白雪葵の思い
「成績が落ちた上に、門限ギリギリまで帰って来ないなんて、自分が何をしているのか理解はできていますか?」
「はい、申し訳ございません。お母様。私が未熟でした」
私は一切の反抗することなく、淡々とお母様に頭を下げる。
「全くです。全教科一位ではなくなっなったどころか、総合でも2位になるなんてありえないわ!少々甘い対応をしていたかもしれませんね。」
(あれが甘い対応?)
厳しすぎる門限に、家の中でも礼節などを徹底され、好き嫌いなど関係ない徹底した栄養管理に、連絡以外のスマートフォンの使用禁止。
1日の勉強時間と睡眠時間も管理されている、今の状況がお母様には甘く見えるらしい。
「まあ、今後どうしていくかは後で考えるとして、取り敢えず、今週1週間のスマートフォンの使用は禁止します。しっかりと勉学に取り組みなさい」
「はい、分かりました。お母様」
私は、スマートフォンを使わせないが為だけに用意された金庫の中に入れると2階にある自分の部屋へと入る。
自分の部屋に入ると白く無機質なベットに倒れ込む。
「もう、疲れたよ」
今日は散々たる1日であった。
順位は落ちるし、お母様と喧嘩をしてその瞬間までクラスメイトに見られた。
それで気が動転しておかしな事を言ってしまって、冷静になって死にたいと思うほど恥ずかしい思いをして、ただでさえ厳しい環境がさらに厳しくなってしまった。
(明日、優里香ちゃんにスマホが使えなくなってしまったことを伝えないと)
クラスにおいて、私の家庭環境を知っている唯一の存在であり親友である優里香ちゃんに出来るだけ早く伝えないといけない。
こんな私でもクラスで上手くやれていけてるのは、優里香ちゃんが橋渡しをしてくれているからだ。
迷惑はかけたくない。
(そういえば、もう唯一では無くなっちゃったんだ)
鈴木祐希君。
ハッキリなことは全然言っていないけれど、今日の彼の対応を見る限り、大まかなことは察していることだろう。
「キツイことがあったら、いつでも言ってください。なんとかするので」
家まで見送ってもらい、別れ際に言われたことを思い出す。
他の人が同じことを言えば、気休め程度の言葉だと気には止めないのだが、鈴木くんが言うと本当にどうにかしてしまいそうな力がある。
そう思わされるのは、鈴木くんに対する学校でのイメージだ。
学校での彼のイメージは何でも屋、もしくは都合のいい人物。
なぜそう言われるのか、それは彼の圧倒的な対応力が一つの理由になっている。
実際にいくつか思い当たるところがある。
私たちのようなグループ内でなんとかできる人達には、頼ることがないので実感はないが、彼のように1人でいる人物などは、困り事があると彼を頼っている。
そんな頼っている人達の話を聞くところによると、楽な方法と言うわけでもないが、本人の実力内でどうにかできる方法をほぼ確実に提案してくれるらしい。
他にも、グループワークなどで一緒になった班の子の評価も悪くない。
彼は英語が苦手ならしく、ポンコツになるのだが、それ以外に関しては気配りが出来て適切なサポートをしてくれるらしい。
(思い返してみれば、今日の彼の対応は的確だった)
あまり思い返したくはないのが、私の無茶な提案にも大きな動揺を見せることなく、冷静に対応をしていた。
その後も終始冷静さを崩すことはなく、アフターケアをしてくれた。
特に印象的だったのが帰りの出来事だ。
「帰ることに思うところがありますか?」
美味しいスイーツを食べて、家に帰る最中、私の不安を察したのか、彼はそう聞いてきた。
どう答えればいいのか分からなくて、私は何も言えなかったが、鈴木くんは、そのことを理解していたのか、こちらの返事をあまり待つことなく話続けた。
「これは僕の考えですが、白雪さんは帰った方がいいと思います。
理由は3つあります。
一つ目は、問題解決には至らないからです。
今の様子から見るに、白雪さんは有効な解決策が思い付いていない状態だと思います。
冷静に考えても思い付かないのに、感情に任せた判断がうまく行くなんてことは、殆どありません。
悪戯に問題を悪化させるだけの行為は避けるべきです。
二つ目に、僕の手に負えなくなること。
話を聞く限り、白雪さんの親は気が強い方だと思います。そういう方において、強硬策はより強い反発を招くことが殆どです。
僕はなんでも出来る凄い人ではありません。
家出に近い反抗が、どのような結果になるか分かりませんが、もし反発される方向にいくのであれば、僕の手に負えなくなる可能性が非常に高いからです。
三つ目に、僕と交わした約束が高くなることです。
同じ話になりますが、誰かを助けるには、自分に余裕が必要です。ここで白雪さんが帰らないとして、僕を助けてくれる余裕があるかと考えると疑問視しなければなりません。
これが、僕が帰った方がいいと考える理由です。」
「・・・・・・」
鈴木くんの言っていることは、理解はできる。だけど、納得はできなかった。
私は、これ以上耐え忍びたくなかった。
「もう一つ、理由があることを忘れていました」
私の心境を察してなのか、鈴木くんはもう一つ理由を付け加える。
