ポニーテールのかけ声で絶妙のタイミングだった。

 が、押さえつける力が弱い。

 跳ね回る偽ダチョウ。

 網を押さえている女たちが、ひとり、また、ひとりと脱落する。

 集まっている男たちは遠くから見ているだけ。

「誰か、手伝ってよー」

 ポニーテールの叫び。

 オレは旅用の革のマントを手に飛び出した。

 ジャンプして、偽ダチョウに飛び乗り、コートを頭に巻き付けた。

 足で偽ダチョウの胴体を締め上げ、首に腕を回し締め上げる。

 異次元召喚獣に物理的な攻撃はきかない。動きをとめるしかない。

 視界をうばわれた偽ダチョウは、しばらく暴れていたが、諦めたように動きをとめた。

「ありがとう」

 汗にまみれた顔でポニーテールが微笑んでいた。

「あなたが来てくれなければ逃げられていた」

 きっちりとまとめていたポニーテールが乱れてほつれている。

 真っ直ぐにオレをみる瞳が、感謝で輝いている。

「オレが巻き付けたマントの上から何か巻いて、外れないようにしたほうがいい」

「わかったわ」

 茂みから、はいだしてくるムーが見える。

 オレは偽ダチョウから降りると、ポニーテールに引き渡した。

「3日間、どこかに閉じこめておけば勝手に消える」

「えっ?」

「じゃあ、あとは頼んだ」

 町外れに向かって駆けだした。

 途中でムーを回収する。

「あ、あいつだ!」

「あのチビがこのダチョウを召喚したんだ!」

「捕まえろ!」

「オレの髪を返せ!」

「ちょっとー、待ちなさいよ!」

 街の男たちに混じって、ポニーテールも怒った顔で追いかけてくる。

 やっぱり、街のやつらにも追われるんだなと思いつつ、走る速度を上げた。

 日は落ち始めている。

 気温も下がり始めている。

 そして、オレは旅用マントを失った。




 日は落ちていたが、探索召喚獣を呼ばないといけない。

 街道に平行する山道の歩きながら、月明かりを頼りに呼べそうな場所を探した。

「ここでやるしゅ」

 泉のほとりに小さな広場を見つけた。

 街の人々が使っているらしく、手入れがされている。

「いきまーしゅ!」

 オレと出会った頃は失敗率90パーセントだったムーだが、去年は80パーセントにまで下がった。成功は5回に1回。

「きたしゅ」

 だから、2回目で成功は運が良い方だ。

「これしゅ!」

 自信満々のムーが指したのは。

「カニ?」

「カニじゃないしゅ!」

 ムーは否定したが、カニ以外には見えない。

 はさみをのぞいた身長は30センチほど。

 飛び出した目玉も、左右に4本ずつある細い足も、カニにそっくりだ。

「シュデル、探すしゅ」

「どうやるんだ?」

 カニがハサミを開いた。その間に薄い膜のようなものがひろがる。

「条件を言うしゅ」

「条件?どういうことだ」

「茶色の髪の男の人」

 ムーがいうと薄い膜に埋め尽くすほどの光点が浮かび上がった。

 ルールは飲み込めた。

 シュデルには特徴があるから楽だ。

「銀の光彩の男」

 浮かび上がったのは、3つ。

 固まっている。

「ダメしゅ。ここロラムしゅ」

 海岸線らしい細い線を短い指がなぞる。

 ロラム王宮にいるシュデルの父親や兄弟だろう。

「銀の光彩のウサギ」

 出るとは思わなかったが、光点が1つ、くっきりと浮かび上がった。

 場所は、先ほどの3つの光点と同じ場所。

 まさかと冷や汗がでる。

 地図を見ているムー。

「ヤバヤバしゅ」

 何がと聞き返す必要はない。

 ムーが断言した。

「シュデルはロラム王宮にいるっしゅ」



 ロラム王宮に忍び込んだことはある。ドアネ公国の手引きがあったからで、オレ達2人で忍び込む技術はない。

 時間がかかっても良いならば、色々と手だてはある。5日後に帰ってくるモジャに頼むこともできる。だが、今回はモジャを待つ時間はない。急いでシュデルをロラム王宮から連れ出さなければならい。

 ウサギの姿だと人と気がつかず危害を加えられる恐れがある。それよりも怖いのは、ロラム王宮内で変身魔法が解けて人に戻ってしまうことだ。ロラム王宮でシュデルは自由を許されない。よくて石牢、最悪殺される。

 至急、ロラム王宮から連れ出さなければならない。しかたなく、忍び込む技術のある助っ人を頼むことにした。

「つまり、シュデルはウサギになって、そのウサギになったシュデルを盗まれて、ウサギのシュデルはロラム王宮にいる。それで間違いない?」

 ララが微笑んでいる。

 怖い。

 怖すぎて返事ができず、オレもムーもコクコクとうなずいた。

 次の瞬間、壁に背中から叩きつけられていた。腹にいれられた強烈な蹴り。壁からズルズルと崩れ落ちるオレの襟首をつかんでララは引きずり起こした。また、腹に蹴りを入れる。

