君に捧げる○のウタ(後日談)
ようやく『君に捧げる○のウタ』の完結となっております。
ここまでお付き合いいただき、感謝いたします。
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季節は移ろい変わる。
春から夏へ、夏から秋へ。
そして秋から冬になる変わり目のところで、とある女性シンガーソングライターがデビューを果たした。
メジャーではなくインディーズのため、マスメディアを使うような大々的な宣伝も無い、極小規模の告知であったため、最初のうちは特に話題にもならなかった。
その曲は当初、動画配信サイトや音楽アプリ等で公開され、それらをたまたま見掛けて聴いた視聴者たちがその曲の魅力に惹かれ、そこから口コミやソーシャルメディアを経て徐々に広まり、再生回数は日毎に爆発的な速度で倍増していった。
その頃になると、大手の各テレビ局や芸能に通ずる出版社などのマスメディアたちがその話題に飛び付き、特集記事や独占取材などを打ち出して掲載や放映をするようになった。
放映された特集にて、街頭インタビューを受けてその曲を知っていて、ファンであり大好きだと答えた一般の人たちはこう語る。
『純粋に歌詞が好きだ』
『凄く共感できる』
『心に響く曲だ』
また、音楽業界に精通する関係者たちの取材の様子も放映されており、
『取り立てて歌の才能が秀でているわけでは無い、歌唱や演奏の技術が段違いで優れているわけでは無い』
『ただ……そうただ……。これはそういう技術面の話なのではなく、ハッキリと明確に指向性のある誰かのためにと伝わるように、それを意識しているように作られている』
『偶然にも世間とこの曲が噛み合った成果であると言えるだろう』
『もっと単純に言うならば、これは人々の感情に訴え掛ける名曲になるであろう』
と、概ね良好な反応であった。
そして最後は、その曲を作った張本人である。女性シンガーソングライター自身の取材シーンへと映る。
こうして様々なメディアで話題になった曲の事や、その曲の制作秘話みたいな話、そしてその曲に対しての周囲の反応に対しての自身の感情などを尋ねられ、明らかに取材に慣れていないながらも、ゆっくりとだが誠実に答えていく彼女――たどたどしい様子ながらも、堂々とした姿勢で受けている様は、後からその映像を観た彼女自身にはかなり可笑しく見えた。とは本人の談である。
そして最後、この映像を観ているであろう人々たちに伝えたい事はあるか? の話題となり、それを受けて彼女はカメラを真っ直ぐに見つめながら答える。
『アタシは……アタシの周囲が大嫌いでした』
『本当に嫌で嫌で仕方なくて、そこから飛び出して1人で生きて行こうとして――』
『――最初はただ楽しくて、でも1人で生きるのは難しくして厳しくて……』
『自暴自棄に……八つ当たり気味に弾いて歌ったけど、そんなのが届くはずもなくて……』
『ほとんど腐りかけていたところで、あの子に出逢ったんです……』
『一番大事で……大切で……大好きな人……』
『そこからはその子のために歌おうと思いました』
『無我夢中に歌った結果がこうなったんだと思っています』
『そしてこれから先も、アタシはその子のために歌い続けます』
『何があろうと腐らずに、その子のために届けます』
『だから……』
『……だからそんなアタシを……これからもよろしくお願いします……』
『皆さんも腐らないでください』
『貴方にとっての光が何処かにあると信じてください……』
『ありがとうございました』
こうして独占取材は締め括られた。
スタジオにいた司会のアナウンサーがコメンテーターやゲストに話を振り、この彼女のこれからのライブやイベントの紹介をしたのち、そうして最後に肝心の曲名を伝える。
その曲の名は――
君に捧げるアイのウタ 終
たまに聞かれる言葉で『古き良き』というのがあります。
これを『懐古厨』と切って捨てることも簡単ですが、しかし……しかし確かに『その時』には『良き』モノであった事は事実であるような気がするのです。
私は平成の頃の、正確には2000年代から刊行されたであろうライトノベルの作品が大好きでした。
無我夢中に無量大数のような作品たちを読み漁っていた記憶があります。
あの頃の『ノリ』と言いましょうか、『空気感』というか『雰囲気』が好きです。
この作品はそんな『確かにあった良き』モノ……『ノリ』をできる限り頑張って自分なりに表現したものです。
この『雰囲気』が誰かの『好き』にハマってくれたらとても幸いです。
嬉しい限りでございます。