第133話 初めての航海
薔薇の森から旅立ち、レヴァンタール王国最大の海洋都市であるペルラオフに到着したルーキスたちは道中手に入れた魔石や素材を金に変え、竜車の御者の案内で泊まった宿で一夜を明かした。
その翌朝。
ルーキスたちはすっかり軽くなった荷物を背負うと、宿屋の従業員に道を聞いて港へと歩いていく。
故郷の海辺の町と似た洋式の白壁造りの家屋、涼しげな格好の住人たち。
高く上った太陽に照らされた石畳の道路を往来する馬車や竜車。
それらを眺めながら、しばらく道を進んでいると、ルーキスたちはペルラオフの波止場にたどり着く。
そこでまず最初に目に映ったのはもちろん船だ。
家屋などより一回りも二回りも巨大な海に浮かぶ人工物。
それを見て、ルーキスはもちろんフィリスやイロハも目を輝かせていた。
「おお〜。立派な船だなあ」
「こんな大きな物が水の上に浮くなんて」
「これはどうやって動くのでしょうか」
ルーキスはともかく、フィリスとイロハは初めて見るさまざまな大型船に驚きながら歩いていると、出航準備のために荷物を積み込んでいる船舶の作業員の声が聞こえてきた。
「この荷物はロテア行きだからな! 積み順間違えるなよ⁉︎」
「はいよー了解!」
木箱を船に積むのは飼い慣らされた小型の翼竜種であるレッサーワイバーンだ。
そのワイバーンに跨った操竜者そうりゅうしゃが手綱を引き、それに応えてワイバーンが大きな木箱に掛けられた縄を引き、木箱を吊り上げ、船に運び込んでいく。
その様子をポカンと口を開けて見ているフィリスとイロハをよそに、ルーキスは船舶の積荷を確認している作業員ではなく、その近くで何やら台帳を手に持っている身なりの良い眼鏡を掛けている男性の方へと向かっていった。
「お仕事中に失礼します。ロテアに行きたいのですが、この船は向こうの大陸に渡るんでしょうか」
「ええ。確かにこの船はあちらの大陸、サウスリークに渡りますよ?」
「あっちで上向いてる二人も一緒なんですが」
「三名か。ならこの時間に来たのは正解だったね。一等客室は無理だけど、それでもいいなら。ところで君たちは兄妹? 親子? 見たところ冒険者みたいだけど」
「俺と赤い髪のほうは恋人同士です。その隣の子はワケあって引き取って、一緒に冒険者として旅をしています」
「ふむ。嘘を言っているようには聞こえない。後ろめたい理由で海を渡りたいわけでも無いらしいね。分かった、では乗船料だけど」
そう言って、台帳を脇に挟み、眼鏡を外して微笑みながら、男はルーキスに乗船料を提示した。
ルーキスの予想より安かったその提示額を石貨を入れた袋から取り出すと、三人分の乗船料を支払い、ルーキスは運搬作業を眺めていたフィリスとイロハを呼ぶ。
「この船で海を渡るぞ」
「初めての船旅ね」
「楽しみなのです」
二人を連れ、ルーキスは対応してくれた男に頭を下げると船に乗るため木で作られた階段を登っていく。
そしてその階段から伸びた柵付きの簡易的な橋を渡ってルーキスたちは大型船舶の甲板へと降り立った。
「思ってたほど揺れないのね」
「船を固定する魔法が掛けられてるからな。出航すると揺れるから、最悪酔うぞ?」
「まあ揺れるって言ってもねえ。大した事ないでしょ。ねえイロハちゃん」
「ですです。大丈夫なのです。クラティア先生との鍛練よりキツいことなんてないのです」
などと言って笑い合っていたフィリスとイロハの二人だったが、船が港を出航し、船舶所属の魔法使いが風魔法で船の帆に風を送って港から沖に出た頃には、フィリスとイロハは船酔いで顔面を蒼白にしていた。
「ごめんねルーキス。私もうダメみたい」
「お兄ちゃん。いままで、ありがとうでした」
「死ぬんかお前たちは。言わんこっちゃねえ。ほれ、出来るだけ遠くを見ろ、あっちの島とかな」
「ねえルーキス。私が吐いても嫌いにならないでいてくれる?」
「先生との鍛練でしこたま吐いても俺がフィリスを嫌いになったりなんてしなかったろうが、余計なこと言ってねえで深呼吸してろ」
「ウッ。ありがとうルーキス。好き」
「はいはい。そういうのは船酔い治してからな」
甲板の上、風を感じながら顔面蒼白で船の縁に捕まって遠くを眺めているフィリスとイロハの背中をゆっくりさする。
そうこうしているうちに波が穏やかになったか、次第に船の揺れはおさまっていった。
「これが、船酔い」
「なんとか吐かなかったのです」
「なんでルーキスは平気なのよ」
「さてね。丈夫な身体に産んでくれた両親のおかげだろうさ」
もしかしたら神様が与えてくれた恩恵の可能性もあるが、とは言わず、ルーキスは甲板に座って水魔法で作り出した水を飲んでいるフィリスとイロハに微笑むと、船の縁に肘を付き、頬杖をして進行方向にある大陸、サウスリークを眺めた。
「ロテアか」
「まさか冒険者の聖地に行くことになるなんてねえ」
「まあ、いつかは行ってただろうけどな」
「たしかに。あ、そういえばロテアってティアの国も近いんじゃないっけ? どうする挨拶しに行く?」
そのフィリスの言葉で、今度はルーキスが船酔いしたように顔を青くした。
最悪の場合、こちらが挨拶に行かずとも、ロテアやティアの国、カサルティリオが存在する大陸、サウスリークに足を踏み入れた時点で恐らくクラティアは良く知った弟子たちの存在を感知する。
そうなれば、向こうから突撃してくる可能性があるとルーキスは思ったのだ。
「どうしたのルーキス。もしかして酔ったの? 抱きしめましょうか?」
「なんでだよ。まあ、船酔いとかではないから安心してくれ。ちょっと嫌な予感がしただけだよ」
とはいえ、流石にサウスリークに到着して直ぐに再会することもないかと、ルーキスは遠方に見える大陸を眺めて苦笑した。
しかしその丸一日あと。
ルーキスたちは寄港したロテア最寄りの港ではあるが、所属としてはカサルティリオ王国領にあたる港町で下船した際、ある人物、いや、ある人物と隠すまでもなく、お忍びなのか幼女の姿をしたクラティアと少年姿のミナスに迎えられた。
「なんじゃお主ら。随分と早い再会じゃないか。そんなに妾に会いたかったのか? 愛いやつらめ」
「やあ久しぶり。来てくれたんだね、嬉しいよ」
クラティアはルーキスの予想など遥かに上回る感知範囲で自国に向かってくる弟子たちの存在を感知して、仕事を息子に任せて港町に夫を引きずって急行してきたのだ。
二人を見て、ルーキスは苦虫を噛んだような渋い顔をする。
そのルーキスの困った顔を見て、クラティアは「仕事をほっぽり出して来て正解だったわ」と、心底楽しそうに、意地の悪い笑みを浮かべたのだった。