「いったい何をしていたのよ!」

 聞かれても返事ができる状態じゃない。

 視界の片隅に逃げようとしているムーが見えた。

 ララも気づいたらしい。

 オレを地面に放り投げると、ムーの方にゆっくりと歩み寄った。

「イヤしゅー!」

 背を向けて走り出したムーの背中に、ララの足が伸びた。

 ムーが吹っ飛んだ。

 10メートルくらい先に着地して、ゴロゴロと転がった。

「わかったわ。一緒にロラム王宮に行ってあげる」

 了解してくれるなら、オレ達を蹴ることはないんじゃないかと思うが怖くて口にはできない。

「見取り図をあとで見せてあげるから、覚えてね。それから、王宮内でシュデルを探すのは私がするから。あなた達は足手まとい」

 オレもムーも転がったまま、うなずく。

「見つかったら、私がシュデルを連れて出るから」

 探すのもララ、連れ出すのもララ。

 オレ達が王宮に忍び込む必要性がないような。

「ウィルはムーを連れて、王宮内の庭で待機してくれる?」

「何をすればいいんだ」

「何もしなくていいわ」

「へっ?」

「私と一緒に忍び込んで、庭にいてくれればいいわ。無事に脱出したら合図を送るから脱出して」

 おかしい。

 ララにしては優しすぎるプランだ。

 シュデルを危険な目にさらしたオレ達に、楽なミッションをさせるはずがない。

「あの、ララ」

「質問はなし」

 ピシャリと切られた。

 笑顔なのは変わらない。

 最近のララのシュデルへの接し方は、過保護ママ×溺愛姉のレベルに達している。

 絶対に裏がある。

 裏があるとわかっても、オレ達はララの思惑に乗るしかない。

 ララが奥の部屋からロラム王宮の見取り図をもってきた。それをオレ達に渡す。

 にこやかに微笑んでいるララ。

 それなのに、声は氷のように冷たい。

「ウィル、ムー。さあ、ロラム王宮に行きましょう」




 エンドリア王国からロラム王国までは馬で1ヶ月かかる。この距離を数時間で移動する方法がある。大型飛竜だ。

 王族などの特権階級のみが所有を許されている大型飛竜は、大型飛竜専用の空路を使用する場合に限り、通過する国の許可を得ることなく自由に飛ぶことができる。オレ達庶民には縁のない代物に思えるが、実は抜け道がある。登録されている大型飛竜であれば、一般庶民だけでも乗ることができる。商人が高額な輸送料を大型飛竜の所有者に払い、短時間で遠方まで荷物を送ることもされている。

 オレ達が遠方に移動する時、モジャに頼めない場合にはムーの飛翔魔法を使う場合が多い。だが、今回シュデルを急いで救出しなければならないことを考えると、ムーの飛翔魔法はリスクが大きすぎる。しかたなく、特権階級所属のアレン皇子に助力を求めた。アレン皇子は事情も聞かずに快く引き受けてくれた。別れ際に「また、桃海亭に恩を売ってしまった」とうれしそうに笑っていた。

「乗り心地はいかがでしょうか?」

 恐る恐るといった様子で、オレ達に聞いてきたのは大型飛竜の操舵者。エンドリア飛竜隊のロバート・ガードナー。

「とても快適です」

「いいしゅ」

 今回、ロラム王国には降りられないので、隣のドアネ公国に連絡を取って、着陸の許可をもらった。国の西側、ロラム王国に近い競技場に着陸する予定だ。

「クッションのある椅子に座っての移動は、初めてかな」

「初めてしゅ」

 オレ達のいつも移動手段は、忍び込んだ荷馬車の硬い板の上で揺られたり、怪しげな異次元召喚獣の上に乗ったり、全力でひたすら駆けたり、痛い、厳しい、苦しいがつきまとう。柔らかなクッションの椅子は、快適すぎるほどだ。

「2人とも、いつも何しているのよ」

「古魔法道具店」

 オレとしては正しい答えを言ったつもりだが、ララは額を押さえた。

「ろくでもない依頼を引き受けているのは知っているわ。あちこちに顔を売っているのも聞いている。それにしても、エンドリア王室から飛竜を借りてきてドアネ公国に降りさせてもらえるのを、半日たらずで手配できるなんて、普通ありえない」

「そうか」

「そうよ、今なら幻のディンゼア族に会ったと言っても驚かない気がするわ」

「会ったしゅ」

 慌ててムーの口をふさいだが、ララはあっけにとられた顔でオレ達を見ている。

「まさか、本当に会ったの」

「古魔法道具店の仕事には色々とあるんだよ」

「会ったの?」

 オレはララに頭を下げた。

「すまん、聞かないでくれ」

 極秘中の極秘の依頼でディンゼア族に会った。ディンゼア族のトラブルにムーの魔術師としても力とシュデルの情報収集力が必要だったからで、オレは単なる付き添いだ。

「信じられない」とつぶやいた後、オレの胸ぐらをつかんだ。

「もし、シュデルが怪我でもしたら、どうするのよ。命にかかわるような場所には連れて行ってないでしょうね?」

 相変わらず、オレとムーはどうでもいいらしい。

「連れて行っていない」

 断言する。

 魔法協会とか、王宮とか、評議会議事堂とか、文書保管所とか、各国の要人達が情報漏れを心配する場所には連れて行っていない。どうしてもシュデルの能力が必要で連れて行く場合は、先に許可を得ている。

