第85話 ハイスヴァルムでの朝
宿を確保したルーキスたちはその日、宿の一室にある小さな湯船で体を洗い、汚れと汗を落としたあとはいつものようにベッドをくっ付けて三人並んで眠りについた。
その翌朝。
すっかり晴れたハイスヴァルムの街を、ルーキスは壊れたハルバード片手に歩いていた。
石畳の道に溜まった水溜りが日の光を反射していてキラキラ輝いている。
寒冷期が近いのだろうか、今朝の空気は少しばかり冷たかった。
「宿の人が言ってた鍛冶屋ってこっちだっけ?」
「いや、ちょっと遠回りだ。せっかくだから観光もしたいだろ?」
「甘露蜂の甘露結晶から作られた白糖のアイスが美味しいらしいです」
レヴァンタール王国で、王都に次いで大きな都市であるハイスヴァルム。
その特産物と言えば、霊峰セメンテリオから産出される鉱石、アルティニウムである。
究極の鉱石と呼ばれるアルティニウムはとてつもない硬度を持つ。
ちょっとやそっとの力では変形させることすら困難なそのアルティニウムだが、魔力を通しながらであれば比較的容易に鍛造が可能だ。
しかしながら、お高い。
鉄製品の武具と比べると、優に十倍。
純アルティニウム製の武具などは百倍近い値段で取引されるほどだ。
それ故にアルティニウム製の武具は貴族や、高ランクで儲けている冒険者くらいしか持っていない。
ルーキスたちにしろ、そんな高級な特注武器を購入する事は不可能なので愛用のハルバードを修理するために宿の従業員に聞いて、紹介された鍛冶屋を目指していた。
遠回りをしたのはルーキスの言った通り観光も兼ねているが、さて、果たして理由はそれだけかと言われると、もちろん違う。
ルーキスは昨晩出会った師匠夫妻がこの街を訪れている理由を探していた。
宿でもらった、観光スポットやおすすめの飲食店が書かれたパンフレットを広げて歩くイロハが馬車が通る大通りから飛び出さないよう、イロハの着ているポンチョのフードを掴んでルーキスは歩きながら、行き交う人々の会話に聞き耳を立てる。
しかし、有名人が今街に来てるらしい、という恐らく師匠夫妻の事を話しているであろう事くらいしか情報は得られなかった。
街で何か特別凶悪な事件が起こっているという認識は、住人などには無いようだ。
とはいえ大きな街だ。事件がまったく起きていないわけでもない。
盗みがあったらしい、どこそこの誰かさんが襲われたらしいなどという話はチラホラ聞こえてくる。
(軍も全ての人を取り締まる事は出来んもんなあ)
噂話に苦笑いを浮かべ、肩をすくめて歩いていると、イロハがパンフレットを折りたたんでポーチに押し込み「あれです!」と言いながらカップに入った球状アイスが描かれた看板が立っている屋台を指差した。
「ちょっと冷えてきたってのに氷菓子か。子供は元気だなあ」
「またお爺ちゃんみたいなこと言っちゃって。良いじゃないアイス、私も食べたいなあ」
「別に食わんとは言ってないだろ?」
言いながら、ルーキスは石貨入れの袋を腰から外して屋台に向かうと、それぞれ選んだアイスを買った。
「ルーキスはチョコ味か。そっちも美味しそうね」
「ちょっと食べるか?」
「じゃあ私も一口あげる」
「そっちはミルク味かどれどれ」
ルーキスはフィリスとアイスを交換すると、少々かじって「お、こっちも美味いな」と呟く。
その様子にイロハも交換したくなったか「お兄ちゃん、お姉ちゃん、わたしのもどうぞ」と蜂蜜が掛かったアイスを差し出してきた。
「あっま〜」
「これはこれで美味いな」
道端でアイスを食し、アイスクリームが入っていた木の器を屋台に返すルーキスたち。
そして、いい加減観光もそこそこに鍛冶屋に行くかと振り返った先に、ルーキスは自分たちの後ろに並んでいる師匠夫妻と目が合った。
(いやいや。なんでいるんだよ! 落ち着け俺、平常心だ)
「む? その一行、昨晩も会ったな」
「そうでしたか? 昨夜たどり着いたばかりで、あまり覚えてないんですが」
いつもの調子で、ルーキスは丁寧の口調で誤魔化そうとそう言って愛想笑いを浮かべた。
十歳前後の子供に対して。
「随分と腰が低いな冒険者。妾の事を知っているのか?」
「え? ああいやあ。服が綺麗なんで、貴族の方かなあって思いま、思ったんだけど」
「ふーん」
冷や汗を滲ませるルーキスを見上げる少女の茶色い瞳が紅く変色していく。
さらにその紅い目が金色に染まっていくのを見て、ルーキスはいよいよ不味いと思ったが、逃げるわけにもいかず、暴露するべきか? と考えていると、その少女の肩に、隣に立っている少年が手を置いた。
「ティア。やめろよ絡むの。困ってるだろ? それよりアイス食べないのか? 僕たちの番だぞ?」
「ふむ。まあ良い。すまんな若いの。時間を取らせた。妾たちはアイスクリームを食しに来たのでな」
「ああいや。じゃあ俺たちはこれで」
師匠の眼から解放されて、ルーキスはフィリスとイロハに「行こう」と促しアイスクリーム屋から離れていく。
その後ろ姿を見送るルーキスの師匠、吸血鬼の始祖にして真祖、クラティア・クリスタロスと、その夫、ミナス・クリスタロス。二人はルーキスの姿に訝しげに眉をしかめた。
「ティアが絡むなんて珍しいと思ったら、なるほどねえ」
「ふむ。姿と魔力波形は全く違うが、あの少年、所作がベルグに似ておると思ってな。それをお前さんは魂を診る前に邪魔しおって」
「妻が他人の個人情報を盗み見ようとしてたら、そりゃあ邪魔もするだろ」
「歳の頃は十代半ば、それにしては体も魔力の流れも完成され過ぎておる。気にならんか?」
「ならないと言えば嘘だけど」
「追うか」
「やめろよ? 僕たちは僕たちでやる事があるんだからな?」
「まあ。縁があればまた会うか。そうじゃな。今はこのアイスを楽しませてもらうか」
そんな会話をしながらクラティアとミナスは木の器に山盛りのアイスクリームを注文すると、屋台の横の椅子に座って食べ始めた。
そんな二人から出来るだけ怪しまれないように、平静を装いながら離れていくルーキス。
その喉はアイスを食べたばかりだというのにカラッカラに乾いていた。




