第154話 亡き父母に捧ぐ
イロハに叩き落とされたワイバーンだったが、そんじょそこらの飛びトカゲとはわけが違う。
準龍種と呼ばれるほどに巨大で強大なこのワイバーンはイロハの踵落としを受け、頭蓋が一部陥没してなお立ち上がり目の前に着地したイロハに牙を剥いた。
「危ない!」
フィリスが叫び、駆け出そうとして踏み出すが、そんなフィリスの前にルーキスが立ち塞がった。
「大丈夫だ。もう終わってる」
一歩。
土埃を巻き上げて前進する死に体のワイバーン。
その顎をイロハは垂直に蹴り上げた。
雷撃を纏ったままのイロハの一撃で、ワイバーンは意識を失い掛けるが、強者としての意地がそれを拒否したか、その長い首をもたげ、カチ上げられた顔をイロハに向けて火炎を吐く。
しかし、イロハはそんなワイバーンに向かって接近すると跳び上がって露わになったワイバーンの弱点でもある柔らかい喉に正拳突きを打ち込み、胸の辺りに後ろ回し蹴りを、続けて腹部に二度目の正拳突きを打ち込んだ。
苛烈な攻撃の最中。
イロハの脳裏に浮かぶ生まれ育った村での平穏な生活。
それを蟻でも踏み潰すかのように、焼き尽くしていった憎い仇であるこのワイバーン。
コイツさえいなければ、コイツが来なければ、両親は死ぬ事はなかった。
「だから。お前だけは! 殺す!」
膝を折り、イロハにのしかかるように体勢を崩すワイバーン。
その腹部に、イロハは両手の掌底を同時に叩き付け、直後、自身の扱える最大火力の雷撃魔法を発動。
これを喰らったワイバーンは一見すると損傷の無い腹部から体内を破壊され、その硬い甲殻を纏っているはずの背中から破れ裂けた。
そして、鮮やかな鮮血と共にルビーのような臓物が魔石ごと吹き飛ぶ。
「お〜。こりゃスゲェ。もしかしたら、俺たちは次世代の英雄の誕生を見届けたのかもしれんなあ」
呟いたルーキスの視線の先で、吹き飛んだ人間の子供ほどもある巨大な魔石がイロハの一撃で損壊。
吹き飛ばした臓物も、残ったワイバーンの抜け殻のような死骸も灰となって崩れていった。
「イロハちゃん」
崩れゆくワイバーンの骸の真ん中で、空を見上げたまま、イロハは何かを掴むように拳を握りしめる。
そんなイロハを心配して、フィリスが駆け出すのを、ルーキスは今度は止めなかった。
相棒の大斧を背中に担ぎ、ルーキスはゆっくり歩いてイロハとフィリスの元へと向かう。
「仇を討った気分はどうだ?」
「ちょっとルーキス。そんな聞き方」
「大丈夫ですお姉ちゃん。気分は悪くないですから。スッキリもしています。だけど、少し虚しさもあって。変な気持ちです」
「そうか。一人でよく頑張ったな」
そう言ったルーキスに向き直ると、イロハは首を振る。
そして自分を心配そうに見つめるフィリスに微笑んだ。
「一人じゃありません。お二人がいなければ、私はバルチャーたちにいいように使われるだけの人生を送っていました。戦うことすらせず、死んでいたかもしれません。だから、本当にありがとうございました」
「改めて言われると照れるな」
「こっちこそありがとうだわ。イロハちゃんと旅が出来て、楽しかったもの」
「旅が終わるみたいな言い方だな。ひと段落するには早いぞ? 次はフィリス。君の番なんだから」
「ええ。そうね。お爺ちゃんとお爺ちゃんのパーティの無念、きっと晴らすわ」
こうしてワイバーンの討伐を完了したルーキスたちは一路宿場町までの街道を引き返し始めた。
結界を解除して荷物を担ぎ、そこからしばらく歩いていくと、ルーキスたちは乗ってきた馬車を見つける。
「おお! お前さん逃げなかったのか!」
至近でないとはいえ、ワイバーンの咆哮や魔力、いうなれば存在を感じていたはずなのに、馬車を引いてきた馬は逃げもせずに「草うめぇ」と言わんばかりに街道脇の雑草をモシャモシャと咀嚼そしゃくしていた。
「大した肝っ玉してんなあお前さん。でも助かった、これで移動はずいぶん楽できる」
ルーキスたちは荷台に荷物を放り込むと馬車に乗って宿場町へと引き返す。
そして、宿場町の冒険者ギルドの支部にて依頼終了を報告すると、まだ日も高いということで馬に水をやったあと、再び街道をハイスヴァルム目指して進み始めた。
「ああ。忘れてた。コレ直さなきゃなあ」
街道をのんびり進んでいた馬車を止め、ルーキスが呟いた。
その眼前に広がっていたのはワイバーンとイロハが暴れ回って滅茶苦茶になった森と街道の成れの果て。
「ごめんなさいお兄ちゃん。魔石も道も壊しちゃって」
「構うもんかね。魔石は壊しちまったが報酬はたんまりもらったし、道の修復なら魔法でちょちょいよ。まあ、森には自分で頑張ってもらうが」
馬車から降り、魔法で街道を修復していくルーキス。
その様子を見ていたイロハに一つ。ある目標、ある夢が思い浮かぶ。
「私。いつか一人で世界を見て、お兄ちゃんやお姉ちゃんみたいに困ってる人を助けてみたいです」
「わ、私たちは邪魔ってことかしら?」
「違います。そんなわけないのです。ただ、いつまでもは、やっぱり駄目だと思うのですよ」
「自立したい、か。良いんじゃないか? 俺は賛成だぞ?」
修復作業をしながら話を聞いていたルーキスは、自分が旅立った時のことを思い出しながら微笑んだ。
思えば自分も旅に出た理由は世界を見て回りたいというものだったからだ。
「イロハちゃんがいなくなったら。寂しくなるわね」
「そんな今すぐ行くわけじゃないだろ。その時が来たら気持ちよく送り出してやろうぜ」
「ええ。そうね」
道の凹凸を土の魔法で平らにならし、ルーキスは御者席に戻って馬車を発進させる。
その後ろの荷台で、フィリスはイロハが自分たちの元を去った時の事を考えてしまったのか、なんとも言えない寂しそうな顔でイロハを抱きしめ、イロハも今は嬉しそうに甘えていた。




