第七話 また明日
「それじゃさようなら、愛沢さん。もうあそこには来ないでね、危ないから」
黒松ヒマリは弱雨のなか、交差点の歩行者信号前で一方的に別れを告げた。
愛沢ノアは「あれっ」と目を丸くさせて、今朝すれ違った時を思い出す。
《黒松さんって朝はこっちから歩いてたはずなのに》
ノアは咄嗟に声をかけた。
「黒松さん、学校に戻るの?」
ヒマリは青信号を渡ろうとした足を引っ込めた。
冷たい瞳をノアに向けた。
間もなく青信号が点滅を始め、赤に変わってしまう。
「黒松さん?」
上目遣いで覗き込むノアに、軽く瞬きを素早く繰り返し、小さく笑う。
「忘れ物をしたのよ。だから取りに戻るだけ」
「じゃ、じゃあ、帰り道だし途中まで一緒に行ってもいい?」
「そうしたいけどごめんなさい、急いで帰らないとだから」
ノアはすぐに納得した。
ヒマリの歩く速度を考えると、とてもじゃないが並んで歩けない。
ノアは名残惜しく俯き、傘の柄を両手でもじもじと握る。
傾げるヒマリに対し、思い切り決意表明でもするように顔を上げた。
「じゃあまた明日!」
「明日?」
「うん、明日もあの路地裏に行くんだよね? 外で待ってるから、この交差点まで帰ろう。私、もっと黒松さんと話をしてみたくて」
「どうして……そう思ったの?」
ヒマリは呆然とした表情に、優しさを滲ませて、静かに訊ねる。
「私単純だから、黒松さんのこと見た目だけで考えてた。勉強できそうとか、将来全部決めてそうとか色々。でもこの数分でいろんな黒松さんを見てたら、全然違う。だからもっと知りたい! というか……その、仲良くなりたい感じ、かな」
早口になっていたノアだが、後半で我に返り、気恥ずかしさで少し言い淀む。
突然の前のめりに圧倒されてしまったヒマリはすぐに返事ができなかった。
瞳を冷たくできず、我関せずの表情を忘れてしまう。
頬の辺りに熱を感じて、手で触れたあと、ヒマリは目を伏せる。
「少し考えさせて、とりあえず今は、また明日ね愛沢さん」
「う、うん、また明日、黒松さんっ」
信号が青になった横断歩道を素早く渡っていく。セーラー服の背中が生んだ風に乗り、バニラの甘く優しい香りが残った――。




