紅包(ホンバオ)
赤い封筒は、異国の儀式の入口だった。
数人の外国人に突然囲まれ、突然なかれた経験がある人は、どれほどいるだろう。
それも、日本の関東。人通りも決して少なくない、ありふれた午後の駅前で。日本人は、見て見ぬふりをして通り過ぎていった。
事の始まりは、僕が路上に落ちていた赤い封筒を何気なく拾ったことだった。真紅の、目を引く封筒。
無視できずに、駅前の交番へ届けようと手に取った、その瞬間だった。
七人の外国人が、路上にわらわらと湧き出るように現れ、泣きながら僕を取り囲んだ。一人の男が、カタコトの日本語で何か言い始めた。
「オマエ、チャヤニサーのオットなる。アカイのアケル」
封筒の中には、どこの国のものとも知れぬ紙幣と、名前らしき文字が書かれた紙片。数字はおそらく生年月日だろう。そして、髪の毛らしきものが一房。
大泣きしている若い女性の、娘のものらしい。病気で亡くなった娘が、あの世で悲しまぬように、夫となる者を探していたのだという。
誰もが赤い封筒を無視する中、僕だけが拾い上げた。だから僕が選ばれたのだと。カタコトだった男の言葉は、次第に流暢になっていった。
「これは台湾の儀式です。とても大事な儀式。死んだ娘があの世で寂しい思いをしないように。夫となる人間を探す、伝統ある儀式です。
断ることはできません。おめでとうございます」
取り囲む人々が、泣くのを止め、今度は口々に「おめでとう」を投げかけてきた。何のことやら、わからなかった。
僕は「ここは日本ですよ。そんなものは通用しません」と言った。
すると男は、静かに、しかしはっきりと告げた。
「夫にならないと、あなたは呪われます。ただそれだけです。ただひとつ、解決する方法があります」
僕がどうすればいいかと尋ねると、答えは簡単だった。
「違約金を払えばよい。十万円」
「持っていない」と僕は答え、その場を立ち去ろうとした。だが、彼らはどこまでもついてきた。
「わかった、わかったから…。僕が夫になるから、勘弁してくれ」
浅はかにも、そう言って彼らを帰してしまった。その夜から、何かの気配がし始めた。
異国の香料の匂いが、ふと鼻をかすめる。誰かの視線を感じ、振り返っても誰もいない。部屋の隅に、うっすらと人影が揺れている気がする。
僕はなんとかしようと、十万円を貯めた。そして、彼らと再び出会うことを願って、あの通りを幾度も行き来した。
だが、彼らは二度と現れなかった。代わりに、日に日に、娘の存在だけが濃く感じられるようになっていくのだった。
夜更け、ふと目を覚ますと、枕元に赤い封筒が置かれていることがある。
中を開けると、あの紙片と、湿った髪の毛。
「夫になったのに、なぜ会いに来てくれないのですか」
耳元で、カタコトの、しかし優しい声が囁く。
もう、逃げ場はない。彼女は、あの世で僕を待っているのだ。
読んで頂き有り難う御座います。




