第77話 彩雲と雨。小さな宿で
宿場町から遥か南の鉱山都市、ハイスヴァルムを目指して旅立ったルーキス達は明るいうちに出来るだけ進もうと、旅人や行商人に踏み固められた土の道を雲を追いかけながら歩いていた。
少し強めに吹く風が、ルーキス達の背中を押す。
街道の傍に広がる草原に、時折り飛び跳ねるグラススライムが見え、そのグラススライムを狙った四枚羽根の濃い羽毛を持つ鳥型の魔物が空中を旋回していた。
その様子を、フィリスと手を繋いで歩いていたイロハが眺めていると、遥か彼方の雲が一瞬虹色に輝いたのが見えた。
「あれ?」
「どうした?」
「向こうの空。雲が虹色に見えて」
首を傾げて声をもらしたイロハに前を歩いていたルーキスが振り返って聞いた。
そんなルーキスに、先程見た現象を説明するために東の空を指さすイロハ。
すると、イロハが指をさした方角の遥か先で、再び雲が虹色に輝いたのを今度はルーキスとフィリスも見る事になった。
「綺麗ね、彩雲って言うんだっけ」
「空気中の魔力濃度が急激に上昇すると起こる現象だな。あの高度でそれが起こるとなると、もしかしたらドラゴンがあの辺を飛んでるのかも知れないなあ」
「ドラゴン、ですか?」
「自然現象としての彩雲にしては不自然に明滅してるのがその証拠。それにしても、東の空に彩雲か。明日は雨かもなぁ」
はあやれやれと、ため息を吐き、肩をすくめると両手をヒラヒラ振って、ルーキスは進行方向に向き直った。
「お爺ちゃんだったか、お婆ちゃんがそんな事言ってた気がするわ。東の空に彩雲が見えたら次の日は家から出るな、雨に降られるって」
「婆ちゃんの知恵袋ってやつだな。今に至るまで伝わってるとはね」
二百年前から聞く言葉を聞いて、懐かしいやら嬉しいやら、ルーキスは機嫌良さげに鼻歌まじりで歩いていく。
その後ろで、フィリスとイロハはルーキスの鼻歌を聞きながら時折虹色に光る東の空の厚い雲を眺めながら歩いていた。
その翌日。
「本当に降りましたね」
「今日はここでゆっくりするか」
街道を挟むように広がる小さな村の小さな宿に泊まった翌朝から、昨日の快晴が嘘のようにご機嫌斜めで空からは大粒の雨が降り注いでいた。
「村があって助かったわね」
「知恵袋、雑学ですら時には役に立つってな」
「じゃあ昨日の彩雲はやっぱりあそこにドラゴンがいたって事なのかしら」
「さてね。そればっかりは見てみなきゃ分からん」
「ドラゴンなんて見たくないわよ? 怖いし」
「確かにそりゃそうだが。でもいつかは見る事になるぞ? あれは災害みたいなもんだからな。出会いは突然だ」
「そんな、運命の出会いみたい、な」
小さな宿の一室。
机で錬金術に勤しむルーキスと、ベッドに腰掛けイロハを膝の上に乗せて話していたフィリスが、自分の言葉にルーキスと自分の出会いを重ねて頬を赤くした。
イロハに握られた左手の薬指に光る銀細工の指輪と、ルーキスが錬金壺に翳している左手薬指に光る指輪を交互に眺めて、フィリスは頬を赤く染め、イロハの頭に顎を乗せる。
「お姉ちゃん、大丈夫ですか?」
「ああうん。大丈夫よ、ちょっと退屈で」
フィリスの様子を心配して、イロハが聞く。
ルーキスは朝から錬金術を使って何やら錬成しているが、フィリスとイロハに狭い宿の一室で出来る事など何もない。
退屈そうにあくびをするフィリスにつられ、イロハもあくびをする。
そんな二人を見て苦笑したルーキスは、ある提案を口にした。
「なら魔法の鍛練でもしてると良い。良い暇つぶしになるぞ?」
「具体的に何すれば良いの?」
「遊ぶんだよ。こうやってな」
そう言うと、ルーキスは一旦錬金術を中断し、二人の前に立つと手をかざして水魔法を発動。
空中に水で模った魚や鳥を多数作って自分の周囲やフィリスとイロハの周囲に漂わせた。
「いきなり難易度が高すぎない?」
「コレは最終目標だよ。まずは出力の調整と形状変化の練習からだ」
そう言ったルーキスは、今度は二人の得意な魔法である火の魔法と雷の魔法を発動すると、丸い火の玉と、放射状に広がる栗のような雷の塊を作り出して手の上に浮かせてみせた。
「二属性も大概なのに、魔法の三属性同時発動ってかなりの高等技術じゃなかった?」
「実際のところ難しいが。まあそれも鍛練でどうにかなる。結局のところ魔法も体力を鍛えるのと一緒で、根気とやる気が大事ってことだ」
指を鳴らし、魔法を全て消し去ると、ルーキスは再びテーブルに向かい、腰を掛けると錬金術の続きを開始した。
それを見て、フィリスはイロハと共に、ルーキスに言われた通り魔法の鍛練を開始する。
雨音響く狭い宿の一室に、赤や紫の光が灯っては消える。
そうこうしているうちに、魔力を使って疲れたか、イロハが居眠りをしてしまった。
そんなイロハの子供体温に心地よくなったのだろう。
フィリスもウトウトと、船を漕ぎ始めたのを見てルーキスは二人の傍に行くとフィリスの頭にポンと手を置き睡眠誘発の魔法を使う。
「ゆっくり眠れ。俺はどこにも行かないから」
「ルー、キス、あなた、も」
「ああ。俺ももう少し作業したらちょっと寝る」
イロハをフィリスから抱き上げ、ベッドの真ん中に寝かせると、ルーキスはフィリスの肩を軽く押してイロハの隣に寝かせて毛布を掛けた。
気持ちよさそうに眠る二人に視線を落とし、ルーキスは微笑むが、眠る二人に引かれたか、ルーキスも眠気に誘われて大きなあくびをする。
そこからしばらく作業をするが、ついにルーキスも眠気に負けた。
しかし、テーブルに突っ伏して眠るわけにもいかないので、ルーキスはフィリスの眠るベッドのすぐ横の床で、バックパックに縛り付けていた毛布に包まり眠りについたのだった。




