01 桜の木――4月6日
私と柴田先生が出会ったのは入学式の前日だった。
入学式と行っても私のではない。私が三年生の時に一年生のために準備をするのだ。
忘れやしない。私が丁度ハシゴに登って……何をしていたかは忘れちゃったけど、倒れちゃった。後ろに。
「――おっと」
「きゃっ!?」
私は思わず目を瞑ってしまう。だけど、誰かが私の背中を押していた。
「よっと」
「うわっ!?」
私は脇の下を掴まれたと思ったら身体が宙に浮いた。そして足の裏にアスファルトの硬い感触を感じる。
「……?」
私は振り向いた。
桜の花びらが舞う中、静かに微笑んでいる柴田先生が立っていた――
*
――っていう、いかにもドラマチックな出会いを果たした私たち。
「どうよ?」
それを渋い顔で見ている小川に訊く。
「……ベタだな」
「……でしょ」
私はにやりと笑った。彼は肩肘をテーブルに付きながらテキストファイルをスクロールさせていった。
「すいません」
隣にいた雄哉が店員さんを呼ぶ。
「コーヒー、お代わりください」
「かしこまりました」
ふと彼のカップを見るともう空になっていた。私も冷めないうちに飲まないと思い、カップを口につけた。
*
「大丈夫?」
しばし、その状況に見とれていた私はぼやーっとした感じでそこに立ち尽くしていた。
「……え? あ、はい」
「顔が赤いけど熱でもあるのか?」
「えっ!?」
次の瞬間額に手が当てられる。思わず目をつぶって一歩引いてしまった。彼は「ごめん」とバツの悪そうな顔をしていた。
「あ、すいません……助けてもらったのに」
「いやいや、いいよ。気をつけてね。ご苦労さん」
そういって先生は立ち去っていった。私はその背中をいつまでも見つめていた。
心臓は飛び出そうなくらいに拍っていた。
「大丈夫?」
「うわっ!?」
横から声をかけてきたのは私の大の親友、島原綾瀬だ。彼女は校則違反であるにも関わらずipodを首からぶら下げていた。先生が何を言っても聞かないので最近はあきらめて放置をしているらしい。まぁ、こいつに影響される生徒なんてそうそういないから大丈夫なんだけどね。
「へへーん、柴田先生でしょ」
「……え」
私はカーッと顔が赤くなるのを感じた。……っていうか、さっきの先生柴田先生っていうのか!
「助けて貰っちゃったもんね。香里野はさー。王子様みたいな感じ?」
「ち、違ぁ――う!」
「あははは、ムキになってるー」
「もうやめてよ! 綾瀬!」
私は綾瀬を追い返してから作業を再開した。彼女には仕事は与えられていない。与えたらその分遅れるからだ。
はしごに登りながら後ろを振り返ってみる。――だけど、そこには誰もいることなく、桜の花びらが舞っていた。
*
「……なんだこれは。僕と出会う前にこんなことがあったのか?」
「うん!」
私は大きくうなずく。彼はがっくりうなだれて両手で頭を掻いた。
「なんで……なんで僕なんかと付き合ったんだよ……」
「なんでだろね」
私自身でもよくわからなかった。
「……まぁ、今言っても仕方ないか」
「そうそう! さぁ、続きを」
「――お待たせしました」
ウェイトレスがコーヒーを運んできた。雄哉の前に置いた。雄哉がミルクを入れてから口元に運ぶ。
それだけでも魅力的に感じてしまうなんて、恋のパワーってやつ?
*
そうして準備は去年同様に終わり、皆が帰路につき始めていた。
私も鞄に荷物を詰めて帰る準備をする。
「ねぇねぇ」
「ん?」
綾瀬が私の肩をぽんぽんと叩く。私は振り返った。
「職員室に呼び出し食らっちゃった」
彼女はそんなことをさらっと言う。顔はニコニコ笑っている。もう、こいつは慣れているんだろ。
「あっそ。いってらっしゃーい」
「やーん! 香里野冷たい! 一緒に来てよ!」
「なんで私まで行かなきゃいけないの!?」
「途中までで良いからさ、ね?」
両手を合わせてまで頼まれたら断れない。私もつくづく人が良いと思いながら教室を出た。
「どうして今日は呼ばれたの?」
開いている窓を順々に閉めながら訊く。私は窓閉めがいつしか習慣になってしまったらしい。ガラガラと音を立てながら閉まる感触が何とも言えない。窓フェチじゃないけどさ。
「んーとね。香里野が乗っていたはしごを揺らしたのを柴田先生に見つかっちゃってね」
「お前が犯人だったのかよ!?」
「あははー、ごめんごめん」
下手したら死んでいたかもしれないのに何その謝り方は!
「で、それで柴田先生に呼び出しっていうことね」
「そうそう」
「……じゃ、帰るね」
私は窓の鍵をカチリと閉めると踵を返して昇降口へと向かった。
そんな、柴田先生と顔を合わせるなんて……無理無理無理無理! できっこない! 恥ずかしいし……。
「待ってよ! なんで逃げるの? 柴田先生に会えるよー」
「それが嫌なのよ!」
綾瀬が急ぎ足で追ってくる。
「なんでー? 顔真っ赤にしてたじゃん。惚れちゃったでしょ?」
「あーもうっ! 五月蠅いっ!」
私は怒鳴って駆けだした。流石に綾瀬は追って来なかった。私はほっとため息をついて靴を履き替えた。
そこに一つの影がかかった。
「あのさ――」
「え?」
どっかで聞いた声……もしかしてもしかして?
私ははっと顔を上げた。
「島原知らないか?」
「わわっ!」
私は飛び上がって後ろにさがった。
「ど、どうした?」
「いいいいえ、なんでもないですよ、あははははは」
「お前……おかしいぞ。大丈夫か?」
「は、はい」
「あ、そういや名前は? 俺、この学校に新しく来た体育教師の柴田雄哉だ」
体育……? へ、へぇ……。
……あ、あぁ。私も自己紹介しなきゃ。
私はすっかり上がってしまっていた。
「香里野ー! あ、柴田先生」
「島原! 遅いぞ! ほら、職員室に来い!」
「うわー! いーやーだー!」
「駄々をこねるな!」
「かーりーのー! まーたーねー」
私はぼーっとしていた。視線の先は今さっきまで柴田先生が立っていた場所だった。
ゆっくりと立ち上がって、ゆっくりと帰った。
こんなきもち……初めて。




