魔法と書いてチートと読む 〔後半〕
〔5〕 後半
「ところで……この、おれの“ウィザード”能力なんだけどさ」
と、腰ほどの高さの小岩に座りあって一休憩してしばらくの後、リョータは座った姿勢もそのままに緩やかに話を再開した。
「んー?」
はす向かいの小岩にやはり腰掛けているユーリが、ちびちびとペットボトルの残りを舐めるように飲みながらの、いくぶん気の抜けた様子もそのままのいらえであった。
「なにか特殊な言語やらに依存した行使法ってわけじゃないだろ? てことは呼び方にちょっと困るかなって」
「あー。よくある古代語魔法だとか真音魔法だとかっていう風には、たしかに呼べないよね」
「そうそう。てかそれ後者はけっこうマイナー……いやなんでもないです、きゅるきゅるきゅっきゅっとか言い出したりしないでくださいねすみません」
「まゆ形状の地底世界なつかしす。いやぁあれの精霊使いさんの三下っぷりはプロすぎて真似できるものじゃないっすわ。で、つまり魔法種別の名称についてなわけだけど、それ以前の術師系統がさ」
「おう」
応じてうなずくリョータに向けて、ユーリが言葉を続けてくる。
「一口に“ウィザード”って言っても、汎用的というか総合的なワケじゃん? もっと専業的な意味合いのことが多いソーサラーでもウォーロックでもなく、わざわざウィザードって。ならつまりは、“地下迷宮と竜”みたいに白き善なる術師であることを示す呼称としてのそれではなく、どちらというなら“七つの月の伝承”における天なる輪の月の術師みたいな“魔法と魔術の広範な専門家”というか。もしくは――」
「某“地中海地方に同じ名前の島がある”戦記における、複数系統兼業の魔術師を指したウィザード、か?」
「それそれ。たぶんオレがいろいろ設定したことの傾向から波及して定まったとするなら、そんな感じの解釈でだいたい合ってるはずなんだよね。ただ、いちおう正直な話としては、オレ自身の設定には直接関わってこない面まで細かく詰めてなんていなかったからさ。だからあくまで推測レベルでしか言えんのよ。すまんー」
「いや気にすんなよ。おれのことをおれ自身が上手く決めらんなかったせいでもあるしな。つーわけで、呼び表しをどうしようか。さすがに既存の先達にまる被りってのは避けたいわけだが」
そのリョータの要求に、ふむ……、と両者考え込むことしばし。
やがてユーリが、とりあえず連想してみるかといった勢いで言葉を並べてくる。
「だーね。つっても、たいがいそれっぽい用語なんて押えられちゃってるからなぁ。深智魔法とか真言魔法とか、秘術呪文に喚起魔術だの統合魔術だの」
「うむぅ。ならいっそ無理やりそれっぽく当てはめてみるか? 神秘術、真秘術、操魔法、操魔術。魔命術……となると特に命名って感じじゃないからハズレるか。あとは……魔導術とか、魔法術とか」
「ソレダ!」
「え?」
すごく適当に連想を垂れ流していただけだったリョータの言葉に、なぜかユーリがビシィと指差しつつ食いつきを見せる。
思わずとまどった声をあげてしまうリョータをそのまま置いて、ユーリがうんうんとうなずきながら言葉の続きを述べてくる。
「そうそう、そういうのでいいんだよそういうので。魔法全般を扱う術師、なんだからその通りに『魔法術師』! そう書いてウィザードと読む! そして行使する術法については『魔法術』と書いてウィザードリィと読む、だ! これなら矛盾もないし被り先もなかろー。素晴らしい発案だすばらしい」
「ごくっ、このわざとらしい中二味! つーかマジっすかユーリさん。いや、たしかに理には適っているが……。しかし、そーすると、アレか? おまえの方のエレメンタラーやらは精霊術師とでも書くの?」
「ゆーぶごてぃっと! それでいこう統一感もいい。『精霊術師』と書いてエレメンタラーと読む、そして『精霊術』と書いてエレメンタリィと読む! あ、ちなみに後者はアールじゃなくてエルの方の造語な感でおなしゃす」
つまり、一般的な形容詞の“Elementary”(エレメンタリー/基本の、初歩の)ではなく、それっぽく変形させた“Elementaly”であると。
「いいが、オナシャスはやめいや……」
「ふひひ、サーセン」