「現状から大きく変わることがなければ、今の現状を改善できるかもしれません。
全てを一発で解決するようなことは、僕にはできませんが、少しでも良い方向に進められるように手助けすることはできます。
似たようなことを学校でやっていることを、僕の名前を覚えている白雪さんなら知っていると思います。
そのことも含めて、どう思うのか、どうするのかは白雪さん次第ですが。」
鈴木くんは、解決をするとは一言も言わなかった。
ただ、今よりかは良くすることは出来るかもしれないと言った。
私は・・・・・・その言葉が信じられなかった。
控えめに言ったからとて、それを信じるほど私は子供ではない。
人は平然と裏切るし、言ったことを実際に実現させる人物は少ない。
今の生活だってそう、殆どの人が自分が優先で他人のために動ける人物なんて多くない。
それが当たり前なのだ。
鈴木くんが、他の人よりかはそう言った要素がないことは、今までのことから分かるが、それでこの気持ちをどうにかできるものではない。
どうせ、すぐに終わる関係だ。
(私1人で、この問題をどうにかしないと)
手が震え、見える世界が狭くなる。
この後訪れるであろう現実が怖かった。
また、何もない無機質な部屋で教材に向き合わないといけなくなると思うと、気が重くなる。
「やっぱり、ただ耐えるなんてキツイですよね。白雪さん、少しだけ待っていただけますか」
そういうと、鈴木くんは鞄から人差し指ぐらいの大きさがあるお守りを取り出す。
鈴木くんは、それを私に手渡してくる。
「このお守り、中に何か入っていませんか?」
見た目からは分からなかったが、触ってみると厚みが一定ではなく何か人形らしきものが入っている。
「触れば分かると思うのですが、ぬいぐるみが入っています。これを作った本人曰く、中身を見ることが重要とのことらしいので、是非開けて中を見てください」
彼に促されるまま、私はお守りを開けて中を見た。
中に入っていたのは、浮き輪に太々しく座り、くつろいでいるちょっと不細工な猫だった。
(よく作り込まれて)
小さいながらも、目や口、尻尾など細かいところまで妥協されることなく作り込まれている。
(よくよく見ると、ちょっと不細工な猫の表情も愛嬌があってかわいい)
どこか憎めないと言った感じだ。
「どうですか?そのぬいぐるみ、どこか憎めない可愛さがいいでしょう」
「そうですね。しかし、どうしてこれを私に?」
この猫のぬいぐるみが、可愛いとは思う。だけど、私に渡す意図が分からなかった。
「それは、僕には勿体無いほどできる妹が、僕は運が悪いから少しでもマシになるようにとくれたものです」
鈴木くんは、とても嬉しいそうに、そして優しさを感じる柔らかな笑みを浮かべて猫のぬいぐるみを見つめる。
「妹曰く、失敗作らしいですが、このぐらい、ふてぶてしく暮らせば、運が良くなるし、悪いことがあってもどうでもよく思えるからと、僕にくれたんです」
確かに、これを見ていると色々なことが馬鹿らしく思えてくる。
「それがあれば、ほんの少しですが心が休まると思います。白雪さんが良ければですが、僕の言葉が本当になるまでそれを受け取っておいてくれませんか?」
「これって鈴木君にとって大切なものじゃないの?」
鞄から取り出す時もそうだが、鈴木くんはそのお守りをとても大切に扱っている。
そう簡単に他人に託せるものではないはずだ。
「はい、そのお守りは僕にとって非常に大切なものです。」
「なら、どうして?」
「それと同等ぐらいに頼りにしているものでもあるからです」
「頼りにしている?」
「物にも役割があり、出来ることがあります。
そのお守りは、今の僕には出来ないことが出来ます。そのできることは、今の僕にとって何よりも必要なことです。」
鈴木くんは、全幅の信頼を乗せて、私が手にしているお守り見る。
「そのお守りは、僕にとって大切なものであり頼りにしているものです。
だから、僕が最も相応しいと思う場所にあって、僕のことを助けてもらいたいんです。」
鈴木くんは、真っ直ぐとした瞳でこちらを見る。
「余計なお世話であることは、重々承知しております。その上で僕の我儘を聞いていただけませんか?」
「・・・・・・うん、分かった」
気が付けば、私は彼の我儘を受け入れていた。
どうしてなのか、今になっても分からない。ただ、その選択をやってしまったと思えなかった。
私は、鞄から見つからないように大切に隠したお守りを取り出し、中に入っている猫のぬいぐるみを取り出す。
「本当にブサイク」
とても小さく、ちょっとでも目を離してしまったら無くしてしまいそうなのに、太々しく寝転んでいるその姿は、決して忘れられないほどの存在感を放っていた。
「これ以上は休めない・・・・・・早く勉強しないと」
これ以上休むと、勉強の進捗を管理しているお母様にバレてしまう。
猫のぬいぐるみを勉強机の本棚の端っこに置いて、いつものように勉強をして過ごした。
スマートフォンも没収され、いつも以上に厳しくされ、明日からの生活も過ごしにくくなる、辛いことばかりの日。
そんな最悪な日なのに、どうしてかそこまで悲しいとは思わなかった。