第80話 森の幽霊
宿場町での一泊を終え、ルーキスたちは森を目指すために宿場町の出入り口である木造のアーチ門へ向かう。
太陽は既に上り、町を明るく照らしている。
しかし、それに反してアーチ門の前に集まる商人や冒険者の顔が暗い。
「なんでも死に別れた親しい者があらわれて「助けて」って言ってくるんだと」
「冒険者の人らだと俺たちよりキツイな。昔の死んだ仲間なんかが現れて「助けて」なんて呟かれちゃ痛ましくて夜も眠れねえや」
立ち往生している行商人や馬車の御者の話し声が、横を通り過ぎたルーキスやフィリス、イロハの耳に入ってきた。
その声にルーキスは前世で死に別れた仲間や妻のことを思い出し、フィリスは祖父のことを、イロハは両親のことを思い出す。
「幽霊って記憶を読み取ったり出来るのかしら」
アーチ門の手前、立ち往生している集団の最前列に立つルーキスたち。
フィリスが不安そうに声をもらした。
「いや。幻影魔法や幻惑魔法は記憶を読み取ったりはしない。こっちが見たいもの、または見たくないものを映し出すものだ。鏡、とは違うか。説明が難しいな」
「その説明でなんとなく分かったかも。要はこっちの視界を誤認させるって事よね?」
「そうだな。それが正しい認識かもしれない。記憶を読み取る魔法は超の付く高等技術。魔物では使えないものだからな」
「対処法はわかるの?」
「霊種の魔物を倒すしかない。つまり、出現した仲間や家族に刃を向けることになる。辛いぞ?」
「じゃあルーキスにだけその辛さを押し付けるなんて出来ないわね」
ルーキスは困ったような表情でフィリスを見つめるが、フィリスはそんなルーキスの瞳を真っ直ぐに見つめ返してニコッと笑った。
彼女ならきっとそうするだろう、そう思ったからこそルーキスは困った表情を浮かべていた。
「フィリスやイロハに辛い思いはさせたくないんだ。だから、一人で行く。そう言っても二人は駄目だって言うんだろうな」
「そりゃあ駄目よ」
「そんなの駄目です」
「まったく。そう言ってくれるところ、好きだよ、二人ともな」
そう言って、ルーキスは肩をすくめると微笑みを浮かべて一歩、森へ向かって足を踏み出した。
フィリスとイロハはお互い顔を見合わせニコッと笑ってルーキスの後ろをついて行く。
「ここから先はダンジョンと同じ心構えで行く。無理は禁物、危険と判断したら即撤退だ」
「了解よ」
「分かりました!」
応急修理されているとはいえ、ルーキスは傷んだハルバードを担ぎ、フィリスは蛮刀とバックラーを手に、イロハはガントレットとダンジョンで手に入れた新しい脚甲を装着して森に突入した。
森を突っ切るように伸びた踏みならされた道には太陽の光が通っている。
視界は良好。
幽霊など現れる様子はない。
しかしそれは突然、霧と共に現れた。
森に突入し、歩き始めてしばらく。
太陽が真上に来た頃。
道端の切り株の上にイロハを座らせて購入したサンドイッチを食べていると晴れていたにも関わらず、ルーキスたちの視界を霧が遮った。
近くにいれば様子は見えるが、少し離れると逸はぐれてしまいかねないほどの白い闇。
そんな状況下に置かれた三人は、サンドイッチの残りを切り株に置いたまま武器を手に取り背中を預けあう。
「自然現象、なわけないよね」
「そうならどれだけ良かったか。さあ、おいでなすったぞ」
ルーキスの言葉に反応したわけではないが、ルーキスの言葉のあと、霧の中から数人の人影が浮き出してきた。
その人影がフィリスには今は亡き祖父母に見え、イロハには目の前で魔物に食われた両親の姿に変わっていく。
「悪趣味」
「あ、うう」
フィリスの怒りと、イロハの動揺が背中を通り過ぎて伝わってくるなか、ルーキスも目の前に現れた黒い人影を注視していた。
しかし、何故か一向に人影は形をなさない。
黒い人型の影の形のままルーキスの前に立ち尽くしている。
(前世の記憶が反映されていない? いや、違うな。そもそも効いていないのか? これは、この影は幻影魔法の発動兆候そのもの。魔法自体は発動している。フィリスとイロハの反応が何よりの証拠。何故だ? なぜ俺の前には何も現れない。まて、思考に呑まれるな。現れないならそれはそれだ! 今は)
目の前の揺らめく影から聞き取り辛い雑音が混じったような「助けて」という声が聞こえた直後、フィリスとイロハが一歩後退り、ルーキスの背中に体重をかけた。
それを合図にするかのように、ルーキスは手を空にかざして風の魔法を発動するために今は廃れてしまった技術である魔法の詠唱を略式で開始する。
「原初の風、荒天の力、我が槍となりて、顕現せよ【タービュランス】」
ルーキスを中心に足元に現れた魔法陣。
その魔法陣を基点に激しい突風が上空に向かって発生した。
狙いは幽霊と視界を覆う霧を払う事。
ルーキスが発生させた強力な突風は力を増していき、爆ぜるように放射状に発散。
白い闇を幽霊ごと吹き飛ばした。
「幽霊の正体見たり、ドライアドってか」
「ちょっと! 魔法使うなら使うって言ってよ!」
「びっくり、しました」
「すまんすまん」
ルーキスの使える風魔法でそこそこの威力を出せる【タービュランス】を略式詠唱にて効果範囲を底上げし、森を吹き飛ばさないように威力は加減して放ったあと、開けた視界に映し出されたのは突入当初の晴れた森。
そして、ルーキスたちの近くの木にしがみついている緑色の髪をした少女の姿をした精霊、ドライアドの姿だった。
「霊種の魔物が事件の発端だと思ったが、霊は霊でも精霊だったとはね」
「精霊。あの家憑き妖精みたいな?」
「精霊なんて、初めて見ました」
(そうそう人前に姿を見せない精霊がこんな街道に近い場所に現れて、尚且つ人にちょっかいを出す、か。腑に落ちんな)
そんな事を考えながら、ルーキスはハルバードを引きずりながらドライアドに近付いていく。
どの道、人に仇なすなら魔物として処理するしかないからだ。
しかし、ゆっくり迫るルーキスにドライアドは逃げる様子もなく、ただか細い声で「助けて」と呟いた。
「命乞い、にしては逃げる素振りもなしか。なんだ?」
「助けて」
そう言って、ドライアドはしがみついていた木から離れると、森の奥へ歩き始めた。
逃げた、にしては歩みは遅く、それどころかルーキスたちを待つかのように止まって振り返ってもいる。
「ついて来いって? まあ放置してもまた騒ぎになるだけだろうしなあ」
「ついて行くの?」
「行ってみよう。何かあれば、その時は森ごと吹き飛ばす」
「それ、私達も吹き飛ばないでしょうね」
「俺にしがみついてりゃ大丈夫だ」
「分かった。もしもの時はイロハちゃんとそうするわ」
こうして、ルーキスたちはドライアドについて街道を外れて森の奥へと向かっていくのだった。