「今回は信じてあげる」

 ポイッと投げ捨てるように手を離した。

「でも、連れて行っていたのがわかったときには、どうなるかわかっているわよね?」

「信じてくれて大丈夫だ。オレは連れていっていない」

 他の依頼についてはよほど危険でない限り、シュデルに自身で決めさせる。

 オレが連れて行くのではなく、シュデルがついてきているのだ。

 飛竜が高度を上げた。

 座席には木枠と布で覆いがされているので風は当たらないが、気温の低下は防げない。旅用の革のコートをなくしたオレは寒さをしのごうと身体を丸めた。そして、見つけた。

 オレは寒さをこらえて、操縦席にいるロバート・ガードナーところまで行った。

「席の下に毛布みたいのがあるんだけれど、借りていいかな?」

「王族専用の毛布ですので、使用を許可できません」

 きっぱりと断られた。

 断ったあと、オレを見たガードナーは驚いた。

「その服装で寒くありませんか?」

「寒い」

 ガタガタと震えがとまらない。

「そこに予備の騎乗服があります。よろしければ、お使いください」

「ありがとう」

 壁にかかっていたコート型の騎乗服を着た。

 暖かい。

 表は布地だが、裏はモコモコの毛皮になっている。こんなに暖かい服を着られる日がくるとは思っていなかった。

 席に戻って暖かさを噛みしめた。

「ウィル」

 ララが冷たい目で見ている。

「それ、暖かい?」

「暖かい」

「いつも着ているコートはどうしたのよ?」

「なくした」

 地上に降りれば、気温は上がる。コートがないと寒いが耐えられないほどではない。

 いまのうちに至福を味わおうと、モコモコの襟に顔を埋めた。

「よろしければ、お持ちください」

 操縦席からロバート・ガードナーの声が聞こえた。

「今なんて言った?」

「コートがないと今の季節は厳しいと思います。叔父のレナルズ・ガードナーからも、お二人に便宜をはかるよういいつかっております」

「レナルズ・ガードナー、って、巨大ミミズ事件や土地の魔力をなくした事件の時に会った飛竜隊の人だよな」

「覚えていてくださったのですね。叔父が知ったら喜びます」

 会ったのは、ダイメンから飛び去るとき、オレ達をあきれたような顔で見ていたのが最後だ。

 オレ達に好印象をもっている様子はなかったが、とにかく、レナルズ・ガードナーのおかげで、オレはモコモコ上着を手に入れた。

 これだけ、暖かければ、布団の代わりになりそうだ。

 顔をうずめるとモコモコで眠くなりそうだ。

「クリーニングは王宮前のアデラクリーニング店でお願いします。飛竜隊がいつも使っているクリーニング店なので、そこに渡していただければ、飛竜隊に届きますので」

 くれるんじゃないんだ。

 オレは口まで出た言葉を飲み込んだ。

「クリーニング代は毛皮を使っているので少々高いと思いますが、この先、その服だけでは寒いでしょう」

「わかりました。お借りします」

 ロバート・ガードナーは、いつまでとは言わなかった。

 どうせクリーニング代を払うなら、長く借りた方が得だ。

 オレは来年の春まで借りることにした。



「ここが中庭。私が合図するまでここにいてね」

 手入れされた樹木がバランスよく配置され、焼いた煉瓦で作られた道に沿って、彫刻や噴水などが置かれている。

 ドアネ公国についた後、ララの案内は迅速かつ正確だった。用意されていた馬で地図にない道を使ってロラムに入り、そのあと、王宮近くの森の奥から、地下にもぐった。迷路のような細い穴を地図も明かりもなしに走って誘導し、オレ達を王宮内部に侵入させた。

「本当に、ここは中庭なのか?」

 オレ達が渡されたロラム王宮の見取り図には、こんな中庭はない。

「私を疑うの?」

「この地図だと…」

 渡された地図をララに見せた。

「これ、ロラム王宮の地図じゃないわ」

 笑顔のララが「間違えたみたい」と言って、地図を握りつぶした。

 背中に冷や汗が流れた。

「ララ、オレ達はそろそろ帰ってもいいか?」

 今なら、来た道を戻れるかもしれない。

「なぜ?」

「オレ達がいると、足手まといだろ」

「ねえ、ウィル。私がシュデルを助けるわよね、その後、王宮はどうなる?」

「いなくなったウサギを探す」

「王宮側が最初に考えるのは?」

「ウサギの盗難」

「私がウサギを連れて、安全に逃げるために必要なのは?」

 答えはオトリ。だが、オトリが正解だとすると、ララが前に言っていた『何もしなくていい』と食い違うことになる。

 笑顔のララがオレに顔を近づけた。

「ウィル、ここから絶対に動かないでね」

「もしかして」

「ウサギを盗んだら、私の仲間が中庭に不審者がいると騒ぐことになっているの」

「やっぱり、オトリかよ」

 宵闇に立つララがわずかに唇の両端をあげたのが見えた。

 ララの狙いが読めた気がした。

「脱出したら、合図をするから」

「合図は青い照明弾で間違いないな?」

「東の空にあげるから、チェックしていて」

 そう言うと笑顔のララは闇に消えた。

 オレとムーは顔を見合わせ、うなずいた。すぐに周辺を調べ始めた。

 シュデルを確実に逃がすためには、オトリはいたほうがいい。問題はオトリをした後だ。今のうちにオレ達がこの王宮で捕まらないで方法を探さなければならない。

 オレもムーもわかっていた。

 脱出の合図は絶対にあがらない。

 いま何もしなければ、ララの目論見が成功する。

 逃げ場を失ったオレとムーは、監獄行き。ロラム王国としては、シュデルをひとり放置するわけにはいかないから、1、2ヶ月で監獄から出してくれるだろうが、その間ララは、オレとムーに監獄暮らしを味わせ、邪魔者がいない桃海亭のシュデルに頻繁に会える。

 ララにとっては、一石二鳥のプランだ。



 ララは中庭と言ったが、庭園のようだった。それもかなり広い。1時間ほど歩き回り、ようやくオレ達は捕まらない方法を手に入れた。そのあと、オトリをやるために見つかりやすく逃げやすい場所を探して、茂みをはいずるように探し回った。

 王宮の東側にあるテラスの辺りにさしかかったときだ。何かのメロディが聞こえた。歌のようだが、どこか違う。楽器でもない。オレとムーは茂みから顔を出して、音の出所を探した。

 音はテラスの部屋から流れていた。椅子に太った男が座り、その手には小さなウサギが乗っていた。

 そのウサギが歌っていた。

 口を小刻みに動かし、音を振るわせるようにして、メロディを奏でている。

 ウサギを手のひらに乗せ、歌を聴いている男にも見覚えがあった。1度だけ拝謁したことがある。ロラム国王12世、シュデルの父親だ。

 優しい眼差しでウサギを見ている。

 ウサギが歌い終わると、丸い指でウサギの背中を優しくなぜた。

「どこで覚えたのだ」

 ウサギを見ているのに、どこか遠い目をしている。

「懐かしい。アデレードが歌っていた子守唄だ」

 アデレード。

 シュデルの母親の名前、だった気がする。

「毎日、おなかの子供に聞かせるように歌っていた。産まれてから歌えばいいと思ったのだが、いま思えば自分の運命を知っていたのしれない」

 シュデルの母親はシュデルを産んだときに死んだ、と、ムーが言っていた気がする。

「あれほど楽しみにしていた子供をアデレードは抱くことは出来なかった。アデレードの亡骸を前に私は決意したのだ。アデレードの分もシュデルを愛してやろうと」

 国王が空を見上げた。

「それが、あの日、あのようなことがなければ」

 悲しそうな顔になり、手の上にいるウサギを見た。

「守れなかった。母がいないあの子には父である私しかいないというのに、アデレードの分も愛すると誓ったのに」

 ウサギを、顔の前にもちあげた。

「会いたい。会って、強く抱きしめたい」

 王の顔が、ウサギに近づいた。

「私の愛しいあの子は、はるか遠くのエンドリアという小さな国の桃海亭という古ぼけて壊れそうな店で働いている」

 王の顔とウサギの顔が、くっつきそうになった。ウサギは身体を引いて王から離れた。

 ウサギの目が半眼だ。不機嫌そうに見える。

「信じられないだろうが本当のことだ。ロラム王国の第五皇子が食事の支度に掃除に店番と毎日コマネズミのように働いて、食べるものといえばパンと野菜スープ、寝るのは木製のベッドで綿の布団、服だけは貰えるおかげでまともなものを着られているようだが」

