第1話「地獄へのエントリーシート」
就職活動には嫌な思い出しかありません。
その恨みのようなものを込めて書いております(笑)。
実際に就職活動をされていて不愉快に思われる方もいるかもしれませんが、
お気楽に笑い飛ばしていただければ幸いです。
その部屋には机だけがあった。
黒い天板がはめられた鉄製の長机だ。そして、折りたたみのパイプ椅子が三脚、その前に置かれている。
中央の椅子は大きく後に倒れている。椅子は一人の男の横に倒れていた。
男はボロボロになった灰色の背広を着ていた。布地と肌は日に焼け、すり切れている。その額は打ち抜かれ、黒いインクのようにも見える血が後頭部から広がっていた。
そして、その手にはボールペンが握られていた。
教会の礼拝堂に似た高い天井の一部は崩れ、曇天から微かな光が倒れた男の上にかかっている。
室内にある光源は白熱電球がついた古ぼけた電気スタンドだけだった。そのスタンドは室内に置かれたもう1つの長机の上にある。二つの長机はまるで横付けになった軍艦のように平行に置かれていたが、違うのは電気スタンドが置かれた方には大きな卓上の時計とレターケースも置かれていることだ。
そして、こちらの長机の横に置かれた椅子には一人の男が座っていた。
白い頭巾をすっぽりと頭にかぶり、目の部分だけ穴が開いていた。
おそらく額にあたる部分には「公正」との文字が書かれていた。
木製の大きな扉が開き、男が入ってきた。
砂で汚れた黒い大きなマント。手には長細いスーツケース。マントの下から覗いた背広は倒れた男とあまり変わらないすり切れかたをしていた。元の形はビジネススーツと呼ばれるものだろう。スーツとネクタイの色は木炭のように黒かった。
男は戸を丁寧に締めると(相手に尻を向けないのが正しい作法だ)、深々と頭を下げた。
「エントリーシートはここで書かせてもらえばよろしいのでしょうか?」
背は高く、手足は長い……少しバランスが悪く、背広を着た案山子のように見える。髪は七三に分けようとした痕跡が残るが長く伸びて絡み合っている。その髪の下から黒い瞳が覗く。口元に笑みは浮かんでいたが、瞳には何の感情も浮かんではいなかった。
「ここだ」
頭巾の男はレターケースから紙を一枚取り出すと、立ち上がり、もう一方の机に向かって歩いた。机の間の距離は5mほど。石ばりの床の上を頭巾の男の足音だけが響いた。
「ここで書け」
頭巾の男は机の上に紙を置いた。そして、床で死んでいる男の手からボールペンをもぎ取った。
「武器はそこに置け。ハンコだけ持ってこっちに来い」
頭巾の男は机の上にボールペンを叩き付けるように置いた。
「筆記用具ならありますよ」
入ってきた黒衣の男はへりくだった口調で言ったが、頭巾の男は無言だった。
「そうですか。お気に入りのペンじゃないと調子がでないのに」
鞄とマントを入り口付近にあったコート掛け……の残骸の下に置き、机へと歩いた。
脚を止め、死んだ男を指差す。
「これはどうさせていただけばよろしいですか?」
「横にどけておけ」
再び椅子に座った頭巾の男は視線を僅かに横に向けた。壁の辺りの一角が黒く汚れている。そして、同じ色の汚れが机の辺りから筋状に続いていた。
「就活が解禁されたんだ。求職者はいくらでも来る。……今日の分は後でまとめて処理する。時間がないんだ」
「合理的ですね」
死んだ男を引きずりながら、黒衣の男は言った。死んだ男は大柄だったが、苦もなく動かしていき、壁際に横たえた。
死んだ男の目は大きく見開かれていた。今にも叫びそうな形に口も開いていた。黒衣の男は手を伸ばし、死んだ男の目と口を閉じた。
その表情に笑みはなかった。
「早くしろ」
「失礼しました」
再び笑みを浮かべ、黒衣の男は机までかけ戻った。倒れたパイプ椅子を直し、その左横に立った。
「十重 玖色と申します。よろしくお願いします」
「自己紹介はいらない。さっさと座れ」
頭巾の男はクイロに尋ねた。
「我が社の社訓第一条を知っているか?」
「時は金なり、です」
「そのとおりだ。我が社は効率を何よりも重視する。速度と能率は何よりも尊いものだ」
顔は頭巾で見えないが、クイロには男が笑ったように見えた。
「一分だ」
「……何がですか?」
「一分でエントリーシートを書いてもらう。それができないような奴は我が社にはいらない」
「書けなかったら?」
「退場を願おう」
頭巾の男は懐から銃を取り出した。銀色の巨大な銃だ。表情は見えないが、やはり頭巾の男は笑ったように思えた。
「なるほど。人生から退場という訳ですか」
「求職者は掃いて捨てるほどいるからな。少しは整理していかないとな」
「ごもっともですね」
クイロは笑みを浮かべた。ただ、笑ったようには見えなかった。