わりと下品なネットスラングだから止めておけと言うリョータだったが、応じるユーリは口元へ手をやりながらも歯を見せるように笑いつつ、軽やかにスルー風味でしたとさ。
ともあれ、紆余曲折ながらも互いの能力面に関して一定の把握を済ませられたことは、有意義な時間であったのだろう。
さて、こうした能力検証の結果は、ある重要な可能性について示唆していた。
帰還の手段についてである。
この点に関してはさすがにおふざけなど含めていられない。一旦間を切って呼吸を改めた後、真面目な語調でリョータから言及する。
「なぁユーリ。この、おれの“魔法術”なんだが、よ」
「なんか思いついたん?」
「ああ。長じれば空間を跳躍するような……テレポートやらも使えるだろうということは、だ。それはすなわち時空間や高次元にも干渉しうるってことを意味するわけだよな? つまり……」
少なくともリョータたち学生レベルであっても知識の見聞きが及ぶ限り、宇宙物理論における空間と時間の関わりとは不可分なもの――であるはずだった。もっともらしく特殊相対性理論だのを無理して持ち出すまでもない。空間を捻じ曲げうるのならば時間にも干渉しうるということであり、あるいは通常の四次元時空構造を数段飛び越えた高次元領域といったものも影響範囲に含まれてくる……
このリョータの言及に、ユーリはぴくりと眉を動かすように反応しながら、
「極まれば世界の隔たりを――宇宙の壁をも越えられる、かもしれない、か」
と、真面目な顔で応じながら顎元に手をやりつつ考え込む姿勢となるのだった。
うなずきをあわせながら、リョータは続ける。
「ただし現状ではあくまで、まったくの不可能ではないかもしれない、といった程度のかすかな可能性に過ぎないが。どれだけ力量を昇格させればいいかなんて話もいまの底辺状態からじゃ雲上の星空を見上げるようなもんだ」
「しかしそれでも、手段としてありえるのなら検討してみるに値する。そうだな、あの本に可能だったということは、現象としては成り立つってことだ。なら、別の形の、異なるアプローチからだって、似たような結果を達成することはできるはず」
「そんでもって今のところ、そんな途方もない現象について別口の方法も心当たりがない。なら他の可能性に関しては長期的に情報を探り続けるとしても、当面は――」
「お互いの魔法能力で状況を切り開けないか試してみる。そのために…………レベル上げしようぜぃ! ってことだなっ! おうおーう」
「おうおーう。とりあえずそれが、何のかんのと一番早道そうだしな」
また副次的にも、強くなれば安全の確保もやりやすくなるだろう。行動範囲も広がる。
ただし気をつけなければならない面が一つ。リョータは手振りを添えつつ述べる。
「とはいえ、“レベル上げ”のために、よくある“モンスターを倒す”なんてことが必要だとしたら、その行為には当たり前だが危険がともなうわけだ。はたして天秤の見合うものか、これはよく考えた方がいい」
「それはまぁそうだろうけど、でもオレらのこの能力具合なら、わりとやりたい放題できちゃいそうじゃない?」
「そうかもしれない。だがユーリ」
首を一振り、真剣な眼差しでまっすぐと相棒の目を見つめながら、リョータは続ける。
「脅威も未知数の状況で死ぬかもしれないなんて言ったところで実感など湧きようもない。たとえ手足が欠損したところで後から治癒の術による再生すら可能かもしれない。だがユーリ、おれは、おまえがそんな大怪我するかもしれないなんて緊急事態は、嫌だぞ。逆だったら、おまえはどうだ?」
「そりゃオレだって嫌に決まってるよ……。またそーゆーグロいっぽいこと真面目に口にしちゃうんだから……。あーもー、わかったよ。危険を軽んじやしないし、一つ一つちゃんと確かめながら進めていこう。これでいいか?」
「ああ。すまないな、こういう性分で」
「ふ、なんだよー殊勝顔しちゃって。もう何年がけで慣れてると思ってんの? それに、そーやってリョータが後ろを持ってくれるから、おかげでオレは前を突っ走っていられるんだぜ?」
と、ユーリは微妙に気取った笑みと仕草で、両手を肩の高さに広げるようにしながら。
それにリョータは微笑と苦笑を半々で乗せつつ。
「そうだな」
一言うなずいて返すのであった。
「ただこれなんだが……あまり一足飛びには帰還の手段として考えない方がいいかもしれない」