 そういうとウサギの耳に口を寄せた。

「実はシュデルの服のいつも縫製している店に頼んで、私がデザインした服を一枚まぎれこませてもらったのだ。シュデルは着てくれているだろうか?」

 王の言葉にオレは思わず反応した。

「あれか」

「あれしゅ」

 ララが先日シュデルの服を持ってきた時、頼んだ記憶のない服が一枚入っていた。

 極上の布地で作られていたローズピンクのローブには、バラの刺繍が全面に施されていた。シュデルが『母が好きだったバラに似ている』と言っていたが、まさか、ロラム国王デザインの服とは思いも寄らなかった。もちろん、ローブは店に返品した。

「健康にも気を配っている。育ち盛りなのに野菜しか食べないのは体に良くない。だから、ベーコンの塊を私からだとわかないよう自然な形でプレゼントした」

「あれか」

「あれしゅ」

 オレとムーが魔法協会の依頼から帰ってくる途中、道に巨大なベーコンの塊が落ちていた。オレとムーは大喜びで店に持ち帰った。シュデルに見つかって、ニダウ警備隊に落とし物として提出させられた。高級ベーコンは落とし主がたくさん現れ、最終的にエンドリア王宮の晩餐に使われた。

「元気でいるとは聞いている。こうして絵姿も届けられている」

 言われて気がついた。

 ロラム国王のいる部屋の壁には、ぎっしりと絵が飾られている。真ん中に飾られているのは等身大の女性の絵だ。長い黒髪を結い上げ、白いドレスを着た美しい女性だった。シュデルと同じ顔をしているところをみると母親のアデレードの肖像画だろう。

 アデレードの肖像画が半分ほどで、あとの半分はシュデルだった。赤子の頃から幼い頃、3歳くらいから、いきなり、大きくなっている。店の前で掃除をするシュデル、買い物帰りのシュデル。ざっと見ても2、30枚はある。驚くのは、2週間前にララが持ってきた服を着て店番をしているシュデルの絵もあった。

「シュデルに会いたい。会って、抱きしめたい」

 ウサギの顔に自分の顔をつけると、ギュッと押しつけた。

 ウサギは小さな手で顔を押しやろうとしたが、国王は意に介さず頬をスリスリと擦り付けた。ウサギは諦めたように手を降ろした。

 しばらく、擦り付けたあと、顔の前にウサギをもってきた。

「銀色の目のウサギがいると情報がはいったとき、すぐに関係する機関に手を回した。苦労したが手に入れられてよかった。お前はシュデルによく似ている」

 また、自分の頬にギュッとウサギの顔を押しつける。

 ウサギのシュデルは、遠目でわかるほど不機嫌だ。父親とのスキンシップを楽しんでいる様子はない。

「お前の名前はシュデルにしよう」

 笑顔で国王が言った。

 ウサギの右足がピクピクしている。蹴飛ばしたいの我慢しているようだ。

 扉が開いて、侍従の服を着た男が入ってきた。

「準備が整いました」

「今、行く」

 国王の顔になったロラム王は、ウサギを金色の籠の中に入れた。鍵をかける。

「すぐに戻ってくるから、いい子にしているのだよ、シュデル」

 そう言い残して部屋から出ていった。

 王が部屋からいなくなると、ウサギは暴れ出した。籠の扉を何度もキックして、長い歯で棒をかじろうとした。

 扉が音もなく開き始めた。気がついたウサギは暴れるのをやめた。

 部屋に入ってきたのは、ララ。すぐに籠の中にいるウサギを見つけた。

 籠の鍵を開けて、中からウサギを取り出した。

「シュデル?」

 ウサギが一生懸命うなずくと、ララは顔をほころばせていた。

「ロラム王宮をでるまで、いい子にしていてね」

 そう言うと、着ていた革の服の前チャックを開けた。革の服に押さえられていた胸がオレの目に飛び込んできた。

 予想より、かなりでかい。

 そして、手に持っていた小さなウサギを、胸の間に押し込んだ。

 ウサギは出ようと暴れた。めちゃくちゃに暴れたが、押し込まれてチャックを閉められた。顔の先がようやく出るスペースしか開いていない。

「すこしだけ我慢していてね」

 ウサギに優しくいうとララは再び扉から姿を消した。

「ゾンビ使い、プププッしゅ」

「絶対に見たというなよ」

 オレはムーに釘を指した。

 シュデルのプライドは相当傷ついたはずだ。

 ララに悪気はない。ララにとって、シュデルは幼い子供のままだ。出会った日の痩せて小さいシュデルで、ララのイメージは固定している。

 でも、今のシュデルは、昔のシュデルじゃない。

「胸にギューーしゅ」

 ムーがププッと笑う。

 でも。

「うらやましいよな」

「うらやましいしゅ」

 あの胸にはさまれてみたい。

 胸の持ち主がララでなければ、だ。

 オレだって、命はまだ惜しい。





「準備はして置くものだよな」

「はいしゅ」

 オレとムーは、土の上に寝そべっていた。

 王宮の庭園の一角に、石造りの休憩所があった。休憩所とは言っても十数本の太い柱に弓形のアーチ状の屋根が支えられている横幅だけでも20メートルはあるかという大きなもので、風を避けるための小部屋も作られていた。

