第十二話 絶対に兄さんを捕らえて離さないでね
あれから一週間。
ネイスの肌は無事に元の状態に戻った。
最初は、見た目からして彼女に消えない傷を与えてしまったと思ったが、案外綺麗に治ったものだ。
ちょっと気掛かりなぐらいの回復具合だが、人間の自己修復力は偉大なりという事だろうか。
ともかくこれで彼女の望み通り一緒に遊ぶ事ができる。
こんな子供じみた事で罪滅ぼしなんてできないだろうけど、彼女を喜ばせられるなら、幾分気持ちが落ち着く。
始める時間はもちろん、日が落ちた6時から。
先に夕飯を食べてから、食後の運動と洒落込もう。
食卓に並ぶコンソメスープを口にしつつ、俺はネイスに問う。
「それで、やりたいのはかくれんぼだっけ?」
「やりたいというより、それしか遊ぶ事が思い浮かばなかったんです。せっかく誰かと遊ぶのですから、今までやったこと無い事をしたいです」
「かくれんぼをした事が無いのか……ネイスは今までどんな事して遊んでたのさ?」
「えっと、お絵かきしたりフリーセルとかのトランプゲームしたり、ですね」
「一人でもできるゲームか……なるほどね」
俺は隣の席に座る綾瀬にも問う。
「綾瀬はこれからどうする?」
「どうするって、本当にこれから遊ぶの?」
「もちろん。約束してたし、俺もネイスさんと遊びたいし」
「あっそ。私は宿題して寝るし。夜の遊びと称して変な事しないでよ」
「ば、バカ! そんな事しないよ!」
「?」
幸いな事に、ネイスには何の事を言っているのか分からなかったらしい。
彼女との関係上良かったが、教育的に知らないのは如何なものかと。
食後、俺とネイスは廊下に立っていた。
廊下から見る外の夜景は、星と月以外の光が全く無い夜の闇そのものだ。
室内の照明は廊下だけ点いているが、ここから見える教室には一つとして点いていないので、どうしても暗く感じる。
「それじゃあ、始めようか」
結局かくれんぼをする事になった。
何をするかなんて、やりたい事が終わった時に考えれば良いだけだ。
「ようやく、この時がやってきたんですね」
「まさか緊張してるの?」
「緊張……では無いんですが、初めて同い年の子と一緒に遊ぶので、気持ちが落ち着かないんです」
「そっか。ワクワクしてるのかな」
「ワクワク……そうですね!」
嬉しそうに微笑んでくれる彼女に、俺も笑みがこぼれる。
「それじゃ、隠れられる範囲を決めようか」
「そうですね……学校全体じゃダメでしょうか?」
「外は明かりが無いから危ないよ。それに植物園も含めると、隠れる所だらけだから二人で遊ぶには広すぎる。校舎の中だけ、で良いかな?」
「はい、大丈夫です。鬼はどうしますか?」
「ジャンケンで決めよう」
「じゃんけんって、何ですか?」
「じゃんけんを知らないの? 朝霞さんと一緒にやったりしなかった?」
「はい」
じゃんけんは全国共通と思っていたけれど、他に誰もいないのなら、使う機会も無いという事だろうか。
じゃんけんの手や勝ち負けのルールを教えると、彼女はすんなりと理解した。
子供の様な理解力に感謝。
最初の鬼は俺になった。
「……27、28、29」
ぼんやりと頼りない明かりが廊下を照らし、そこにはカウントダウンをする俺ただ一人。
寂しさを払拭したいなら何処かへ消えた彼女を探しだせ。
「30!」
かくれんぼ開始だ。
…
ネイスは30を数えた段階で、まだ隠れ場所を探していた。
全ての廊下は消灯時間までの間点いている。最期に朝霞さんが消す手筈だ。
教室は使われている場所以外は消す事となっており、ただ一つを除いて全て消灯されている。
普通であれば暗い教室に隠れた方が見つかる可能性は低い。
だがネイスはかくれんぼ初心者。
かくれんぼのセオリーなど知る筈も無い。
ネイスは迷わず、ただ一つ明かりが点いている教室へ入った。
「なんでここにくるのさ」
教室には綾瀬がいた。
綾瀬のしかめっ面は、私を巻き込むなという気持ちがありありと表れている。
「ごめんなさい、綾瀬さん。ここに隠れさせてくださいませんか?」
「何もここじゃなくても。明かりの点いてない教室に隠れた方が見つかりにくいんじゃないの?」
「あっ!? たしかにその通りですね!」
