第二話 冷静になろう
白雪さんの衝撃的な発言に、意味を理解するのに数秒掛かってしまった。
(身体を自由に使っていいて、意外とそっちの経験があるタイプだったんだな)
清廉潔白なイメージがあったので意外だった。
親子喧嘩を見られたことを口封じする為に、こんな方法が出てくるのだ、自分の中で価値が低いと思っていないと出来ないはずだ。
(・・・・・・冗談を考えるのはここまでにするか)
僕は静かに白雪さんを見る。
手先が震えているし、不安を押し殺そうとして全体的に力を入れて、立っているだけなのにぎこちなさを感じる。
顔は下げ、瞳も曇っている。
正常な判断ができているとは思えない姿だった。
(自暴自棄と言ったところかな?)
どうやら、あの親子喧嘩は白雪さんにとって、こちらの想定を遥かに超えるほど堪えるものであったらしい。
(機会を与えてしまったことも原因かな)
家を飛び出した時点で、不安定な状態であったはずだ。そこに畳み掛ける形で僕に見られてしまうハプニングがあって、振り切れたと言ったところだろう。
(どちらにしろ、何も分かっていなんだから何も出来ないな)
色々な判断をするには情報が足りなすぎる。
「僕、パン屋に行こうとしていたんですよ」
脈略もなく、僕は当初の予定について話す。白雪さんも想定外の発言に困惑した表情をしている。
「かなり走ったこともあって、余計お腹が空いてしまいまして、先にパンが食べたい気分です。
パン屋にはカフェテリアもあるので、そこでお話をしましょう。今から向かうので着いてきてください」
「あ、うん」
有無を言わさず歩き出した僕に、白雪さんは困惑しながらもついてくる。
(パン屋に辿り着くまでに冷静になってくれるといいんだけどな)
僕はあえて脈略のない話をした。
理由は簡単、冷静になるためだ。
過激な判断をするには、それなりの理由があるものだ。
白雪さんの場合は、親子喧嘩による興奮状態が極端な行動をさせていると僕は思った。
感情に任せた判断に流されるのは危険だ。
冷静になった後、ほとんどの場合で後悔する。特に今回のやつは、大きな地雷だ。
うまく回避しないといけない。
(大丈夫、そこまでヤバい問題じゃない。美味しいパンを食べていい気分でいつも通りに対応すれば余裕だ)
僕は、ローストビーフパンに思いを馳せる。
想定外のことは起きたが、苦労した分ローストビーフパンが美味しくなると思えばやる気が出る。
焦る必要はない。親子喧嘩の仲裁をするわけでもないし、やれと言っても、できないことを自覚している。
適度にやり過ごす。
これが今、僕がやるべきことである。
決して無理なことではないはず。
普通に考えれば身体を使っていいなんて話、無理がある。僕の奇行によって白雪さんは多少は冷静さを取り戻すはず。
あとは、パンの美味しさで押せば、あの話は自然となくなる。
修復は可能だ。
そんなことを思いながら僕たちは目的のパン屋にたどり着く。
「こんにちは」
パン屋に着くと、レジを担当している店員、田中さんに挨拶をする。
「お、祐希じゃないか」
田中さんは、僕の姿を見ると笑顔を見せ歓迎してくれる。
「ローストビーフパンを食べに来たのかい?」
「はい、とても美味しいですから」
「満面な笑顔で毎回言ってくれるから、こちらも嬉しいで、すぐ用意するから待って、と」
田中さんの視線が僕ではなく後ろの白雪さんに向く。
「良さに気がつくことが出来れば一瞬だと思っていたが、随分と早かったな?」
「一応言っておきますが、彼女じゃありませんからね?」
「そうなんか?それはすまない」
「あ、いえ、大丈夫です」
白雪さんにとっては、急な展開が続いていることもあって、反応がぎこちない。
「彼女は白雪さんと言います。たまたま、ここの話を聞いて食べてみたくなったとのことでしたので連れてきました。」
「そうなんか。なら腕を振るって御馳走しないとな」
道中に考えて来た嘘だが、お陰で田中さんに抵抗なく受け入れてもらった。
白雪さんのことを考えると強引であるとは思うが、今後の展開を考えると今は、こちらで主導権を握っておきたい。
「白雪さん、あのブルーベリーのデニッシュとかはどうですか?お金のことは心配しないでください。ここは僕の奢りです」
「あ、えっと、お願いします」
「田中さん、そういうことなのでお願いします」
「あいよ!今回はここで食べていくのか?」
「はい、そうしたいと思っています。それと個室は空いていますか?できれば使いたいと思うのですが」
「全然構わんで!」
「ありがとうございます」
個室が使えるかは運次第だったが、うまく行った。これで話しやすい空間を手に入れることはできた。
そうして僕たちは個室に入っていく。
「色々と急にごめんね」
「あ、うんうん。こっちこそ色々と迷惑かけてるし」
白雪さんの反応を見る限り、それなりに冷静さは取り戻せたようだ。
「す、鈴木くん。ここの店員の人と結構親しそうに見えたけど、どういう関係なの?」
「常連と言った感じだよ。月一で6年通っているのと美味しそうに食べるところが気に入ってもらったらしい」
「そうなんだ」
徐々に状況を飲み込んでこれたのか、受け答えに余裕を感じられるようになってきている。
コンコンという、ドアが叩く音がした後に、パンを持った田中さんが現れる。
「ロースビーフパンとブルーベリーのデニッシュだ」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます」
田中さんからパンを受け取る。
「先に話をしたい気持ちもあるかもだけど、パンを食べた後でもいいかな?」
「あ、うん。別に構わないよ」
そうして、僕たちはパンを食べ始めるのだった。