第26話 宿木の町
「いやあ、失敗だったなあ」
そう言うと、ルーキスは「はっはっは!」と声を上げて笑い、商人が用意してくれたスープが入った皿をグイッとあおった。
「う。味は美味しいのにスープの後味に混じって割とキツめに花の香りが」
フィリスが木のスプーンで一口スープを飲んだあと、そのこってりした脂の乗った肉の味の次に口の中に広がった甘い花の香りに、なんとも言えない難しい表情を浮かべていた。
ルーキスが錬金術で創り出した消臭剤。
その効果はてきめんで、ルーキスとフィリスに付着していたゴブリンの血から漂う悪臭はしばらくもしない間に消え去っていた。
ルーキスの錬金術自体は大成功だったわけだ。
しかし、その効果が強すぎるあまり、商人が作っていた羽根の生えた牛【スラビー】の肉と牛乳入りのスープの芳醇な香りすらもかき消してしまっていた。
「いやあ。凄い効果範囲と効き目ですなあ」
「申し訳ない。少し量を見誤ってしまいました。まさかそちらにまで効果を及ぼすとは」
「謝らんで下さい冒険者殿。私もまさか馬車の反対側から離れているこちらにまで効果は出るまいと、たかを括ってしまった。もう少し離れているべきでした」
そう言いながら笑った商人に、ルーキスも合わせて笑った。
「しかし見事な錬金術だ。数ある消臭剤の中でもこれ程効果が著しく現れる物を私は見た事がない。どうでしょう、もし良かったら買い取らせて頂けませんか?」
「レシピは普通の消臭効果付きの魔除けの香なんですよ? 買い取りなら定価で構いません」
「いやいや。レシピ通り作っても効果が現れない事があるのが錬金術の難しい所だと、知り合いの錬金術師から聞いた事があります。ならば顕著に効果が現れた物は確保しておきたいのが商人の性ってもんです」
「そうですか。なら一瓶、紫石貨二枚でどうです?」
「等級が一番低い石貨では釣り合いませんよ。私の見たところ、紅石貨一枚程の価値はありましょう」
「そこらの宿なら七日は寝泊まり出来そうだ。分かりました、商人さんの目を信じましょう」
食事をそっちのけで始まった交渉を、フィリスはポカンと見つめ、ボケーッと話を聞きながらスープを口にして思いっきり咽せた。
そんなフィリスに、ルーキスは苦笑しながら声を掛ける。
「大丈夫か?」
「けほ、だ、大丈夫。落ち着いたわ」
こんな事もありつつ、ルーキスとフィリス、商人のルガンは食事を食べ終えると、再び次の町ミスルトゥを目指して進み始めた。
森を切り開いた街道とは名ばかりの踏み固められた土の道を、馬車はゴトゴト車輪の音を鳴らしながら進んでいく。
荷台にはいまだに煙を吐き出し続けている錬金壺が吊り下げられていた。
その甲斐あってかどうなのか。道中に魔物たちがルーキス達の乗る馬車を襲ってくる気配は無かった。
高く上っていた日が傾き、木々の間から覗く空がオレンジ色に染まっていくのが見える。
そんな空の色や変わり映えしない森の景色を眺めていると次第に辺りが暗くなってきた。
夜の帳が下りるまでの時間はそう長くない。
「今日も野宿になりそうですか?」
手綱を握るルガンに、馬車の荷台からフィリスが声を掛ける。
野宿するなら場所の確保と野宿の準備をしなければならないからだ。
しかし、そのフィリスの言葉に答えたのはルガンではなく、ルガンの隣に座って話し相手になっていたルーキスだった。
「それは大丈夫そうだぞ。ほら、あの光が見えるか?」
ルーキスに言われ、荷台に置かれた木場から身を乗り出し、フィリスは御者席の方向、ルーキスが指差した先に目を凝らした。
その先、道の遥か向こう側に、赤く揺れる光が見える。
「いつ見ても良いもんだなあ。旅の終着点に見る篝火の光は」
「ですなあ、分かりますぞ。儂なんぞは町の往復くらいしかしてませんが、それでもあの光には安心感を覚えますからなあ」
ルーキスの言葉に、ルガンがニコッと笑いながら答えた。
森が暗くなっていくにつれ、遥か向こうに見える篝火の揺らめく光がハッキリと見えてくる。
その篝火の元に辿り着いた頃には辺りはすっかり暗くなってしまっていた。
「ここがミスルトゥ。凄いな、町というよりは砦に見える」
辿り着いた先、篝火が赤く照らしていたのはプエルタの街境にある木のアーチ門とは全く違う石が積まれた高い壁だった。
ルーキスが左右に首を振るが、壁は緩い弧を描いて広がっている。
どうやら町を石壁で円形に囲んでいるらしい。
そんな壁の一部、篝火で挟むようにアーチ状の大きな門が設置されており、城門のような様相だ。
その門の両端には衛兵も立っている。
冒険者とは違うというのが、その統一された装備一式と、盾や鎖帷子くさりかたびらの上から羽織っている軍服に刻まれた紋章から理解出来た。
「ダンジョンがある町と聞いているが、随分と厳重だな」
「ようこそ宿木の町ミスルトゥへ。用向きは何かな?」
町の門へと向かう馬車の上、壁の高さに驚いていると門の衛兵が馬車の前に立ち声を掛けてきた。
その衛兵の一人が御者席に近付いてきたので、馬車の持ち主である商人のルガンは後ろ手に荷台を弄ると書類を数枚取り出して衛兵に渡す。
「プエルタからの、ふむ。では、荷物を検めるが構わないね?」
「もちろんです」
こうして簡単ではあるが衛兵二人は荷物を確認。
最後にルーキスとフィリスにギルドカード提示を求め、それを確認すると納得したのか微笑んで道を開けた。
「商人の護衛でプエルタから、か。もしダンジョンに挑むつもりなら気を付けてな。最近どうも中の魔物達が増加傾向にあるようだからね」
「魔物が増加ですか。分かりました、ありがとうございます」
衛兵の言葉にルーキスが礼をすると、書類を片付け終わったルガンが馬車を進めた。
ゆっくり進む馬車がガラガラ車輪の音を立てながら門をくぐる。
そのくぐった門の先には土の地面の広場があり、広場の向こうには石壁の家屋が並び立っていたが、ルーキスの目には更にその建ち並ぶ家屋の先にある一本の大樹が映っていた。
「あれがミスルトゥのダンジョン。話には聞いていたけど。凄い、綺麗な木」
広場で止まった馬車から降りたフィリスが御者席から降りてきたルーキスに近付いて呟いた。
大樹、巨木と言われるに相応しく、町を囲む壁より高くそびえていて、町の一部に影を落としているが、枝の各所に魔石で光る街灯と同じ原理で光るランプが吊り下げられて星の様に瞬いている。
「幹の下側を更に壁で囲んでるのか。なるほど、氾濫対策だな」
「私も初めて来たから人伝に聞いた話だけど、ルーキスの推測通りみたい。あの壁は魔物がダンジョンから出てきた際に迎撃する為の砦なんだって」
「随分しっかり管理されてるんだな」
遠巻きに大樹を眺めるルーキスとフィリス。
二人の胸には少なからず初のダンジョン攻略への期待が膨らんでいた。