 オレ達がいるのは、その小部屋の地下にある穴だ。地下室を作るつもりだったのを放置したようで、広さが縦横2メートルほどしかない。天井は小部屋の床なので板張りだが、四方と床はむき出しの土の壁だ。

 ララがシュデルを連れて部屋を出て、数分後、戻ってきた国王が『ウサギが盗まれた』と騒ぎになった。ララから仲間が騒ぎを起こす予定と聞いていたが、それが本当かわかる前に国王が大騒ぎをして、オレ達はオトリをすることになった。

 すぐに魔法探査がかけられて追っ手に見つかった。ムーを小脇に抱えて逃げて追っ手を引きつけ、ララが逃げ出せるだけの時間を稼いだあとに、チェリードームに飛び込んで、魔法探査から逃れ、追っ手を振りきった。

 チェリードームに入ったまま、地面を這って、休憩所の小部屋に入り、床をもちあげて、オレとムーの2人が滑り込んだ。

 チェリードームに入っていれば魔法探査から逃れることができる。休憩所の小部屋をのぞく者はいるかもしれないが、小部屋の床の下を調べる者はいないだろう。

 警備が強化されるので、自力でロラム王宮から逃げることはできないが、オレ達には脱出の手だてがあった。

 あと3日後にモジャが帰ってくる。脱出の手段は問題ないが、別の問題がひとつ残っていた。

「腹が減った」

「お腹すいたしゅ」

 手持ちの食料はゼロ。水は、庭園の小川までチェリードームに入った状態ではっていけば、飲むことが出来るが、腹を満たせるようなものを手に入れる手段がない。

「3日だ。我慢しろよ」

「わかってるしゅ」

 ムーは部屋の隅に行くと膝を抱えた。

 オレは休憩所の周囲の風景を思い出した。

 丁寧に手入れがされていて、生えている草は食べられる草か判別しにくかった。休憩所の近くは、隠れる場所を作らないよう配慮されていて、木は植わっていなかった。小川の中は見ていないが、魚が泳いでいてもチェリードームに包まれて捕まえるのは難しそうだ。

 小声が聞こえた。

「……ムー、我が声…こたえよ」

「待て!」

 オレの制止は、すでに遅かった。

「ルシュルシュ」

 異次元召喚獣が大きければ、ドームに穴が開く。そうなれば、魔法探知に引っかかる。

 身構えたオレは、出てきた召喚獣に悲鳴を上げそうになった。

「うぎゃぁああ!」

 叫んだムーの口を押さえた。

 マンドラゴラ。

 白い人参のようなモンスターだ。根が分かれて手足になっている。見た目はユーモラスだが、土から引っこ抜くときの悲鳴を聞くと、首が吹き飛ぶと言われている。

 召喚で現れたマンドラゴラの身長は約30センチ。チェリードームを壊す恐れはないが、引き抜きの時の悲鳴をあげられたら、オレ達の命が吹き飛ぶ。

 オレもムーも息を詰めて、マンドラゴラを見守った。 

 マンドラゴラはキョロキョロと辺りを見回した。そしてオレ達を見つけた。片手をあげた。

 挨拶に見える。

 オレも片手をあげた。

 オレの足元に寄ってきて、足をチョンチョンと突っついた。近くで見て根毛がないことに気がついた。スベスベの白肌。頭の葉っぱに見えるものも緑色の毛で、マンドラゴラによく似ているが生物らしい。

「これ、召喚失敗のだよな?」

「はいしゅ」

「召喚獣で、マンドラゴラじゃないよな?」

「はいしゅ」

 オレとムーは顔を見合わせて、息を吐いた。

 偽マンドラゴラ=白人参モンスターはオレの足をまた突っついた。

「何かいいたいのかな?」

 ムーはちょっと考えた。

「出たいのかもしゅ」

「チェリードームから出して、庭園で暴れたら困る」

「知性があるように見えるしゅ」

 オレもちょっと考えた。

「上部や横に穴を開けると探査に捕まる可能性があるから、地面に設置している場所に少し開けるというのは、どうだ?」

「いいと思うしゅ。頼んでみるしゅ」

 ムーがチェリーに頼むと、床にあたる部分に30センチほどの丸い穴が開いた。白人参モンスターは穴の先にある地面を器用に掘り始めた。細い円錐状の手が高速で動いて、見る見る穴が深くなっていく。土を外に放り出しながら、白人参モンスターは穴の奥に消えていった。

 オレは穴の奥に向かって、忘れていた注意点を怒鳴った。

「他の人に見つかるなよ!」





「母上がシュデルを嫌いなのはわかっています」

 怒鳴り声が頭上から響いた。

「父上が心から愛したアデレード様の子供で、瞳も王家の証の銀色です。母上の立場からすれば、うとましいだけの存在でしょう」

「サイラス。誤解だと何度言えばわかるのです」

 板の裂け目から、上をのぞいた。

 20代後半の男性と50歳くらいの女性がいた。

 男性の方には見覚えがあった。桃海亭に来た客だ。オレが店番をしていたときに2、3回きたことがある。商品の説明を求められたので、シュデルに相手をさせた。シュデルは店員の態度で接していて、知り合いのようには見えなかった。

 50歳くらいの女性は見たことがない。着ているドレスや装飾品からすると、かなり身分が高い女性に見える。

「あの子を育てたのは私なのですよ」

「ならば、どうしてシュデルを牢に入れることに率先して賛成されたのです。父上の前からアデレード様の影を排除したかったのではないのですか」

「違います。あの時、牢に入れることに同意しなければ、シュデルは殺されていたのです。なぜ、わからないのです」

「そのことはもういいです。母上がシュデルを嫌いなのはわかっています。だからといって、ウサギまで逃がす必要があったのですか?父上がシュデルと呼んで可愛がるのが許せなかったのですか」

