第五話 何だか、切ない。
翌朝、俺と綾瀬は朝霞さんに連れられて校舎内を歩いて回った。
音楽室や美術室など、東京の学校と大差はあれど、必要不可欠な物に大差無かった。
校舎自体が小さい事もあり、見学は早く終わった。
普段の授業で使う教室に着くと、誰も居ない教室に想いを馳せる。
所々剥げた木の壁、少しの風でガタガタと音を鳴らす窓、朝霧を残す山間の里。
それらが一つの絵画の様で、美しい。
「……木造校舎って事もあるのかな、別の施設みたいで、雰囲気とかまるで別物だな」
「そんなの当たり前でしょ、兄さん。コンクリートと木造なんて全然違うじゃん」
「そりゃあまあ、そうだけどさ」
木造の建物なんて、今時あまり馴染みが無い。
だからこの場所自体がとても珍しい芸術の様に思える。
教室には教壇とパイプ机が三席。
昨晩敷かれていた布団と同じ数だ。
傷だらけの机には、それだけの時間経過の重みを感じる。
誰も座らない姿は、寂しい重さだ。
「あと一人はどうしたんですか?」
「もう一人の子は、ちょっと事情があってこの時間は出てこられないの。夜に改めて紹介するわね」
「早くも夏休み気分って事ですかー? 気楽なモンですね」
「そう言わないであげて。本当に理由があって来られないのだから」
「はーい」
綾瀬は気だるそうに返事をして着席した。
そんな不遜な態度をする妹の無礼を、俺は代わりに「朝霞さん、何度も失礼をしてすみません」と言って頭を下げた。
こんなに態度が悪いにも関わらず「気にしないで」と言って許してくれる朝霞さんは、間違いなくいい人だ。
俺も席に座り、昨晩の事を思い出す。
月光の水辺に座る少女。
三人目の生徒は彼女で間違いないだろう。
昨日着ていたドレスの様な服はこの学校の制服だった筈だし、先生と用務員しか会わないと言っていた事が裏付けとなる。
東京でも見たことの無い美人とこれから共に過ごす浮き足だった気持ちと、夢見がちで汚れを知らない純白の布の様な彼女の心を素直に見つめる事が出来ない気持ちとが、心の中でせめぎあっていた。
彼女は、次会った時も、初めて会った時と同じ美しさのままでいてくれるだろうか。
そう願わずにはいられなかった。
日中はこの学校の歴史や周辺の村の事から説明が始まった。
この学校の前身は幕末期の安政5年に江戸から来た学者が余生を村の子供への勉学に捧げる為に作り、そのまま明治・大正と移って今の校舎が建てられ、今に至るという。
しかし村に人が大勢いたのも昭和30年頃までで、それ以降は過疎化していったという。
ここに来た時に人を見なかったのは元々人が少ないのと、僅かな住民も各々の畑がある山の方の土地に分かれて暮らしているので、中心地などに来る事は滅多に無いという。
つまり、消滅寸前の場所という事だ。
ここも学校が作られる程の子供や大人が居ただろうに……。
何だか、切ない。
村から町への電車は朝昼夕の三本のみ。
連絡すれば駅まで車で送り迎えしてくれるとの事なので、話を聞いた綾瀬は早速出かけてしまった。
俺はというと、これからどうしようかと時間を持て余していた。
携帯も高速通信の入らない場所だし、連絡とる友達もいない。予習復習は気分じゃない。
俺はふと、昨日の少女の事が気になった。
彼女は今もあの植物園にいるのだろうか。
今も一人、あの池のほとりで本を読んでいるのだろうか。
そう考えていたら、自然と足は植物園へ向いていた。