一息ついて場を仕切り直し、リョータは改めてそれを告げた。
ユーリが問い返してくる。
「ふむーん? それはまたどういった意味での?」
「難度と安全性の問題が高すぎる。目標として遠すぎると言い換えてもいい。始めからそこを目指して走ろうとするには、途方のなさが危ういかもしれない」
「あー、つまり、途中で挫折しそうって?」
「要するに、それだな」
肩をすくめつつうなずくリョータだった。
一呼吸置き、言葉を続ける。
「だから段階を分けて見据えたらいいんじゃないか、ってな。中間目標を置くのだとも考えられる」
「中間目標、ね。最終目標が地球への帰還だとして、それって?」
「連絡方法の確立、でどうだ? あるいは最低限としてなら一度連絡をつけられること。理屈としてはこうなる……」
と述べてリョータは、時に身振り手振りなども加えつつ、自説を説明していく。
時空間ワープ、宇宙間ワープというものを、一種のワームホールトンネルを潜り抜けるような行為と仮定した場合、質量ある物体が形を保って移動を成し遂げることは困難だろう。ましてや現に生きている最中の生物が、その生体としての機能と活性を何ら損なうことなく、などとなれば。難度の至るところは計り知れない。だが。
「だが連絡を通じさせるだけでいいのなら……。たとえば、電磁波に信号を乗せて短いメッセージを送り届けるだけなら、それはほんの数秒の小さな」
言いさしたリョータの言葉を、ユーリが引き取って続ける。
「マイクロブラックホールだかワームホールだかを維持するだけでいい、かもしれない。それにその程度の“穴”であれば自然にいくらでも発生消滅している範囲だろうから、反動として予測される危険性もそれほどでなく済みそう、か?」
「そうだ。そして連絡さえつけられたなら、最低限、本当に最低限だが……家族に、こちらの生存を知らせることができる。やみ雲な捜索行為の囚われからは少なくとも開放を望めるだろう」
そんなことで家族への不義理と心配に対しどれほど果たせるものがあるわけでもないが。
かといってそれ以上の何を言ったところで放言にしかならない。いまはまだ。
と、苦味を噛み締めたような表情になることを抑えきれずにしかめ面を晒してしまうリョータだったが。
それを見やったのだろうユーリは、そこには直接言を触れずにただうなずきだけを一つ刻むと、話の先へと言葉を転じてくる。
「まず連絡を、ってのは理解了解したよ。ならその具体的な手段って、やっぱスマホちゃんよね? 電波的に通信するなら」
ちなみにスマホとは、スマートフォンの略称の一つです。ケータイ電話みたいなものです。念のため。
「だな。電磁波に有意な信号を乗せる手段なんてそうはないし、第一向こうが受け取れる形式じゃないと意味がない」
「よくあるモールス信号で、とかは?」
「おまえ信号表の暗記してるん?」
「ムリムリ」
「そうでしょう?」
互いに首を振り合って、一呼吸。
リョータは言葉を続けつつ、着ているブレザー制服の上着ポケットを探る。
「でな、それで思い出したんだがそーいえばまだスマホのあれこれ確認してなかったなって」
「ああー、そういえばそうだな。わろすん。それどころじゃない事態だったとはいえ慌てすぎだねぇ、オレら」
「まぁな。つってもいきなりこんな状況だし、健闘した方じゃねーの? さて……と、うーむ」
「案の定ノーアンテナで電波ナッシン、GPSもまったくキャッチしないーね」
「これもお約束というかなんというか。おれとしてはむしろ様式美と呼びたいわけだが」
「異世界の電波が告げる様式美ィ! ですねわかります」
「はいはいスピリチア将軍様おつです。星空の戦場で歌いますか」
両手を広げなにやら決めポーズらしきものをとっているユーリさんに対し、リョータはいつものようにツッコミを付き合うのであった。おれの歌を聴けェとかまでは相乗りしないが。
一通りのポージングに満足感をただよわせてから、ユーリが改めて言葉を向けてくる。
「ところで、スマホっつーかケータイの挙動的に、この状態だと電池消耗が早いんだっけ?」
「ああ。たしか、基地局の応答探して出力の強い電波発信を繰り返すんじゃなかったかな。出番が来るまで電源落とすというか、電池パックから抜いといた方がよさそうだな」
「ういうい。そうしとくべぃ」
