第94話 深夜、とある屋敷にて
その昔。
それこそ前世で吸血鬼の女王に気に入られ、修行をつけてもらっていた地獄のような日々を夢に見た。
その夢の途中で女王の側近だった唯一の人間であり、生涯愛したただ一人の女性であるシルヴィアが、倒れた自分に微笑みながら手を伸ばしてくれたのをルーキスは思い出していた。
そんな彼女に手を伸ばし、手を握ったところでルーキスは目を覚ます。
目を開けたルーキスの目に映る磨かれた木造の天井。
明らかに気を失った山中でないことから師匠夫妻にどこかに連れて来られたのは確定していたので、ルーキスはゆっくりと体を起こした。
その隣ではフィリスとイロハが心地よさげに寝息をたてている。
(言霊による眠りの魔法。なんて威力だ、耐えられなかった)
動揺していたとは言え、今のルーキスには常人離れした魔法への耐性がある。
耐性を獲得出来るように訓練してきた。
それを易々と突破してきた師匠の魔法に、ルーキスは苦笑し、同時に身震いした。
「敵なら死んでたな」
呟きながら、ルーキスは辺りを見渡す。
今まで旅してきたうちに宿泊してきた宿など全く及ばない豪華な一室、壁は白塗りで壁際には火炎属性を付与された魔石で暖をとるための高価な暖炉まで設置されている。
部屋の薄暗さは壁の柱に備えられた魔石で光るランプによるもので、テラスと繋がっている大きな窓からはまだ真っ黒な空が見えた。
(どこかの屋敷か。夫妻の城ではないから転移したわけではないな。よかった、先生の国からこの国まで帰ってくるとなると今の俺たちでは一ヵ月は掛かる。先生は気まぐれだから送ってくれる保証もないし)
とりあえずは他国では無さそうだということに安堵して、ホッと一息ついてルーキスは自分の隣でフィリスとイロハが眠っているのを見下ろす。
フィリスの顔に掛かる髪をそっと手で避け、ルーキスは髪に触れたまま、眠るフィリスの顔と前世の妻の顔とを重ねて思い出していた。
(君がシルヴィアの生まれ変わりだったなんてな。でも、俺のことは覚えてないんだよな。そりゃそうか、記憶を持ったままの転生なんて、御伽話でしか聞いたことないもんな)
改めて自分の身に起こったことを思い返して、自分を転生させてくれた神様にルーキスは感謝こそすれ、悪態をつくことは無かった。
(転生したおかげで俺は君にまた会えた、神様が引き合わせてくれたんだ。君が俺を覚えてなくても、俺は君を覚えてる。だからってわけじゃなかった。最初はただ君に惹かれたけど。また、俺は君を好きになったんだな)
「まだまだ俺は臆病みたいだ。愛している、って言えるのはいつになるかな」
そう小さく呟くと、ルーキスはベッドから降りてフィリスに毛布を掛け直し、足音をできるだけ出さずに部屋を出るために扉を目指した。
静かにドアノブを回し、部屋を出るルーキス。
ルーキスが出ていった一室で、ベッドに横たわるフィリスは体を縮こめ、両手で覆った顔を真っ赤にしていた。
ルーキスに髪を触られたあたりでフィリスも目を覚ましていたのだ。
しかし、好きな相手に髪を触られているという状況に理解が追いつかずフィリスは目を開けられないでいた。
そこに小さな声で好いているルーキスから冗談抜きで「愛している」などと聞いてしまっては、フィリスは布団に潜り込んで悶絶するしか無かった。
(え? なに? どういうこと⁉︎ ルーキスって本当に私のこと好きなの? なんで?)
思考の渦に巻き込まれ、自分の置かれている状況に理解が追いつかないフィリス。
しかし、暖かい布団と後ろから抱きついてきたイロハの心地良い暖かさに再び眠気に襲われて混乱しているうちに眠ってしまった。
フィリスに告白を聞かれていたとは露知らず、ルーキスは師匠夫妻の魔力を感知して、そちらに向かって絨毯が敷かれた廊下を歩いていた。
魔力を遮断できるはずなのに、それをしていない。
つまるところ「目を覚ましたら訪ねて来い」と言っているわけだ。
ルーキスは着ている服を正し、クラティアの魔力が感じられる一室の扉をノックする。
「先生」
ベルグリントを名乗るか、ルーキスを名乗るかと一瞬考えるが「ルーキスです」と今世の名を名乗った。
すると、ガチャリと誰が開けるでもなく扉が開いた。
しかし室内には誰もおらず、足を踏み入れ進んでみればテラスの椅子に腰掛けて夫婦揃って果実酒をグラスで楽しんでいるのが見えた。
ルーキスはそちらに歩いていくが、死に別れたはずの師匠夫妻と改めて対面する事になんとなく気恥ずかしくなる。
「おお来たか。お主も飲むか?」
「じゃあ一杯だけ」
「あれ? 今君って成人してるっけ?」
「成人の儀は終えてます」
「じゃあ大丈夫か。じゃあはいこれ」
夫婦が座る席の間に置かれた丸いテーブルの上、ミナスが指を弾いて音を鳴らしてグラスを出現させると、そのグラスに魔法で果実酒の入った瓶を浮かせ、中身をクラティアが注いでいく。
「申し訳ない。本来なら私が注がねばなりませんのに」
「構わん。再会を祝しての酒じゃ。気にせず飲むが良い」
「ありがとうございます」
クラティアが酒の入ったグラスを浮かせ、ルーキスの手元に向かわせたので、それを受け取るとルーキスは二人に近寄った。
「再会に」
「再会に」
「うむ、再会に」
グラスを合わせて音を鳴らし、乾杯するとルーキスと師匠夫妻は酒を一口飲み込んだ。
ミナスが再び指を鳴らして椅子を出現させ、その椅子にルーキスは腰を掛けると酒の入ったグラスをテーブルに置く。
「改めて、久しいな」
「また会えて嬉しいよベルグ。いや、ルーキスって呼んだ方が良いのかな?」
「改めてお久しぶりです。そうですね、ベルグリントは確かに死にました。今の俺はルーキスです、先生」
「一回死んだ割に、お主は変わらんな」
「顔は随分良くなったと思うんですが」
「阿呆、見てくれの話などしておらんわ戯け。馬鹿かお主は」
「口悪すぎだよティア」
「ふん。妾、悪くないもん」
大人の姿のまま、拗ねて頬を膨らませるクラティアの姿に苦笑いするルーキスとミナス。
三人は久しく出会ったということで、ルーキスが前世で死んでからの話を始めるのだった。