「まったく……。まぁ、逆手にとって明るい所の方は後回しって事もあるかもね。私もいるし」
「そういうものなんですね。かくれんぼのセオリーとは奥深いです」
綾瀬の呆れた様子を横目に、ネイスは木製の教卓の影に身を潜める。
最初は二人共無言のまま、お互いの存在を意識していた。
だが音の無い部屋というのは、何故か居心地の悪さを感じるものだ。
堪らず口を開いたネイスは、そんな気持ちだった。
「ここに来るまでの鶴瀬さんはどんな方だったんですか?」
「兄さん? 急にそんな事聞いてどうしたの?」
「いえ、何となく気になりまして」
「あっそ。普通の男子だよ」
そう言うなり、少し考え込むと自分の言葉を修正しはじめた。
「いや、ちょっと普通……じゃないね」
「普通じゃない、とは?」
「兄さんはね、暴力沙汰をしょっちゅう起こしてたんだ」
「暴力……ですか?」
綾瀬は自分自身何言っているんだろうという表情で、話を続ける。
「兄さんはその……感情任せに行動する質でさ。苛められている犬が可哀想だから、犬の飼い主を半殺しにした事があるんだ。他にも絡まれてる女子高生を助ける為に、酔っぱらいのリーマンを電車の窓から投げ落とした事もあるね。そんでもって、虐待されてた私を見かねて、両親を殺した事もあるし」
「……そんな、鶴瀬さんは……人を殺した事が……? それも、ご両親を!?」
「と言ってもリセットされて無かった事になってるから、酔っぱらいは普通に捕まったし、両親は何事も無く生きてるけどね」
「リセット?」
「……いや、気にしないで。ともかく兄さんは性格に難ありだよ。普通の人だと思って関わったら酷い目にあうかも」
「そう、ですか……そんな鶴瀬さんを、綾瀬さんはどう思ってるんですか?」
「私? そうだね……だらしなくてみっともなくて、兄として人としてこれ以上無い程のダメ人間だと思うよ」
言いたいだけ言ってくれる。さすが綾瀬。
「でも……私はそんな兄さんが好きだよ。うん、ほっとけない位には好き」
「そうですか。それが聞けただけでも、私は嬉しいです。兄妹が嫌いなんて、そんなのは悲しいですからね」
「あなたは……ネイスは兄さんの事をどう思ってるの?」
「私は……分かりません。けれど彼を見ていると、彼の事を考えていると、不思議な気持ちになるんです」
「不思議な気持ちって?」
「分かりません。私の身を案じてくださる彼を見ていると、胸が暖かくなるんです。もしかしたら、これが恋なのかもしれません」
「そんな筈無い!」
突然綾瀬は叫ぶ。
「あなたなんかに、そんな資格あるわけ……!」
そこまで言って我に返った様に黙った。
「……私のこの気持ちって、綾瀬さんにとって不快な物なのでしょうか?」
「……いや、勝手にすればいいよ。私には関わり合いの無い事だから」
「……」
お互い心の内で様々な事を考え、打ち消し、口にしようとして閉じる。それの繰り返し。
結局話を再度繋げたのはネイスからだ。
「私は、恋という物をした事がありません。小説で読んだ登場人物の感情に照らしあわせただけなんです。もしかしたらこの感情は恋では無いのかもしれません。本が必ずしも正しいとは限りませんからね。私は私の気持ちが分かるまで、鶴瀬さんの事を見ていようと思います」
「殺人者って話したのに、まだ一緒に居ようと思うんだ?」
「だって綾瀬さんの話には、助けようとした相手が必ず居るじゃないですか。綾瀬さんを助けようとした鶴瀬さんは、決して悪い人では無いんだと思います」
呆気に取られていた鶴瀬は、薄く嘲笑する。
「本が正しくない、ね。……本当に恋だとしたら、あなたは絶対に兄さんを捕らえて離さないでね。私の希望はそれだけ」
「綾瀬さん……」
それはネイスにとって、綾瀬が認めてくれた様な気がしたのだろう。
だから、彼女は嬉しそうに笑った。
俺は二人が話しているのを教室の外で隠れて見守っていた。
二人の話し声が廊下にまで聞こえてきたものだから、気になって盗み聞きしていたのだ。
悪いとは思ったが、せっかく二人が親密になりそうなのだからそれを邪魔する事も無い。
話の内容は綾瀬が叫んだ所以外はよく聞き取れず、どうやら一段落したらしい。
俺は教室の扉を開く。
「ネイスさん、みーつけた!」