素直にうなずいてスマホの電源を落としにかかるユーリだった。リョータも同じく行う。
電池というものは、物理的な回路が接触している限り放電が続いてしまうものだ。当面使う予定がなく、消耗を最小限に抑えたいのならば、電池それ自体を外してしまった方がいい。それでも自己放電現象まで止められるわけではないので、保って半年から一年かといった程度だろうが、はめっ放しよりかははるかにマシだろう。
シャットダウン動作が終了したスマホから背面のカバーを取り外し、電池パックを抜いてからカバーをはめ戻す。抜いた電池はなくさないよう大事に鞄にしまっておく……というかスマホ自体も使わないので同じようにしまっておくわけだが。
そこでユーリがふと気がついたといった表情を浮かべながら、言葉を向けてくる。
「なぁこれさ、充電する手段って、どんなやり方ありそうだ? 魔法でどうにかできないかな?」
「そうだなぁ、充電手段は大切だが……ううーむ。なにせこれ、リチウムイオン式の二次電池だろ? 電圧制御がむちゃくちゃ繊細だったはずなんだよな。いくら電気が用意できたとしても手動でどうかにするのは、たぶん無理だぞ」
「でもそれって要するに、電気回路で言うところの定格な整流回路があればいいわけだろ? 外出先での電池切れ対策に携帯充電器なら持ってるから、これ通して一工夫すればどうにかできそうじゃないか?」
「マジかよスゲーなユーリさん。たしかにそれなら必要な回路はそろってるから、あとは電源側の規格さえ合わせられればいいわけだ。そっちならそこまで複雑じゃないし、どうにかなる……か?」
「まーそっから先の細かい話は、また時間あるときにしとこうぜぃ。なんならもっと単純に、物品を“修復”だとか“修繕”だとかする術でもどうにかできる可能性がないわけじゃなし」
「あー。電池内部の化学変化状態を“逆さ戻し”させると考えれば、そういう干渉のやり方もアリっちゃアリなのか。こりゃ色々と頭柔らかくしながら実験してみる必要あるわなぁ」
「んだんだ。でもそういうことには時間も手間もかかるから、さ」
「よォーし、次いってみよう」
「おぅいぇぃ」
なぜか互いの片手をあげ振って、ハイタッチめいて打ち鳴らす二人であった。
「それでな、スマホ話から連想したんだが、一度お互いの持ち物を整理しておかないか?」
とリョータが告げるに、ユーリも応じて。
「おうけーい。んじゃ鞄の中身でもぶち撒けますかい」
「小物をなくさんようにな」
そうして、腰ほどの高さの平たい面がある小岩の上に並べてみることになった。
結果に関して、勉学の用具類はひとまず省く。教科書や参考書などは、化学、生物、物理といった類いがいずれ役に立つこともあるだろうが、現状では紙類はかさばって重い荷物でしかない。
サバイバルに直接役立つものというと、まず水筒代わりになるペットボトル二本。飲料水の確保は最優先事項なわけだが、液体というものは持ち運びが実は意外と難しい。これがあることでその問題点が最低限クリアーされる。
次いで、ユーリの持っていた簡易救急セットだ。といっても手製の寄せ集めに過ぎないのだが、消毒薬に絆創膏、少量のガーゼや包帯類、そして総合ビタミン錠剤などが中身となる。これらは“ブッ飛ばし”でケガを負った際にいちいち医者にかかっていられなかったため(大事になってうるさいし面倒ごとになるため)用意していたもので、ビタミン剤は手の内に握りこめる程度の小瓶であるが数千円する上等なものだ。理由は、頭のおかしいヤンキーどもの中には時おり“ドーグ”を持ち出してくる本当の馬鹿がいることがあって、そういうヤツは衛生面などまったく気にしていないので傷を負わされた場合の対処が意外とやっかいなのだ。すぐさま豊富かつ清潔な流水をもって洗い流せる状況とも限らない。そのため、かなうなら抗生物質の用意が望ましかったのだが素人が入手できるものではないため、代用として免疫代謝ブースト用に備えた一品だった。ブーストといっても、ビタミンそのものに強力な効果はない。だが人間の生理代謝とは妙なもので、普段はどこかに偏りがあって万全に機能はできていないものだ。余るくらいに摂取を意図して行うことで、一時的にフル回転を期すことができる。という、比較として見た場合の擬似的なブースト状態である。外から傷口に直接用いる消毒薬とあわせ、内からも“保険”として用いておく、まぁそんな程度のものに過ぎないわけだったが。