「何を言っているのです。私はウサギを逃がしていません」

「ウサギを返してください」

「本当に私は関係ないのです」

「わかりました。私が自分でウサギを見つけます」

 そう言うと若い男は走り去っていった。入れ替わりに24、5歳の青年が入ってきた。

 見覚えがなかったが、銀の瞳をしているところを見るとシュデルの兄だろう。

「兄上が走っていきましたけれど、何かありましたか?」

「ウサギを盗んだのが私だと疑っているようでした」

「また、拙速な判断を」

 青年が冷ややかに言った。

「そのように言わないでおくれ。サイラスは王と同じで、シュデルがとても可愛いのです」

「可愛い。そのせいでシュデルがあの2人にどれだけ辛い思いをしていたか、母上もわかっているはずです」

「わかっています。あの子には本当に苦労をさせてしまって」

「シュデルが産まれてからというもの、どっちが一緒に寝るかで、取り合い、動けるようになると、毎日毎日2人で追いかけ回して、父上など周りが必死で止めなければ、政務にも連れ歩いたでしょう」

「アデレードの死がつらかったのでしょう。シュデルはアデレードに瓜二つですから」

「限度があります。姿が見えなくなると大騒ぎをして。そのくせ、なぜいないのか考えもしなかったのですから」

 女性がクスッと笑った。

「『いない』のではなく、自分たちから逃げているなど、あの2人には考えが及ばないのです」

「逃げ場を失うと母上のドレスに隠れていましたよね」

「叱るところなのでしょうけれど、あの状況では」

「父上に抱きしめられて肋骨にヒビがはいったり、サイラスに腕をひっぱられて脱臼したり、ベッドに無理やり一緒に眠らされて、窒息しかけたことも何度もありましたから」

「顔をなめるなどという暴挙も数知れず。泣きながら私のドレスによく潜り込んでいました」

「あれほど母上を慕っているシュデルを、なぜ『嫌い』だと思いこめるのか。そちらの方が不思議です」

「しかたありません。あの2人は自分がシュデルの一番になりたいのです。シュデルが自分以外の誰かを好きになることは許せないことなのです」

「そういえば、父上はシュデルに会えない、手紙が来ないとうるさいですようですが、母上のところにはシュデルからの手紙は届いていますか?」

「ええ、季節ごとに送ってくれています。差出人がララ・ファーンズワースになっていますから、王も気がついてはいないようです。レナルドのところにも届いていますか?」

「ワゴナー雑貨店の封筒で定期的に届いています。毎日、波瀾万丈の日々を送っているようです」

「そうですか。私のところに来る手紙には、楽しく穏やかな日常だけです」

「母上に無駄な心配をさせてたくないのでしょう」

「優しい子ですから」

「さあ、そろそろ戻らない接見の時間に間に合わなくなります」

 青年にうながされて、2人で小部屋を出ていった。

 ムーがプププッと笑った。

「ムー、シュデルの前では顔に出すなよ」

「ゾンビ使い、ララしゃんのベタベタ平気なの、変と思ってたしゅ」

「お前も変だと思っていたのか」

「思ってたしゅ」

「そうだよな。シュデルがあの異常な溺愛によく耐えていると思っていたが、父親と兄があれ以上だったんだな」

「プププッしゅ」

「2人ともシュデルが可愛いんだろうな」

「可愛かったら、好きにさせるしゅ」

「何を言っているんだ?」

「ペトリの爺しゃん、好きなもの何でも買ってくれたしゅ。ボクしゃんの言うこと、何でもきいてくれたしゅ」

「どう考えても、その子育ては間違っているだろ」

 オレの言葉を否定するように、ムーは人差し指を立てて左右に振った。

「ボクしゃん、こんなに立派に育ったしゅ」




「……何するんだよ」

 眠っていたオレは、足を突っつかれて目が覚めた。

 動き回ってヘトヘトに疲れたオレは、小部屋の地下に横たわって熟睡していた。

 疲れて腹が減っている。モジャが来るまでの時間を潰すのには、眠るのが最善の方法だ。

 また、足を突っつかれた。

「ムー、いい加減にしろよ」

「ボクしゃん、ゴロゴロしゅ」

 離れたところでムーの声がした。

 チェリードームで覆われている空間にいるのは、オレとムーだけだ。

 飛び起きた。

 足元にいたのは、

「なんでいるんだ?」

 地面に穴を掘って、どこかに行ったはずの白人参モンスター。

 穴から戻ってきたらしい。

 30センチほどの穴にもう一度潜ると、20秒ほどで戻ってきた。

 白人参は何かをズルズルと穴から引っ張り出した。

「うおぉーーー!」

「肉しゅ!」

 こんがり焼けた骨付きの鶏のモモ肉をオレの前に置いた。

「食べていいのか?」

 言葉が通じるかわからないが、聞いてみた。

 白人参がうなずいた。

「ボクしゃんも!」

 ムーが飛びついてきて、奪い合うように食べた。

「ありがとう。本当にありがとう」

「美味しかったしゅ」

 この世の物と思えないほどうまかった。

 量は少なかったし、食べたことで空腹感は増長されたが、うまいものを食べられたということで幸せを感じられた。

 白人参は首をちょっと傾げると、また穴に入った。

 オレとムーは穴の縁から、中に向かって言った。

「できたら、また食べ物を持ってきてもらえるとうれしいです」

「肉、肉、肉しゅ!」

 次に持ってきてくれたのはジュウジュウ音をたてているビーフステーキ2枚。最高級の肉で、食べていると溶けた油と肉汁と滴った。

 その次は、黄金色のコンソメスープ、金属カップ入り。新鮮野菜のサラダ、ガラス容器に盛りつけ済み。見たことのない高級そうな果実。丸パン。カップケーキ。

 どれも量が少ないし、泥がついていたりもしたが気にはならなかった。食べて、飲んで、食べて、飲んで、寝て、食べて…。

 それを繰り返して3日間が過ぎた。

「うまいよなあ」

「美味しいしゅ」

 オレとムーは、あとわずかで食べられなくなるロラム王宮の食事に舌鼓を打っていた。

 さすが、大国の王室。

 材料も最高級品なら、料理人の腕も一級の腕だ。当然、料理はどれもうまい。

 ロラム王宮では台所から食べ物が消えて騒ぎになっているかもしれないが、王宮の規模からすれば大した量じゃない。気にしないことにした。

