第八話 ふわふわ
「ただいまぁ……」
愛沢ノアは平静を装い、家に帰った。
くびれヘアはすっかり雨でほどけてしまい、毛先が泳ぐ。
厚底スニーカーを脱ぎ、リビングに入る。
「おかえり……ノアどうしたの? なんか髪くしゃってしてるじゃない」
ノアの母親が目を丸くさせた。
「雨でちょっと濡れちゃっただけ。大丈夫」
「折り畳み傘持たせたでしょ、もう、風邪ひいちゃうから早くお風呂入ってきな。ほら脱いだ脱いだっ」
追剥のように制服を脱がされるノアは、鬱陶しさで軽く振りはらった。
「もー自分で脱げるってば」
「ごめんごめん、つい。お風呂入ったらご飯食べて、寝る前に勉強しなさいよ」
「分かってるって」
脱衣室に向かい、洗面台の鏡を覗く。
雨で乱れたミディアムヘアの毛先と、ほんのり頬を赤くした自分が映っている。
頬に触れた。
《熱い。なんか気持ち少しふわふわしてる。でも風邪みたいなダルさはないかも、むしろいつもより元気》
自然と口角が上向きになる。
《すっごい濃い一日だった。また明日って返してくれた……》
三つ編みおさげと丸メガネ、レンズの奥にいる凍てついた瞳と我関せずの表情、緩んだ表情、加熱式タバコを唇に添える横顔、バニラの香水、黒松ヒマリに関する物全てが思い浮かんだ。
《普通のことなのに……なんでこんな、頭がいっぱいに……》
冷静に考えたって分からない、ノアは雨に濡れた毛先を指先に絡める。
ジッと鏡を見つめていると、突然扉が開く。
「ノア、バスタオルちゃんと上から取りなさいよ、これ着替えだからね」
「うぁっ! び、びっくりした、急に開けないでよ!」
「なに驚いてるの? そんなマジマジ見なくたってノアも可愛いわよ、私に似て」
「見てない! 似てないし!」
調子を崩され、鬱陶しさと恥ずかしさで口角は下がっていった――。