今回はそれが役に立つ。総合ビタミン剤があれば、あとは適当にナッツ類でも拾って脂肪分を基軸にしたカロリー量と最低限のたんぱく質摂取、これを賄えれば当座をしのぐことができる。ビタミン剤の小瓶の中身は半分ほど残っているので、二人で消費してもペース配分さえ間違わなければ一月と少々くらいの間は保たせられるだろう。
また、リョータの持っている簡易裁縫セットと併用することで、切り傷などを負ったとしても縫合することが可能だろう。麻酔もなしでそんなことをやりたくはないが、手段として備えておけるということは重要だった。
食料の手持ちに関しては、だいたいいつも鞄に放り込んでいたカロリーブロック食品が一箱ずつ。これは食べ盛りの二人にとって暴れてハラヘリした際などの常用物だった。あとは少量の、一口チョコだの、ちょっとしたアメ類だのくらいだ。大事に取っておくほどのものではないし、食べきってしまうつもりなら今日一日をしのぐには足りる。だが明日からは積極的に食料の確保に動く必要があるだろう。
一通りの確認を終えて。ユーリが、どうしたものかといった表情で教科書ノート類を手に取りながら、言葉を向けてくる。
「そんでこの、紙モノ類はどうする? 捨てるにはもったいないけど、ずっと持ち歩くと考えると負担が馬鹿にならないかもだぞ」
「だなぁ。鞄は一つずつしかないし、食料を拾い集めに動くことも考えると内容積を埋めとくわけにもな。いっそどこかにベースキャンプ定めてそこに置いとくか?」
「それも考えたんだけど、さ」
「おう?」
ユーリの思わせぶりなフリの仕草に、問い返すリョータ。そこへさらにユーリは、息を強く吸ってから。
「そこはファンタジーするっきゃないでしょーう! せっかく魔法能力なんてあるんだからさぁ! ほらよくあるじゃん? 亜空間アイテム収納領域とか、あるいは“無限の鞄”みたいなのとかさぁ。リョータくんさんご自慢の魔化付与系術法とかで何とかなんない? キリット!」
「キリットは……まずい……。それはともかく、マジっすかユーリくんさんや。えー、もー、えー? ――ハイッ、できますやれますかないますっ! うはっは、我ながらこれは」
「やっぱりィ? すげーぜ、さすが魔法術師さん、本当にできたぜ!」
「ワンナップもイモータルもしないがなっ。ちなみに可能な系統は後者例の“無限の鞄”的なエンチャントの方だぞ。それと、無制限ではない。あくまで内部容量を何倍かに拡張するっていう形だし、同様に重量も完全無視ではなく何分の一かに軽減するっていうだけだ。いまの力量だとそれくらいが限界だな」
「ほうほう。ちな、将来的にはどんくらいイケちゃいそう?」
「そうだなぁ……。鞄一つに家一軒分くらいまでなら詰め込めそう、か? とゆーより、そこまでいくと専用の倉庫を用意して特定の鞄と連結させる、っていうやり方がよさそうにも思える。ああだが、いずれも適切な材料が必要だわ。これを忘れてたら意味なかったすまん」
「なぬー。素のままの空手じゃムリなん?」
「ああ、エンチャントする際に、魔法の働きに順応する素材であったり、核として担う宝玉類であったり、なんかそんなモノが要るっぽいんだわ。永続的に効果保障するなら、だが。小一時間しか続かなくていいなら手軽にかけられなくもないんだが、それだと」
「それこそ意味ない感になっちゃうか。鞄の容量みたいな話だと。つまり、用途によって使い分けが肝要と」
「そうなる。でな、材料の用意、ちょっとばかし思いついた策もあるんだが、これも時間かかりそうだから後にしよう。今日の今すぐに急ぐような話でもないからな。それよりもう一つ確かめておくべき別の方面がある」
「おう、なんぞねリョータくん」
問い返しにうなずいて、リョータは答える。
「身体能力についてだ」
身体能力がどうなっているか。
もっと言えば、体力と足の速さがどうなっているか、これが重要だった。なんとなれば、究極の危機回避手段とはすなわち「走って逃げる」であるのだから。しかも足が速ければ、自らが逃げる際だけでなく獲物を追い詰める際にも非常に有効だ。もし人間が野生において馬よりも速く長く走っていられたならば、道具に頼る必要もなく地上の覇者であったことだろう。