 白人参がプティング、ガラスのボール入りを持って、穴から出てきた。

 受け取るとヒンヤリとした冷たさが手に伝わる。

「白人参、いつかムーの正しい召喚で来られたら、お礼をさせてくれよな」

「ボクしゃん、がんばるしゅ」

 2人でボールに指を突っ込んだ。

 モジャが出現した。

 普通ならばチェリードームの外側にでるのだが、地面の穴の部分だけチェリードームが覆っていなかったので、内側に出られたらしい。

「ムー、迎えに……」

 次の瞬間、オレとムーは桃海亭の店内にいた。

 2人ともボールに指を突っ込んでいる状態で、ムーの頭には丸まったチェリースライムがいる。

「あれっ?」

「はう、しゅ?」

 モジャがフワフワの毛で、ムーの頭をパシッと殴った。

「はう、しゅ?」

ーー 我が着くのがあと数秒遅れていたら、命がなかった ーー

 オレは手元のボールをみた。

「もしかして、このプティングに毒が?」

ーー それは問題ない ーー

「ロラムの探査に引っかかっていた、とか?」

ーー グマアがいたであろう ーー

「ぐまあ?」

「ぐまあ、なんだしゅ?」

ーー 共にいた異次元召喚獣の名だ ーー

「あ、あの白人参」

「食べ物くれたしゅ」

ーー あれは獲物を太らせて、食する生き物だ ーー

「獲物を太らせて……」

「もしかして、しゅ」

ーー 2人とも、ずいぶん丸い体になったではないかーー

「うげっ!」

「ひえぇーーしゅ!」

 オレもムーも、白人参に食べられる直前だったらしい。

「店長、お帰りなさい」

 カウンターに立っていたシュデルが、笑顔でオレ達を見ていた。

「ララさんがラダミス島の賢者カウフマンのところまで連れて行ってくれました。賢者カウフマンにウサギから人間に戻してもらえました。料金は金貨10枚だそうです。あとで請求書が来るそうです。店長やムーさんにも色々ご迷惑をかけたようで申し訳ありません」

 笑顔で、高速で言い切った。

「いま、金貨10枚とか…」

「そう言えば、僕が黒ウサギでなく白ウサギになったのは、心が綺麗だからだそうです。真っ白な心の持ち主が白ウサギに、腹黒い心の持ち主は黒ウサギになるそうです」

「嘘しゅ!」

「待て、いまは、そっちはどうでもいい」

「店長、ここは店内です。今お客様はいませんが、いつ入ってくるかもしれません。ボールは保冷箱に入れて、どうぞシャワーを浴びてきてください。お二人とも泥だらけです」

 いま店内でもめても金貨10枚の請求がなくなる訳じゃない。オレはシャワーを浴びるため、保冷箱にプリンを入れ、ムーを引きずって浴室に向かった。

 オレにはまだ熱いシャワーを浴びた後、ロラム王宮の極上プリンを食べるというささやかな幸せが残っている。




「店長、太りましたね」

 ロラムから戻った翌日、開店の準備をしているとシュデルに言われた。

「わかるか?」

「何を食べたら、3日でそんなに太れるのか聞きたいです」

「主に肉かな」

 牛肉のステーキは何枚も食べた。シンプルな塩の他、ニンニク風味、トマトソース、ドミグラスソース、生クリームソース、卵のソース。牛肉の塊も食べた。丸焼き、包み焼き、ビーフシチュー、トマトで煮込んだシチュー、ポトフ。

 豚に鶏に、ジビエらしき物もあった。加工肉は、ソーセージ、ハム、ベーコン、ペースト、ゼリー寄せ。

 ヨダレが口に溜まった。

「もう一度、食べたい」

「今日の昼食はパンと野菜サラダで、夕食はパンと野菜スープです」

 氷の響きで跳ね返された。

 カウンターで商品を片づけていたシュデルが、オレに近寄ってきた。

「店長に荷物が届いていました」

 紙で包んで紐を掛けた小さな荷物をオレに渡した。

「なんだろう」

 差出人に名前がない。

「ムーさんに呪いがついていないか調べてもらいますか?」

「いや、そんな感じじゃないからいい」

 手早く紐を解いた。

「あっ」

「よかったですね」

 オレの旅のマントが出てきた。

 短い手紙が添えられていた。

『あなたがウィル・バーカーだと知りました。ウィル・バーカーのマントを置いておくのも破棄するもの、不幸になりそうで怖いので送ります。送料はこちらで払っておきますので、送り主を捜さないでください』

 手紙をジッと見ていた。

「どうかしましたか、店長」

「オレの〔不幸を呼ぶ力〕は、オレのマントにもついているのかな」

「考えないほうがいいです」

 違うとは言ってはくれないようだ。

「マントが返ってきたとなると、騎乗用マントは返さないとまずいよな」

 高額なクリーニング代が必要になる。

 ため息をつきかけたオレは、扉が開く音に笑顔を作った。

「いらっしゃいませ」

 開店前だが、一銅銭でも稼ぎたい。

 入ってきたのは厚手のコートを着てフードを目深にかぶった男性。

「レナルド兄様!」

 シュデルが駆け寄った。

「何かあったのですか。僕は嬉しいですが、レナルド兄様はここに来ては問題があるのではないのですか?」

「今回は問題ない。ロラム王室の用件だ。魔法協会にも話は通してある」

 コートのフードを後ろに倒した。

 女性と会っていた銀色の目の若い男性。

 シュデルの頭を大きな手でなぜると、オレを見た。

「レナルド・ルシェ・ロラムといいます。シュデルが世話になっています」

「ウィル・バーカーです」

「兄様はいつまでいられるのです。よろしければ、僕がニダウを案内します」

「残念だが、すぐに帰らなければならないのだ」

「そうですか…」

「そのような顔をするな。また、用件を作って会いに来る」

「本当ですか?」

「約束する」

 優しく言った後、オレの方に向き直った。

 レナルドの表情が引き締まっている。

「桃海亭店主、ウィル・バーカー。用件を言う。昨日、ロラム王宮の庭園に身長約5メートルの大型モンスターが出現した。マンドラゴラを巨大化した形状で、庭園を暴れ回った。その際、庭園にいた鳥及び魚を食し、その後、馬小屋を襲うとした。王宮警備の者が防御結界を張ったのだが、結界を壊し、なおかつ、警備の者を捕まえ食べようとした。幸いにも口に入る直前、モンスターは消えるようにいなくなった。モンスターが出現場所は庭園の休憩所の地下。調べたところ、30センチほどの穴と汚れた多数の食器が見つかった」

