第160話 西へ向かって
丸一日。
フィリスが両親に会うか悩んでいた時間である。
宿の部屋で着替えている最中も、食事中も、寝る前も、フィリスは宿を出るまで悩み続け、結局会わないことを選んだ。
「今生の別れにならないとは言い切れないんだぞ?」
「分かってるわよ。でも会っちゃったら別れる時に絶対ブツクサ言われるし、なら全部終わったあとに元気な姿で帰って。それから、怒られるわ」
「そうか。なら、その時は俺も仲良く怒られるとしようかね」
「わ、私もお姉ちゃんと一緒に怒られるのです」
こうしてルーキスたちは荷物をまとめると、シルキーや宿を営む家族に挨拶をして別れを惜しまれながら外に出た。
「ふう。どうにもこの宿は居心地が良すぎるな」
「次はゆっくり来ましょう」
「そうだな」
馬車に荷物を積み込み、いつも通りにルーキスが御者席に座って手綱を握る。
目指すはプエルタから西に進んだ先、レヴァンタール王国西端の国境沿い。
大地を切り裂くように広がる大渓谷。
遥か昔、龍種の生息地として存在し、個体数が激減した現在は龍種を真似て進化した羽根つきトカゲ、ワイバーンの生息地として知られる龍の谷だ。
「いい天気ね」
「二人でミスルトゥに向かった朝も良い天気だったなあ」
「まさか目指すべき目的地が反対側だったなんてねえ」
「ダンジョンなんかでも割とある話だよな」
御者席のすぐ後ろ、荷台の囲いを背もたれ代わりに、ルーキスに寄りかかるように座っているフィリスがルーキスの言葉に苦笑しながら遠くなっていく故郷の街を眺めた。
「ずっとこの道を進んで行くとムサシの国にいけるんだよな?」
「地図だと渓谷を迂回しなきゃだけどね」
「龍の谷を突っ切るように橋でも掛ければ行き来が楽になりそうだが。手付かずってことはどうにも出来ない問題があるって事なんだよなあ」
「そりゃあまあ。ティアが言ってた龍でしょ」
「その龍はいったいなんで大渓谷から出なかったんだろうな」
「先生は老いてって言ってました」
フィリスの隣に腰を下ろし、進行方向を向いて荷台の囲いに手を乗せているイロハがそう言ってルーキスを見る。
しかし、ルーキスは何か納得いかないように眉をひそめていた。
「老龍と言えど飛べんわけでもあるまいに。なにか理由があるのかもな」
「たんに居心地が良いって話でしょ? 縄張りなんじゃない?」
「龍って生き物は天災と一緒でな。作った縄張りで一定期間過ごして次の縄張りへ向かって行く。その道中に厄災を振り撒きながらな。一つの場所に長々と居座る理由。それが分からん」
「まあ私たちは人間で、龍は魔物。考えてることなんて分かんないわよ」
「それはそうなんだが。先生が知ってる龍とくれば古代種だろ? 人語も操る古代の龍は意思疎通すら可能だと聞く」
「話せるの? ならなんでお爺ちゃんは」
「お爺さんが求めたのは龍華草だったか。昔、父さんに錬金術を教わっていた頃に図鑑で絵を見たよ。綺麗な青い花を咲かせるんだ。龍の魔力を長時間浴びた草花が変異する事で発生する。龍種の魔物の大好物でもある」
「それを取ろうとしたから殺された?」
「どうだろうな。龍から見れば俺たち人間なんてのは矮小な存在だ。それこそ羽虫みたいなもんだろう。俺たちが目の前を飛んでる羽虫を振り払うように、龍は目についたってだけで人を殺す。理由なんてそんなもんなのかもな」
どこか悲しげに、苦笑しながら呟くルーキス。
そんなルーキスの背に身を預け、フィリスは雲が流れる空を仰ぐ。
怒りはない。
龍という、世界的に見ても他の生物と隔絶した存在を相手に戦うことになる現実感のない現実を、フィリスはまだ受け止めきれていないようだった。
三人を乗せた馬車は西へ向かって進む。
のんびりした道のりは戦いに赴くというよりは旅行をしているようだ。
ポカポカ陽気を感じながら進み、腹が減ったら馬車を止め。
眠くなったら昼寝をする。
幸い天候には恵まれて、雨に降られることはなく、ルーキスたちの旅程は順調だ。
魔物との遭遇も多くはなかった。
そしてプエルタの街を旅立ってから数日。
ルーキスたちは地図で見る限りは大渓谷に向かうまでにある町の中で恐らく最西端に位置する小さな宿場町に辿り着いた。
ここから南に下り、大渓谷をぐるっと迂回すればレヴァンタール王国領から離れてムサシの国に行く事が出来る。
「しばらくお別れだな。帰り道でまた頼むよ」
「ちゃんと餌食べなよ? 帰る時に腹ペコで動けないなんてダメなんだからね?」
「ここまでありがとうでした」
宿場町で一泊したルーキスたちは、冒険者ギルドに世話代を渡すと馬車を預け、ここまで自分たちを乗せてくれた馬に別れを告げて大渓谷に向けて歩き出した。
ルーキスは馬を預ける際にギルドからワイバーンの素材納品依頼を受けた。
馬を預ける口実と龍の谷に行く口実を作るためだ。
「なんでわざわざ依頼を受けたの?」
「ギルドに龍と喧嘩しにいくから馬預かっててくれって言うつもりか? 龍を討伐したのがギルドに知られてみろ、それが国に伝わった暁にはやれ城に仕えろだの騎士になれだの貴族になれだので大変だぞ? そうなったらのんびりと冒険者生活なんて出来やしねえ」
そんな話をしながら、宿場町を後にしたルーキスたちは無人の野を歩いていく。
草原の草の背が低くなり、次第に緑が減り、荒涼としていく平野。
大渓谷までは歩けば二日ほどで辿り着く。
この旅の終着点が、すぐそこに迫っていた。