「それで、どんな方法で確かめるかという点なんですがねユーリさん」
「ほむ。提案があれば聞こうじゃありませんかリョータくん」
「ほむり。定番というか様式美的に則ると、そこらにいくらでも生えている大木さん方をパンチ一発KOしてみぃ、てなわけですが。しかしこれだと」
「ほまむ。それはやめろください。むろんエルフ的な意味でだ」
「こっしゃれ。エルフ的な意味なら致し方あるまい。とゆーわけで、次点の垂直跳びさんでいかがかと」
「それで」
「よいよいよい」
「残響音含めんなし。いいからほれ、言いだしっぺの法則に基づきリョータくんさんから跳んでみんしゃい」
「へいよー。ぐっつすっす」
「オッサンだいぼうけーん!」
だとかくだらないことを掛け合いつつも、近場の大樹の周囲から、地面が平らになっていて跳躍に適している箇所を探す二人だった。大樹のそばである理由は、跳躍の高さを見定めるためで、チョーク粉代わりに手の指先につけた黒土を跳躍の頂点で樹の幹に触れつけてくるつもりだった。要するに学校などで行う体力測定のやり方の真似である。
とはいえ、大きな木の周辺というのはそれだけ根っこがデコボコとうねっていたりするので、ポジション探しにそれなりの手間を要するわけだった。
やがて丁度よい位置取りを見つけたリョータは、腰を落として手足のストレッチング具合を確かめるようにしながら。
「とりあえず、いきなり全力全開ではなくて、少し余裕を残して跳ぼうと思うが……。どんくらいイケそうかって、これはけっこうドキドキするな」
「垂直跳びってたしか、オリンピックで優勝競うようなスゴイ級マッチョの人らでも一メートルくらいなんだっけ?」
「たしかそんなもんだったはず。世界記録としてならもっと高い人もいた気もするけどな。さて……いくぞ」
宣言とともに呼吸を整えてリョータは、まずその場で小刻みに数回跳ねて足腰の感触を確かめてから、息を強く吸いつつ腰を深くためると、
「ハッ――!!」
気合一吐き、垂直に高きを目指して跳躍する。
結果は迅速だった。高い。明らかに、足底の位置が己の身長よりも高い。
その高さはリョータ個人にとって未体験の領域だ。当然だが力加減も知らない域だ。思わず姿勢を崩しそうになりながらもなんとか、頂点付近に滞空している間に手先を伸ばして大樹の肌を触れておく。
「うおっ、ととぉ」
と、うめきにも似た驚き声をこぼしつつ。妙に長い滞空時間――実際には数秒もないだろうが、体感としては手羽ばたけばそのまま宙を泳げそうな――に、これがエアウォークというものだろうかと場違いな感慨なども抱きながら。
降下に至れば終わりも早く、多少の危うい姿勢に崩れつつもどうにか足から着地してみせるリョータだった。
それを見届けたのだろう、十歩ほど離れた位置に控えていたユーリから、拍手が送られてくる。
「お見事! いまのは大ざっぱだけど二メートル超えていた感じだぞ。本気出せば百メートル走で五秒切ったりとかできるんじゃね? よっ、超人パワー!」
「どっちのスーパー指してるか知らんが、ソレ系は危ないからやめときなさい……。それはともかく、脚力強いってだけじゃ走る速さにゃ限界あるだろ。接地面の強度だの摩擦力だのと。むしろ蹴りの威力とか、そっち気をつけた方がよさそうなヨカン」
「あー、キック一発、人が空飛ぶって?」
「うむ。……そんなコミカルに済めばいいが、リアル路線だと内臓とか背骨とかほら」
「あーあーキコエナーイ! グロい話は禁止だと言ってるサル!」
「あいよ。まぁ聞いて楽しい話じゃないのはおれも同意だが。で、次はおまえの番だろう?」
「ふっふ。きた、ついにきたっ、メインヒーローの出番きた! これで勝つるとたたえたくなる大跳躍をお見せしようじゃあないか、このユーリさまがなっ」
「おまえいまはもうヒーローとか……いや何でもないです。期待させてもらうが、とはいえあれだぞ、跳躍即ズボンずり落ち、みたいな三流芸はいらんからな? 普通にまじめに跳んどけよ?」
「ははは。なにを言っているのか意味不明。当たり前じゃあないかね心配性だなリョータくんさんは」
などとのたまいながらもユーリは不安があったのか、ベルト周りを手探りしつつ締め直したりしているわけですが。おいィ?
