第43話 宿の新しい部屋にて
異世界から伝わってきた料理と言われているカレーライスの味に舌鼓を打った後。
ルーキスとフィリスはイロハを連れて宿に戻った。
宿屋の受付はルーキス達の顔を見るとニコッと笑みを浮かべて「やあ。お帰りなさい」と家族を迎えるような優しげな声で言う。
「新しく部屋を用意しているから。荷物はそっちに運んだよ。二階に上がった廊下の突き当たりの部屋だ。狭い思いはしないはずだよ」
「手間を掛けました。ありがとうございます」
「君は若い割に本当に礼儀正しいねえ。親御さんの教育の賜物かな?」
「そう言う事です。俺の両親は教育熱心でしたから。じゃ、新しい部屋使わせてもらいます」
宿屋の受付に笑い掛け、二階への階段へと向かうルーキスの後ろをフィリスに手を繋がれたイロハがペコッと受付に会釈しながらカウンターの前を通り過ぎていった。
その様子に微笑みながら「良い夜を」と、受付の男性は言うとカウンターの向こうの椅子に腰掛け帳簿を開いて三人の帰宿を記録する。
三人の足音響く木の廊下。
奥まった立地の宿ではあるが本日は宿泊客が多いようで、通過した部屋の扉の向こうから話し声や笑い声が微かに聞こえてくる。
しかし、二階は客がいないのか、はたまた既に就寝しているのか、話声や足音の類は三人には聞き取れなかった。
シンと静まる二階の廊下に響く足音が少し騒がしく感じる。
「突き当たりの部屋、ここだな」
木の扉のドアノブに手を掛け回し、扉を開くルーキス。
その部屋は昨日まで寝ていた部屋とは違ってベッドが二つ用意されており、部屋の端には丸テーブルとそれを囲むように一人掛けのソファが四つ並べられていた。
部屋の壁際には宿の従業員が運んでくれたのであろう、ルーキス達の荷物が並べられている。
「おお。随分と広い部屋だな。柱に防音魔法の魔法陣まで刻まれてる」
「ベッドも前の部屋より柔らかい」
「絨毯まであります」
「これもルーキスの交渉術の成せる業なのかしら」
「交渉術なんて大袈裟なもんじゃねえよ。商売は店側も客側も仲良く気持ち良くってな。結果、好感が得られればこういう事も起こるってだけだ」
そんな事を言いながら、ルーキスは壁際に置かれた自分の荷物から寝間着用のシャツを取り出した。
「もう寝るの?」
「いや、とりあえず着替えとこうかと思ってな」
「部屋出たほうが良い?」
「いや、別にどっちでも良いぞ? 生娘じゃあるまいし、裸なんぞ見られて恥ずかしがる歳でもないしな」
などと言いながら、ルーキスは二人の視線もお構い無しで着ていた服を脱ぎ出した。
その服の下から現れたルーキスの良く鍛えられた筋肉質の肉体に、フィリスとイロハは顔を赤らめる。
「腹筋凄いわね」
「ふふん。凄いのは腹筋だけじゃないぜ?」
フィリスの言葉に気を良くしたか、ルーキスは腕を曲げて腕の筋肉を見せつけた。
「ルーキスって着痩せするタイプなんだ」
「着痩せというか。窮屈が嫌いでな。少し寸法の大きい服を好んで着てるだけなんだが」
「私もそんな腹筋欲しいなあ」
そう言って、フィリスがおもむろに服の裾を持ち上げた。
チラッと見えた腹部はルーキスほどではないが良く鍛えられており、少し筋肉の盛り上がりが見える。
「だ、駄目ですよフィリスお姉ちゃん。ルーキスさんがいるのに」
イロハに言われて気付いたか、フィリスは自分が何をしでかしているかを理解して慌てて服を元に戻した。
しかし、顔面真っ赤のフィリスを気にする様子もなく、ルーキスはフィリスの服で隠された腹部あたりを感心した様子で眺めていた。
「良い鍛え方をしてるな。しなやかさを損なわずに女性らしさを保っている。フィリスは、見る限り体幹も良く鍛えられいて姿勢も綺麗だ」
「あ、ありがとう」
寝間着のシャツを着ながらベタ褒めするルーキスと、嬉しいやら恥ずかしいやらで顔を赤くしているフィリス。
そんな二人を見て、イロハは二人の関係性、距離感を羨ましそうに眺め、聞く。
「ルーキスさん。私も強くなったら褒めてくれますか?」
「ん? 別に強くならなくても褒める時は褒めるぞ?」
下を向いてイジイジと手遊びするイロハに近付くと、イロハの頭にポンと手を置き、ポンポンと撫でる。
「だがそうだな。自衛出来るように護身術くらいは教えても良いかもしれんな」
前世の記憶にある冒険者として大成した娘の幼い頃の姿と、今のイロハの姿を重ねて見たか、ルーキスは少し悲しそうに微笑むと、そう言ってイロハの頭から手を離した。
「護身術? ルーキスってもしかして拳術も知ってるの?」
「応とも。拳術だけじゃなくて、組み打ち術も知ってるぞ」
フィリスの言葉にニカっと歯を見せて笑い、拳を構えるルーキス。
そんなルーキスに、フィリスは苦笑を向けた。
「ルーキスって何が出来ないの?」
「俺は俺が出来る事しか出来んよ。苦しむ人達全員は助けらんねえし、この世界から病魔を無くす事も出来ねえ」
「いや、そこまでスケールの大きい話はしてないんだけど」
苦笑するフィリスに、冗談ぽく笑うルーキス。
そんな二人を見て、イロハは「護身術でも良いから、何か教えて欲しいです」とルーキスとフィリスを交互に見ながら言って、お世辞でも有るとは言えない慎ましやかな胸の前で拳を握った。
「よし。なら明日ちょっと町の外に出よう。旅の路銀稼ぎついでに、ちょっと気になる事を調べながらで良いなら色々教えてやるよ」
「あ、ありがとうございます。ルーキスさん」
「呼び方もう少しどうにかならんか? まだ堅苦しい」
「は、はい。ルーキス、お兄ちゃん」
「うむ。良いね。さて、それじゃあそろそろ寝るとしようか。ベッド、どっち使う? 二人が選んで良いぞ?」
ルーキスの言葉に、フィリスとイロハは顔を見合わせた。
すると、フィリスが一方のベッドに向かうと、その傍に屈み込んだ。
そしてフィリスはその体勢のままベッドを押して、二つのベッドをくっ付ける。
「私とイロハちゃんは手前側を使うわ」
「はっはっは。了解だ。じゃあ俺ちょっと外に出てるから。着替え終わったら呼んでくれ」
そう言うと、ルーキスはフィリスとイロハを残して部屋から出ようと扉に向かう。
その背に「ルーキスなら、見ても良いよ」とフィリスは言おうとするが、好意よりはまだ恥ずかしさの方が感情として先に来るらしい。
ルーキスの背中に向かって手を伸ばしたフィリスは何も言えず。彼を止めようとした手は空を掴んだ。




