第三話 惹かれる邂逅
雨が止み、鈍い曇天が残る夕方。
愛沢ノアは、友達とカフェに寄っていた。
注文したのは、丸いバニラアイスが乗ったチーズケーキ。
「親が勉強しろ勉強しろってうるさいの」
「分かる、水差されるとやる気失くすよねぇ」
ノアはただ相槌を打つ。
スマホに通知が鳴る。
『カフェ巡りしてないで勉強しなさいよ』
母親からメッセージが届いていた。
《何も言ってないのに、これって親の勘?》
眉を下げて、ジト目になる。
「どうしたのノア、バニラ溶けちゃうよ」
「あっ……」
液体になったバニラがケーキを濡らす。
甘い香りが強くなり、三つ編みおさげの少女を思い出した。
《なんでこんなに気になるんだろう》
不思議に思いつつ、軟らかくなったケーキを突き刺した――。
それぞれ会計を終えて外に出た瞬間、カフェの向かい側、歩道に目が奪われる。
姿勢良く早足で歩く黒いセーラー服に三つ編みおさげの少女がそこにいた。
畳んだ傘を縦に、揺らさず手に持っている。
掌と口の甘い残り香が、すれ違った横顔と表情を瞬時に思い起こさせ、頭の中が窮屈になった。
「あっ」
「どうしたの?」
「えと、ごめんみんな、親に買い物頼まれてたの忘れてた。また明日ね」
友達と別れ、急いで少女を追いかけた。
《学校違うし、信号ですれ違っただけなのに――なんで?》
頭の中で繰り返される自問のなか信号を渡り、揺れる三つ編みを追う。
甘い轍が、より一層、強く惹かれる要因となる。
ノア自身、突き動かされる衝動に困惑していた。
《というか、速っ》
なかなかに早足で、普段より速めに歩くのだが、一向に縮まらない。
帰り道が遠ざかっていくなか、三つ編みの少女は水商売のテナントが並ぶ一角に踏み込んでいく。
「えっ」
ノアは寸前で立ち止まった。
まだ夕方で、営業時間外という札と、女の愛称が書かれたくすんだ看板ばかりが並ぶ。その路地裏に三つ編みの少女が今朝と変わらぬ表情で入っていく。
《多分きっと、無理やり働かされてるんだよ、うん。様子見て警察とかに相談すればいいし……よし、行くぞっ》
ギュッと眉を寄せて、瞼を閉ざす。
胸に手を寄せ、うん、と頷く。瞼を開け、狭い路地裏にこっそり、ゆっくり、進んだ。
そこは落書きで汚れた壁に張りついた室外機の列と、シールがたくさん貼られた配電盤がある狭い路地裏で、湿度がまとわりつき、風通しも悪い。
屋根からつたう雫が路面を湿らせて、ジットリ、袖で鼻を押さえた。
厚底スニーカーの裏が湿り気を踏む。
奥に営業時間外のバーと、小さな空間がある。もっと近づいていくと、湿度の中に、ほのかな柑橘系の香りと焦げた臭いが漂い始めた。
「ヒマリちゃん、いい加減やめた方がいいよ。健康に良くないし」
壁越しに少しだけ顔を出し、様子を窺う。
白いシャツに黒いベストとスラックス、革靴、蝶ネクタイをつけた四十代後半の男性が、優しく声をかけているところだった。
「もう何回目です? それとも、マスターが両親に折り合いをつけてくれるの?」
棘のある冷たい少女の返しに、男はしょんぼりと俯く。
異質な空間のなかで、少女の手元に目がいく。
黒い筒状の細い機器に挿し込んだタバコを、繊細な唇に宛がっていた。
ふぅ、と漏れる色気の蒸気。行き所のない苛立ちを抱えた眼差しが、ノアを惹きつける。
すぐに首に振って、自らに訂正を押し付けた。
《タ、タバコ……吸ってる!?》
ノアは未成年喫煙に当惑し、ふらりと後退る。同時に湿り気が音に乗った。
マスターと呼ばれていた男は、音がした場所へ顔を動かす。
「誰だ、あっ!」
「やば」
目が合ってしまった。マスターは瞬く間に険しい顔つきへと変化し、荒々しいガニ股で寄ってきては袖ごと腕を掴んで引き寄せる。
引っ張られたノアはよろけながら、少女の前で立ち止まった。
少女は驚く様子もない。加熱式タバコを口につけたまま、一秒ほど目線を右上に動かした。
「君、こんなところに何の用? 警察に通報しようってなら――」
ノアは都合の良い訳も言えず、マスターの険しい圧に手足が震えてしまう。
「待ってくださいマスター」
引き留められたマスターは、髪をかき上げながら、情けない表情で振り返る。
「えぇ? でも見られちゃまずいんじゃ――」
「その子、事情を知ってる私の友人です」
ハッキリ、淡々とそう言った。




