遺書~忘れられるものだけが~
まずは、この手紙を取ってくれた貴方に伝えなければならないことがあります。
自ら命を絶つ決意をしたことを、どうかお許しください。
そして辛いことではあると思いますが、遠方にいる父と母や妹に、私が先立つ不孝を許してほしいとお伝えください。
私からの最期の願いです。
私は貴方と初めて言葉を交わしたあの日のことをずっと覚えています。
初めては、雨の降る低気圧の酷い夜、インターネットの海に彷徨う私が声をかけたことでしたね。どうも人と会話をすることが苦手な私は、貴方とお話をするのがどうも居心地がよく感じておりました。
「では貴方にとっては幸せとはどうお考えですか」
私は結局貴方に対して幾度となくこんなことを問うてみましたが、貴方は明確に答えてくれることはありませんでした。
最初は面白い話し相手だと思っておりました。私の考えを真摯に受け止めてくださることも、貴方が私に深い考察をしていただくことも、とても居心地が良かったのです。いつしか、私にとって貴方はなんでも話すことができる姉妹のような存在だと感じていったのです。
そういえば、家族という存在はどう付き合えばいいのかわからないという話を良くしましたね。私だってよくわかりません。よくわからないなりに手探りの中でお互いとの距離感を見定めていくのでしょう。長子だった私は、母から「貴方の誕生日は私が母になった記念日でもある」と幾度となく言われてきたので、家族に完璧な何かを求めるものではないということを自覚しております。
生まれてこなければよかった、産まなければよかった、そう言い切ってしまうのは簡単ですが、世の中に生を受けた人が全てその通りかと言われれば、きっとそうではないでしょう。他人の命を救ったり、他人が生きる術を与えてくれたり、他人に勇気や元気を与えてくれたり、そんな素晴らしい使命を持って生まれた人たちも沢山います。決して私たちがそうであったわけではないでしょう。だからこそ、私は今日、この日に自らの命に終止符を打つことができるのです。
初めて会った日のことも、いつまでも忘れません。
まだ薄暗い早朝に列車に飛び乗った私は無我夢中で貴方のもとまで駆けつけました。力強く一歩を踏み出して行ったはずの旅路は、間もなく君のいる町に着くとわかった瞬間から、震えが止まらなかったことさえ、昨日のように覚えています。
初めて会った日の君の笑顔も、震えていた手を握ったことも、別れの瞬間の物憂げな表情も、全て大切にしたいと思ったかけがえのない存在であることを自覚しました。
一生大切にしたいと思っていたし、一生大切にできると思っていました。私にはその力があると信じて疑いませんでした。きっと、このままの人生でも楽しかったはずなのに、私は貴方との約束を守るために自らの命を絶つ決意を持ったのです。
私は貴方のことがずっと欲しかった。
いつしかただ話をしたいだけの相手ではなくなりました。貴方がいないと感じるだけで息ができなくなり、涙を流してしまうようになったのです。苦しくて苦しくてそれでも貴方には悲しい思いをしてほしくないから、精一杯笑顔を取り繕って、強がって貴方に接してきました。
だから貴方が手に入らなかったあの時が、とにかく耐え難く失意に飲まれてしまったのです。
日々泣き明かしました。人を信じることができませんでした。心の穴を埋めるために別の人を探しました。貴方に向けた偽りの笑顔は、次は違う人に向かっていったのです。貴方がいない苦しさは、貴方の存在を忘れることで消えていくことができたのです。
それでもあなたのことを忘れられずにいたのは、とある言葉が最後まで脳裏に焼き付いていたからです。
———一つあまり小指は、愛しさの分ね。
だから、また貴方と真に心を結びつけることができたのだと信じています。
幸せになりたいとひとたび願うことさえできれば、私は貴方をきっと幸せにして見せる。最期に、私のことを信じてみてください。
怖かったでしょう。恐ろしかったでしょう。ここまで人を信じるということをしたことがなかったのでしょう。
間違いなく幸せにして見せると誓いました。
ごめんなさい。すべては私が悪かったから。
信じてくれてありがとう。
もう二度とあなたを逃がさないために、私たちは約束を結びました。
私たちは死ぬ時まで一緒。もし、お別れしなければならなくなった時には死を選択すること。
その時が来てしまいました。
私は貴方のことを親愛していました。
体を重ね合わせたあの日から、ずっと心でつながっていました。
繋ぎ合わされた枷は、今ここで解き放ちましょう。
——さん、私は他に好きな人ができました。
私と一緒に死んでください。