半ば呆れるような息を吐きつつも、腕組みしながら歩を後ろに下げ、十歩ほどの間をあけるリョータだった。他にも何か忘れているような気がしなくもないがまぁいいだろう。
「こっちは見届けポジションおっけーだぞ~」
告げるリョータに。
「ういうい。っしゃ、いっくぜぇ~~かつ目して見よっ」
答えるユーリ。
そしてやはり軽い屈伸運動のような動きから足腰の具合を確かめつつ、やがて息を強く整えると腰を深くためて。大きく跳躍を――
と、そこでリョータは気づく。というか思い出した。あいつ、あのサイズ余りの靴のまんま垂直跳びなんてかましたら、靴すっぽ抜けて飛ばしちまうんじゃねぇか――?
「おいユー……」
「せー、の、セイッ!! ――うにょろばっ!?」
その時、いくつかのことが立て続けに起こった。
まず勢いよく高みへ跳躍するユーリ。これはいい。案の定、靴が片方抜け落ちていたがこれもいいだろう。
飛び上がった頂点。これが高い。リョータの身長どころかその倍ほどにも高い。先ほどリョータが跡を残した記録位置よりも上に腰が達している。おそらく三メートルを大きく超えていることだろう。これ自体もまだ問題ない。
だが飛び上がって間もなく、妙な奇声をあげたユーリは体勢を大きく崩した。エビ反りめいた不安定な姿勢に陥りつつもなお跳躍の高さがあれほどに達するということは、発揮された脚力のすさまじさを物語るわけだが、この場合はあんな高い位置の空中でほとんど横向きに近いほど体勢を崩している点が危険しか意味しない。
また、この大きく体勢を崩した際に、かろうじて片足に残っていた方の靴をあらぬ方向へすっ飛ばしてしまっていた。失うわけにはいかないので、後ほど探しに出向かなくてはならないだろう。
これら出来事を総じて並べると、ぴょーん、うにょろばっ、すぽーん、であった。まぁ傍目から眺めているリョータに映る光景としては、だが。
とにかく、このまま地面に落下させては危ないので、
「――んの馬鹿っ」
一言ぼやきつつリョータは、前へ駆け出してユーリの落下予測点へと滑り込むのだった。
「おいっ下から受け止めるからな! ――っとぉ」
ユーリの跳躍頂点が高く、また滞空時間も長かったことがあり、一声かける程度には余裕の残るタイミングで間に合うリョータだった。なんとか横抱きにキャッチすると、走りこんだ勢いをそのまま横滑りさせつつフィギュアスケートじみたアクセルターンのように数度の回転をあえて行い、腰と膝を深く沈めつつも慣性を散らす。
ずりずりざりぃ、と靴裏の立てる摩擦と土煙が、事態の余韻を刻んで。
制動を終えたリョータは、ふぅ、と安堵の一息を吐き、そして腕の中の馬鹿のことを見下ろすと。
そこには横抱き状態のユーリが、びくんびくんと何やら悶えながら、腕組みというかその豊満な胸元を自ら抱え込むような格好で、不明瞭なうめき声ばかりを口からこぼしているのだった。
「おいィ、このアホユーリさんはよぉ、なにしてくれちゃってるんですわ? お?」
「お、おおぉぉ……。も、もげ。もげげげ」
リョータの声かけに反応してユーリが、片手をぷるぷると震えさせながら持ち上げつつ、何事かを伝えんと言葉を紡ごうとしてくる。
「なんじゃい。もげ?」
「も、もげ、もげるぅぅ。いやもげかけた。ぶちぃ、て。ぶちぶちぃて聞こえた。聞こえちゃいけない音ががが。あばばぼぼ」
「おい。おいそれはどーゆーこっちゃねん。わりとシャレならん話に聞こえるぞ、おい」
「た、たぶん、乳腺。乳腺さんが慣性で。筋肉との違いは想定外……おおお」
と短く告げて、また身悶えしだすユーリだったが。
言葉足らずの示唆ではあるが意味するところを考えられなくもない。つまり、筋肉は大きく強化されてその出力も増している。同様に骨格や内臓なども似た比率で強化されていると考えてよいだろう。だが乳房は?
