天国探し
黒い髪に少し茶色掛かった瞳、今流行りの服装。
その子は極普通の少女に見える。
だけど、彼女が立っているのは崖っぷちだった。
『え、ちょっと待って、そこの女の子。君は何をしようとしているのかな?』
うっかり俺が声をかけてしまったのも、そんな理由があったから。(自殺でもしかねないと思ったんだよ!)
けれど、彼女は言った。
俺に笑いかけて、楽しそうに言ったのだ。
「天国をね、探してるの」
少女は楽しげにくすくすと笑う。
まるで自分の置かれている場所を理解していないかのようだ。
そして彼女は唐突に言い出した。
「ねえねえお兄さん。神様って信じてる?」
「は? ……いや、別に信じてないけど」
「私も同じよ。格好いいお兄さんと意見が同じだなんて嬉しいわ!」
……訳が分からない。いきなり神様がどうとか訊いてきて、実はこの子アヤシイ宗教関係者なのか? だったら関わりたくない……!!
「お兄さん?どうしたの?」
「あー…いや、その、うん」
少女に声をかけられ、思わず口ごもってしまう。関わりたくないと思ったばかりだったが、声をかけた時点で既に関わっていると自分で気づいてしまったのだ。
でも、下手に口を出して、うっかり崖から飛び降りられたりしたら嫌だ。
(この崖はそんなに高くないので、多分落ちても死にはしないはずだが、やっぱりなんか寝覚めが悪いじゃないか)
さあ、どうしよう。
「そうだ、お兄さん。なんか勘違いされてるといけないから先に言っておくけど、私は別に自殺願望ないから」
「あ、そっかー。良かった良かった、お兄さん安心しちゃったよー……じゃなくて!!!」
うっかりノリで流される所だった。
しかも、自分が勘違い(彼女が自殺しようとしていると思ったこと)をしていたと認めてしまったよ。
わー、お兄さん格好わるーい。
……ダメだ、なんか完全にテンションがおかしい。なんかこの女の子にいろいろとつられちゃってる。
俺は咳払いを一つして、出来るだけ真剣な顔をして女の子を見つめた。
「で、もう一回聞くよ。君はそんなところで何をしてるのかな?」
女の子はしばらくきょとんとした顔をしていたが、やがて憐れむような顔で俺を見つめ、言った。
「天国を探してるのよ。お兄さん、私が数分前に言ったことも忘れちゃったの?」
「や、覚えてるからね!? ……質問を変えよう。君はどうして天国なんか探してるの?」
「……うーん……。……まあ、色んな理由?」
質問に質問で返すな。というかすべてがもう理解不能。色々って何だ、色々って。第一、天国は探してみつかるものなのか。
言ってやりたいことはいろいろ有ったが、俺はため息をついた後、手を差し出した。
「とりあえず、こっち来いよ。もし何か人に言えない事情があるのなら聞かないから、とりあえず俺の家に来い。いかがわしいことなんて何にもしてないし、家族とかの心配もしなくて良い。俺はボロいアパートに下宿してる」
そう言うと、女の子は突然笑いだした。それも、お腹を抱えて。
「あははははは! お兄さん、すごいお人好しなんだね! いつか絶対騙されるわよ?」
そう良いながらも、俺の伸ばした手の上に、す、と重ねられる手。
その手の冷たさに、俺は思わず目を瞬かせた。
もしかして、この子、実はもうこの世のヒトじゃないんだろうか。
天国を探してるのって、単に成仏できないから……とか。
女の子はそんな俺の思考を読んだかのように、俺の目の前に来て言った。
「私はただ天国が見たいだけなのよ。だって、どんな人でも幸せになれる楽園なんでしょう? 気になるじゃない。ああ、案外あなたの下宿先っていうアパートも天国かも知れないわよ」
彼女のいうことはまったく理解ができない。あんなボロアパートが天国である訳がないだろう。
けれど、あまりにも楽しそうに笑いながら言うものだから反論ができなくなってしまった。
まあ、これがきっかけで俺も訳の分からない“天国”探しに巻き込まれてしまった訳だけど。
天国なんて探す必要もないってことを、俺と彼女が知るのは、残念ながらもう少し後のことだ。