 オレの背中に冷や汗が流れた。

「4日前、ロラム王宮より銀の瞳のウサギが盗難にあった。その日から王宮の厨房より、食事が頻繁になくなるという報告もなされていた」

 飯泥棒は見つかっていたようだ。

「我々は、銀の瞳のウサギを盗んだ者が、休憩所地下に3日間潜み、なんらかの手段で食事を手に入れ、逃げるために人参型モンスターを解き放ったと推測した。我々の推測は間違っているか?」

 どのように返事をしようか迷った。

 オレ達と認めたら、ウサギのことを追求されることになる。ウサギ姿だったとはいえ、シュデルがロラムに入るのは約束に違反する。

 シュデルがレナルドの腕にしがみついた。

「間違っています。兄様、悪いのは僕なのです」

「かばう必要はないのだよ」

 優しい声に戻っている。

「あのウサギは僕なんです」

「何を…」

「モンスターを退治に行ったとき、誤ってスクロールを踏んでしまい、ウサギになってしまいました。店長たちは、ロラムにいる僕を救いだそうと頑張ってくれたのです」

「本当ですか?」

 穏やかな口調で聞かれた。

「オレ、忘れっぽいんで」

「なるほど」

 レナルドが腕にしがみついているシュデルの頬に手を当てた。

「父上が、ウサギがなぜアデレード様の子守歌を知っているのか不思議がっていた」

「父上が寂しそうでだったので」

「久しぶりに父上に会えて、うれしかったか?」

「うっとうしかったです」

 レナルドが楽しそうに笑った。

「確かにあのウサギはシュデルのようだ。そうなると…」と、言うとオレの方を見た。

「人参型モンスターはムー・ペトリで間違いないようだ」

「すみません。召喚に失敗しました」

 素直に謝った。

「今回のことは私がうまく納めておくが、二度目はない。そのつもりでいてほしい」

「ご迷惑をかけて申し訳ありませんでした」

 レナルドがシュデルの腕をそっと外した。

「用件は済んだ。帰らなければならない」

「また、来てくださいますよね」

「必ず来る。それと」

 マントの内側から包みを出した。

「母上からだ」

「もしかして」

 レナルドが立てた人さし指を、唇にあてた。

「秘密だからな」

「わかっています」

「では、またな」

「兄上も、お元気で」

 シュデルは寂しそうな顔でレナルドを見送った。

「仲が良かったのか?」

「優しくて、厳しい兄様です。父や他の兄たちは僕に甘いだけでしたが、レナルド兄様だけが僕を厳しく叱ってくれました。レナルド兄様が叱ってくれなければ、善悪の判断の付かないワガママな人間になっていたと思います」

 シュデルが窓を見た。

 レナルドがいなくなった方向を目で追う。

「レナルド兄様は王位継承権第1位なので、本来は王の代理以外では他の国にでることが認められていないのです。会えるなどと思っていなかったのでうれしいのですが」

 微笑みが寂しそうだ。

「前に他の兄が店に来たことが…」

「気のせいです!」

 ものすごい勢いで、話を切られた。

 触れてはいけない、何からしい。

「その包みは何なんだ?」

「これは、干し果実です」

 シュデルは包みを丁寧に開けた。ガラス瓶に干した果物が詰まっている。

「ジョセフィン妃が作られたものです」

「ジョセフィン妃?」

「父上の正妃でレナルド兄様の母上です。母を失った僕を実の子のように育ててくれました。僕自身、2歳を過ぎて父に教えられるまで、ジョセフィン妃を実の母だと思っていたくらいです」

 シュデルは瓶をそっと抱きしめた。

「この果実はジョセフィン妃が嫁いでくるとき生国から持ってきた苗からとれます。僕はこの干した果実が大好きで、昔『父上より好き』と言って、食べることを禁止されたのです」

 ロラム国王、大人げないことをする。

「僕が牢に閉じこめられているとき、時々、この果実が届けられました。ジョセフィン妃が僕に会いに来てくれたのだとわかりました」

 シュデルが瓶を開けた。

 甘い匂いが店内に広がる。

 ひとつ手に取った。

「店長、よろしければ」

「全部、お前が食えよ。ジョセフィン妃もお前に食べてもらいたいだろ」

 シュデルが微笑んだ。

「それでは」

 シュデルが食べようとした干し果実が消えた。

「美味しい~しゅ」

 舌で口の周りをベロベロとなめながらムーが言った。

「……食べましたね」

「もっと、欲しいしゅ。寄こすしゅ」

 のばしたムーの手をシュデルが叩いた。

「あげません」

「欲しいしゅ、美味しいしゅ」

「絶対にあげません」

「ペロペロキャンディと交換するしゅ」

「イヤです!」

 ペロペロキャンディとの交換を持ちかけるとは、よほど美味しいらしい。

 ロラム王宮の贅を尽くした食事を食べていたシュデルが、『父上より好き』というほどの美味しい干し果実。

「美味しいしゅ、食べたいしゅ!」

「これは僕が食べるんです」

 シュデルが瓶を抱え込んだ。

 予期しない形でのシュデルのロラム訪問。

 あの瓶が空になるときが今回の件がすべて片づいたということなのだろうか。

「ボクしゃんによこすしゅ」

 ムーは道具達に守られているシュデルから、どのように奪うか必死に考えているだろう。

「あげません」

 シュデルは天才魔術師と呼ばれるムーから、どのように守るか必死に考えているだろう。

 そして、オレは、さっき差し出されたときに食べるのだったと後悔していた。



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