第88話 山道での話
転生後の人生、初めての登山はルーキスにとって、いや、ルーキスたちにとって忘れられないものになった。
準備を整え、装備に身を包んだルーキスたちは一時間を待たずに宿の従業員に聞いて山門へと到着する。
その名前だけで特に何かがあるわけでもない山門、登山口の真ん中に、仁王立ちしているかつての我が師の姿を見て、ルーキスはため息を吐く。
「お? 随分と早いではないか。感心感心。妾は待たされるのが嫌いでな」
知ってますよ、とは言えず。
ルーキスは苦笑いを浮かべたが、後ろにいるフィリスとイロハは眉間に皺を寄せて不機嫌そうだ。
「さて。依頼を同じくするのだから、名乗らんわけにもいくまいて。妾はクラティア。クラティア・クリスタロス。原初にして唯一、真祖の吸血鬼じゃ」
「ああ〜。えっと、夫のミナスです。よろしく」
二人の名を聞き、フィリスとイロハは不機嫌そうな表情から一転して目を丸くした。
そんな二人の目の前に立つルーキスは、なんとも言えない困った顔でどんなリアクションをするのが正解かと考えるが、良い考えなど咄嗟に浮かぶ筈もなく。
「ルーキス・オルトゥスです。よろしくお願いします」
と、無難に自己紹介を返すに留まった。
「フィリス・クレールよ。確かに本で見たクラティア様とそっくりだけど、本物? 冗談よね?」
「イロハです。イロハ・アマネって言います」
「ふむ。偽名ではないのか。となるとやはり転生。神に触れたな?」
自己紹介をするルーキスたちを眺めながら、クラティアが呟くように言った。
その声が聞こえたのは隣に立っていたミナスのみだ。
「まあ信じるも信じないもお主ら次第よ。さあ山登りじゃ。女同士、話でもしながら行かんか?」
その言葉に、フィリスとイロハは一歩前に出るとルーキスの顔を見た。
そんな二人にルーキスは頷いて見せる。
促されるでもなく、頷いたルーキスを信じて、フィリスとイロハがクラティアに近付いて行くと、ルーキスに背中を見せて登山口から山へ向かって歩き始めた。
「いやあ、ごめんな急に」
「ああいえ。大丈夫ですよ」
先行する女性三人組の後ろを少し距離を空けて歩き始めたルーキスとミナスの二人。
ルーキスは冷や汗を滲ませているが、ミナスは懐かしい友人に再会したかのような優しい笑顔を浮かべている。
樹木の少ない岩石の山。
霊峰セメンテリオの登山道を歩いて登り、ルーキスたちは目的地である鉱山の坑道を目指す。
「へえ〜。プエルタから来たんだ」
「故郷はプエルタから北に行った海沿いの町なんですけどね」
「ああ〜。もう町になったのか。時の流れは早いね、ちょっと前までは小さな村だったのに」
「行った事あるんですか?」
「あるよ。五十年くらい前にね」
五十年前ならまだ両親も生まれてないな、などと思いながら苦笑するルーキス。
前世のかつての師匠の一人であり、元人間というだけあってミナスとの会話には親近感を抱いていた。
優しげな声色に次第に昔を思い出し、ルーキスも古い友人に話すように、故郷から旅立ち、ここまでやってきた経緯を話していく。
そんな時だった。
懐かしそうに話を聞いていたミナスが「君は相変わらずみたいだね。ベルグ」と微笑みながら言った事に、過去世の事を思い出しながら話をしていたルーキスが「そうでもありませんよ、先生」と反射的に昔の呼び方で返事をしてしまった。
「はっはっは。やっぱりそうか。姿も魔力も全くの別人だけど、魂の形は転生しても変わらない。ティアの見立ては間違っていなかったわけだ」
自分の迂闊さに手で顔を覆い、バレていたのに隠そうとしていた気恥ずかしさからルーキスは顔を赤くした。
「信じられますか? 記憶を持ったまま転生したなんて」
「異世界人の例もある。何よりこうして君と話している。信じる信じないなんてのは、どうでもいいんだ。また二人に会えて、僕は嬉しいよ」
「二人?」
ミナスの最後の言葉に、なんのことか聞こうとするが、ミナスが不意に前を歩くクラティアに「ティア〜」と呼びかけたので、ルーキスは「ちょ、先生」と焦ってアタフタする。
そんなルーキスに「まあ口止めはするから」と言うと、ルーキスの背中を押した。
フィリスとイロハの所へ行けと、暗に言われた気がして、緩やかな山道をルーキスは駆けていく。
夫に呼ばれたクラティアは、ニヤニヤしながらルーキスとすれ違いミナスの横へ。
そして、ルーキスはフィリスとイロハに追いつくと、ミナスの言葉の意味を考えながら二人を交互に見比べた。
とはいえ師匠二人ほど魂の観測が出来ないルーキスには、やはりミナスの言葉の意味は分からない。
どちらかが、過去世の自分と関係が深いという事か? と考えていると「ルーキス?」と心配そうにフィリスが声を掛けてきた。
ちょうどその時、少し離れて歩いていたミナスとクラティアの方から「はっはっは! やはりそうか!」とクラティアの甲高い笑い声が聞こえてきた。
ルーキスたちが振り返って見てみれば、クラティアが意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ている。
「あの人。本物だと思う?」
「本物だよ。あの意地の悪い笑顔を見ろよ。正真正銘、吸血鬼の女王様だろ」
余計なこと言わんでくれよ、と願いつつ、ルーキスはため息を吐いて肩を落とすとフィリスとイロハに振り返って「行こう」と二人の背中を押した。
その後ろで、クラティアが新しいおもちゃを見つけた子供みたいに嬉しそうな表情を浮かべている。
「なあ我が夫よ。どうすれば良い? どうすれば面白くなると思う?」
「やめてやれよ。趣味が悪い。前の記憶が残ったまま別人として生きてるんだぜ?」
「だが、向こうは覚えておらなんだ。それは悲しくないか?」
「それをベルグは、いやルーキスは知らない。なら放っておいてやろうよ。二人の出会いが運命なら、自然とくっつくさ」
「まどろっこしいの〜人間は」
「僕も元は人間なんだけど?」
「今は吸血鬼じゃ」
そんな話をしながら、吸血鬼の夫婦は生まれ変わった弟子の背中を見ながら、なだらかな山道を歩いていく。
そんな二人の脳裏に浮かぶのは国の統治を任せっきりにしている自分たちの息子の姿。
「これが終わったらいったん国に帰るかの」
「だね。我が子に会いたくなっちゃったよ」
余計な事を画策していないかと、聴力を強化して二人の会話を盗み聞いていたルーキスは、その日の二人の会話で一番驚いたのがその話だった。
前世の頃、二人の間に子供などはいなかったのだ。
それがいつの間にやら、いや、いつの間にやらというか死んでいる間に起こった事なのだが。
あまりの話の唐突さと衝撃に、つい振り返るルーキス。
その目を丸くした驚愕の表情に、クラティアは満足そうな笑みを浮かべたのだった。




