第96話 吸血鬼の女王と昼食
ひょんなことからルーキスたちが受注することになった、鉱山としても知られる霊峰セメンテリオの坑道内で起きていた失踪事件。
その事件を、偶然出会った前世でのかつての師と共に解決したルーキスたちは半ば誘拐されるように、セメンテリオの麓に広がる街の一角に師匠夫妻が間借りしている屋敷へと連れてこられた。
深夜、師匠夫妻との再会を酒を盛って祝し、ルーキスは師匠である吸血鬼の女王、クラティアに言われるままに一夜を、前世で妻だったシルヴィアであることが分かったフィリス、そして仲間、というよりはもはや義理の娘くらいの目で見ているイロハと共に過ごした。
その翌朝。
ルーキスはフィリスに体を揺すられて目を覚ました。
随分と寝入ってしまったらしい。
テラスと部屋を隔てる大きな窓から見える空はすっかり青くなってしまっている。
「おはよう、シルヴィア」
「誰よシルヴィアって! 誰よその女!」
「ああいや。ごめん、寝ぼけてた。シルヴィアってほらあの人だよ、クラティア陛下の弟子の奥方の」
「ああ〜。シルヴィア・ゼファーさまか。なんでシルヴィアさま?」
「昨日夜中に話をしたんだクラティア陛下やミナス様とな。それで、まあ弟子の話も聞かされてな」
シルヴィアさまと言ってる君の前世がそのシルヴィアなんだぞ、とは言えず。
ルーキスは体を起こして伸びをしながら欠伸をした。
視線の先には着替え中のイロハの姿がある。
額の小さな角が引っかかっているのか、フード付きのポンチョをイロハは一生懸命引っ張っていた。
そんなイロハを見ていたルーキスの視界に、横からフィリスの手が伸びてきたかと思うと、ルーキスの側頭部を手のひらで挟み込み、フィリスがルーキスの頭をベッドの横に立つ自分に向ける。
「ちょっと! 女の子の着替えをマジマジ見ないの!」
「フィリスの胸は良いのか?」
押さえつけられた頭部、ルーキスの視界には現在フィリスの可愛いらしいよりは綺麗な顔と、前傾姿勢になっている事からシャツがはだけ、胸元からチラッと胸が見えてしまっている。
その事に気づいたか、フィリスは胸元を隠すでなく、ルーキスに頭突きを喰らわせた。
「イッタぁあ! 暴力は関心せんぞ⁉︎」
「うるさーい! なに勝手にか弱い女の子の胸見てんのよ!」
「か弱い女の子は頭突きなんてしてこねえよ! っていうかちゃんと服着ろ! 風邪ひくだろ!」
「風邪なんてひきません! 大丈夫です〜」
「お前は、君はそう言って。病気に罹って。死んだんだぞ」
言い返そうとして、前世で死に別れた妻の死に際を思い出し、ルーキスは目を伏せてしまった。
一番思い出したくなかった記憶を、思い出してしまったのだ。
「な、なんの話を」
そう言おうとフィリスが悲しそうな顔でこちらを見るルーキスから放した手を、再び伸ばそうとした。丁度その時だった。
ルーキスたちの部屋と廊下を繋ぐ両開きの重そうな木造の扉が音をたてて勢いよく開いた。
開いて飛んでいった。
「お主らあ! いつまで待たせるんじゃ! とっくに昼だぞ! 妾は腹が減った! 早うダイニングまで来い! ミナスの料理が冷めるだろう⁉︎」
幼い少女の姿のクラティアだった。
空腹に腹を立てた女王様がルーキスたちが一泊した部屋の扉を蹴って吹き飛ばしたのだ。
哀れ、木造扉は大窓を突き破ってテラスから下へ。
「ク、クラティアさま?」
「妾のことはティアと呼べと言ったろうが! 真昼間から幼子の前でイチャイチャしとる暇があったらさっさと用意せい!」
そう言って、クラティアは機嫌悪そうにドカドカと足音を鳴らしながらルーキスたちの部屋から立ち去っていった。
こうなってしまっては痴話喧嘩どころではない。
突然目の前を掠めて飛んでいった木造扉にカタカタ震えるイロハをなだめ、ルーキスとフィリスは服を着替えるとイロハを連れて部屋を出た。
「もう、ルーキスのせいで怒られちゃったじゃない」
「俺のせいじゃ。ああいや、すまん」
「良いわよ。ルーキスだし」
怒られたことか、はたまた胸を見られたことか、それは分からないが、フィリスは肩を落とすルーキスを横目に見ながら苦笑した。
「それにしても、誰もいないのね。従者とか側近? お付きの護衛とか」
「あのお二人は今は冒険者としてこの国に来てるからな。まあ立場上こういう場所を借りてるみたいだけど、そもそも必要ないだろ、護衛やら」
「でも、身の回りのお世話は必要じゃない? 貴族どころか王族でしょう?」
「ああ〜それは、全部ミナスさまがやってるらしい」
「吸血鬼の王族が、炊事洗濯を?」
「まあ、あの方は元人間らしいから」
そんな話をしているうちに、師匠夫妻の魔力を辿って歩いていたルーキスが、ある扉の前で立ち止まった。
ルーキスたちが泊まっていた部屋の扉と同じ両開きの扉を、ルーキスはコンコンっと二度ノックする。
すると、木造の扉が内側から勢いよく開いた。
クラティアが魔法で開けたらしい。
今度は扉がもげる事は無かった。
「座れ」
「あ、はい」
「失礼します」
吸血鬼の女王様はお昼を待たされてご立腹だ。
ルーキスたちは揃って部屋に入ると、白いテーブルクロスが広げられた長机に用意された椅子にそれぞれ腰を下ろした。
机の上には昼食には多過ぎるくらいに豪華な食事が並んでいる。
「やあおはよう。三人ともよく眠れたかい? 友人に食事を振る舞うのは久しぶりでね、張り切っちゃたよ。口に合えば良いんだけど」
「ありがとうございます。ミナスさま、いただきます」
クラティアの横に座るミナスは昨晩と同じく青年の姿のままだ。
クラティアと違って機嫌は悪くないらしい。
笑顔から殺気などは感じられない。
「良し! それでは早速いただこう」
全員揃ったので開始された食事。
子供の姿だからだろうか、女王様はテーブルマナーも気にせずに好きな肉料理を口に運んでいる。
そんなクラティアの姿に苦笑しているルーキスの横腹を、フィリスがつついた。
「ねえ。私テーブルマナーとか分かんないんだけど、ルーキスは分かるの?」
「基本的には外側の食器から使っていくんだけど」
「だけど、なに?」
「女王陛下が適当だし、気にしなくていいと思う」
「そうじゃ! きにふるではい気にするでない、食えふえ」
「ティア〜? 喋るならせめて食べるのやめな?」
「いやじゃ! 妾は好きなように食べて、ふひなよふ好きなように喋る!」
昨晩の大人っぽい女王様はどこへやら。
ルーキスたちの目の前で食事を楽しんでいるクラティアは、見た目相応の子供っぽさに溢れていた。




