第三十五話 はじめまして?
シャワーを浴び終えた谷崎マナカは、モップ片手に本屋へ戻ってきた。
数十分前にできた水滴の跡を拭き取っていく。
「今日は早かったんだな」
祖父はカウンターで新聞の記事を目で追い、ページをめくる。
「うん、今日はコーチが出張で来られなくて、自主トレだけ。そんで雨降ってきたでしょ、だから早めに切り上げてきた」
「試合いつだ?」
モップを止め、マナカは目を伏せて言い淀む。
「えぇ……いいよじいちゃん。試合場、段差多いし」
「そんな心配するんじゃない、杖ありゃなんとでもなる」
祖父はニヤリと口角を上げ、次のページをめくった。
杖と聞いた途端、マナカはムッと唇をすぼめた。
ずかずかとカウンターへ寄っていき、身を乗り出して内側を隈なく見回す。
取り寄せた古本の山と、三週間分の新聞紙しかない。
杖は、どこにもなかった。
そして、すぐにマナカは祖父をジト目で見つめた。
「じいちゃん、父さんが買ってきた杖は?」
祖父は居心地が悪そうに、視線を泳がせ、新聞紙に顔を近づける。
「……部屋の壁かけに、ある」
ボソリと、しおらしく答えた。
マナカは言葉を抑え込み、息だけを吐き出す。
ふと視界の隅に、カウンターのすぐ横の本棚と、黒いセーラー服を着た人影がちらついた。
マナカの脳裏に、当然のように三つ編みおさげの、あの冷たい幼馴染の顔が浮かんだ。
咄嗟に顔を向ける。
「うっ」
純真で好奇心いっぱいの瞳と目が合った。
古い純文学雑誌を本棚に戻し、マナカの前まで歩み寄る。
「こんにちは、谷崎マナカ先輩」
さも当然のように、名前を呼ばれる。
「どこかで見たような……」
「はいっ、この前すれ違いましたね。ヒマリ先輩とも」
「あーそうだったね」
マナカは眉をぴくりと、ぎこちない笑みを浮かべる。
「いつも店長さんから聞いてますよ。創立以来初の女子サッカー部が県大会で決勝戦進出。マナカ先輩が引っ張っていったとか」
「じいちゃん!」
今度はキッと強めに祖父を見やる。
新聞紙で顔を覆い隠す祖父の知らんぷりに、マナカは大きな溜息を肩が下がるほど吐き出した――。