「ただ、やはり自分のペンを使わせていただけませんか。これは書きにくい」
「条件にはしたがってもらう。書くか死ぬか……それだけだ」
「仕方ありませんね」
クイロは席に座り、エントリーシートを眺めた。氏名、住所、生年月日、本籍地、学歴、資格、通勤時間、志望理由……エトセトラ、エトセトラ。
「いつでもいいですよ」
「ならば始めよう」
頭巾の男が卓上の時計を引き寄せた。表示がタイマーモードに変わる。
「開始だ」
男が銃の台座で時計を叩いたのと、クイロの手が動いたのは同時だった。
一瞬、頭巾の男は部屋の中に突風が吹いたように感じた。おかしな話だ。いくら早くとも、椅子に座った男が紙に書くだけの動きで風が起きる訳がない。だが、クイロの手の動きはそう錯覚させるだけの早さがあった。
氏名を含めたプロフィール欄を書くのに約10秒(よく見ると、住所は「移動中」、本籍地は「不明」と書かれていたが)、学歴と資格欄で10秒、特技と自己アピール欄で10秒、志望理由欄で10秒。その他の項目を全て埋め、印鑑を氏名の横に寸分の狂いもなく押した。
朱肉が乾くように軽く息を吹きかける。
「書けました」
そう言った時には、まだ時間は5秒残っていた。
「は、速すぎる」
「時は金なり、ですよ」
クイロはシートを持って立ち上がり、頭巾の男の前に差し出した。
「提出します。受け取ってください」
頭巾の男は躊躇したが、クイロは机の上に叩き付けた。
「さあ、早く」
「わ、わかった」
頭巾の男が頷くと同時に、クイロは入り口の方へと踵を返した。
「審査にはどれほど時間がかかりますか?」
「いや、その必要はない」
クイロは男の言葉に足を止めた。
「どういうことですか?」
「このエントリーシートにはミスがある」
「どこが?」
「……印鑑が斜めに押されている」
「そんなはずはありません。私は真っすぐに押しました」
「斜めになっている」
「それは間違いです」
「斜めだと言っている」
「それはあり得ません」
「斜めだ!!」
頭巾の男はエントリーシートを投げ捨てた。白い紙が空を舞う。それと同時に男は銃を構え、引き金を引いた。
だが、発射された弾丸は遥かに狙いが逸れ、コート掛けに当たった。男が狙いを逸らしたのは、手にボールペンが刺さったからだ。
「安物のボールペンだな!」
クイロはボールペンを投げたフォームのまま、右手を前に突き出した。バネが外れるような音と共に、その袖口から黒い影が飛んだ。
袖口から放たれたものは頭巾の男の額……公正と書かれた文字の中央に突き刺さった。男は大きく目を見開き、そのまま仰向けに倒れた。
「言ったでしょう。筆記用具は持っているって」
袖口に仕込まれた小型ボウガンのバネを戻しながら、クイロは言った。
クイロは身支度を整えると、倒れた頭巾の男の側に近づき、額に刺さったペンを引き抜いた。ロードリング社の0.5ミリペンだ。
「返してもらいますよ。お気に入りなんでね」
額を射抜かれたが、頭巾の男はまだ息があった。クイロは頭巾をむしり取った。下から現れたのは、口元を機械のマスクで覆った青白いスキンヘッドだった。
「強化人間ですか」
「これで……勝ったと思うなよ」
頭巾の……いや、もう頭巾はかぶっていない……強化人間は微かな息で言った。
「まだ、就職活動は始まったばかりだ。公正労働委員会から派遣されたエージェントは俺をいれて10人。俺は一番の下っ端だ。お前は一次面接にたどり着くこともできない……」
「それは、どうでしょうね」
クイロは鞄を持ちながら言った。
「どんな時にも道は開ける……社訓第87条。ですよね」
クイロの手の中で鞄が変形した。二つ折りになっていた本体を伸ばし、取っ手を引き出す。クイロは長細く変形した鞄……だったものを肩に担ぐと、照準を奥の扉に向けた。
「お、おい、ヤメロ……」
強化人間が懸命に口を開いたのと、クイロが引き金を引いたのは同時だった。鞄から発射された小型ミサイルは奥の扉とそこに設置されていた罠を粉砕し、その向こうにあった建物を丸ごと破壊した。
「とりあえず、次の面接会場までの道は開けましたかね」
クイロはそう言うと鞄を肩にかついだまま歩き出した。
……聞いたことがある。
この世界には強力な力を持ち、就職活動を続ける者がいると。公正労働委員会と世界企業を脅かす者。その名前は確か……そこで強化人間は活動を停止した。
その瞳は大きく見開かれ、恐怖の色に染まっていたが、その瞳を閉じる者はいなかった。
クイロが去った方向からは、やがて爆音が幾つも響いてきた。
連載小説という形になっていますが、話としては続くか不明です。
何篇か書いているのですが、それぞれが「第1話」的な内容なのです。
なので次はまったく別の場所でクイロは就活をしているかもしれません。