問題は、何をもって正しく“強化”であるのかということだ。生体組織としての乳房は、硬く頑強と化すことが利点ではないだろう。また構造を支持する組織も筋肉ではなく乳腺とその付帯組織であり、これも本来の機能は乳房の発達といずれ乳汁を外分泌するためにある。ゆえに、たとえ超人的に強化されたとしても、筋肉と同じように支える締まるとはいかないわけだ。
そこまで考え至ってみれば、たしかに盲点ではあったもののある意味で当然の帰結でもあったのだなと、思わず納得してしまうリョータだった。ちなみになぜこんなことにいちいち詳しいのかというと、それは思春期特有の青少年パワーとしか言いようがない。ないったらない。いやぁまっこといんたーねっつさんは偉大でござるなぁ。
そんなこんな、うんうんと一人うなずいているリョータのことをどう見やったのか、ユーリが多少の恨みがましい表情でもってリョータの胸板あたりをぺしぺしと叩きながら、途切れ途切れな調子の声を向けてくる。
「ちゆのじゅつ、だれか、たのむ」
「お、おう」
応じてリョータは、ひとまず様子見を兼ね、効果が軽めの“小治癒”を施してみるのだったが。
「これで効いてるか? 足りそうか?」
「おおぉ……。攻撃色が消えてゆく……大地の怒りが解けておる……」
「なんといういたわりと友愛じゃ、心を開いておる……って、やっかましいわババ様かよょっ。と、まぁそんな冗談言える余裕あるなら大丈夫ってことだな」
とツッコミめいて応じつつもリョータは、こっそりと安堵のため息を吐いていたりもした。
数呼吸ほどが過ぎ、多少は落ち着きを取り戻したらしきユーリが言葉を向けてくる。
「いやぁしかし、これは思わぬキョーテキトウジョウダナ状態でしたわ。ありのまま今起こったことを話すなら……。超スピードだとか相対性理論だとか、そんなキザなもんじゃあ断じてない。もっと古典的なニュートン力学の第一法則を味わったぜ……」
「はいはい慣性の法則さんご理解ありがとうございます」
おざなりに応じるリョータだったが。
するとナゼか途端、死にそうに弱ったような表情と仕草に変じたユーリが、これまた弱々しく震える片手を力なく持ち上げてくる。どうやら握手したいらしい。すごく……芝居臭いです。
仕方なく握り返してやるリョータに向けて、ユーリが細った息の言葉を紡ぐ。
「なあ。オレがもし……ニュートン以前の時代に生まれていたら。きっと古典物理の新発見を……ここから着想していたに違いない……のぜ?」
「無茶しやがって……。おまえはよくやったよ、もう森へ帰ろう?」
今いるここが既に森の中ですがねっ!
だがユーリは弱々しく首を横に振って。
「さ、さいごに……どうしても。こ、これだけは……」
「どうした、おいユーリしっかりしろ。傷は浅いぞ目を閉じるんじゃあない! 衛生兵、衛生兵はまだかっ」
うろたえて周囲を見回しながら醜態を演じるリョータと。
かすかな残り火を吐ききるようにその言葉を伝えるユーリだった。
「ぶ、ブラジャーさんは、現代工業の偉大な結実でござるなぁ。きっとね。ぐふぅ」
ぱたりと儚く散り落ちる手に。
リョータは信じられないものを見たかのごとくおののきながらも顔を振って、震える声をしぼり出すように口からこぼれさすのだった。
「ユーリ……? どうしたおい。返事をしろよ……。ユーリ? ……ユーリィィィィィイイイ!!!」
深い深い大樹の森の中。
男の慟哭が木霊する。どこまでも。どこまでも。
天を仰ぎ、男泣きにむせび泣く大男の姿と。その腕の内に抱かれ力尽きるように瞳を閉じた、やり遂げた者の笑みを浮かべる娘の姿を。あるいは見下ろすように。
その時はるか天空には、一筋の流星がきらめき墜ちていた……のかも、しれない。
日が暮れました。