第129話 祖父が死んだ場所
声もなく泣いているイロハと、そんなイロハを抱きかかえて背中をさすっているルーキスを背に、フィリスは深く息を吸うと脳裏に祖父の面影を思い浮かべて手を組んだ。
「お爺ちゃん。いるならお願い。姿を見せて」
言いながら、フィリスはもう一人ある人物を思い浮かべていた。
祖母だ。
仲の良い二人だった。
記憶の中の祖父の傍にはいつも祖母がいた。
そんな二人を、泉は呼び出した。
フィリスの呼び掛けに、フィリスの祖父と祖母は応えて孫の前に生前の姿で現れたのだ。
『ん〜? なんだ。奇妙なこともあるもんだな』
「お爺ちゃん! 良かった。まだ転生してなかった」
『おお? もしかしてその赤い髪、フィリスか⁉︎ おー。婆さんの若い頃にそっくりじゃねえか』
『よしてくださいよアナタ。フィリスの方がよっぽど美人ですよ』
『ん? なんだ、お前もこっちに来てたのか』
『お陰様で、ずいぶんと待たせてしまったけどね』
自分の記憶にある生前の祖父の姿を目の前に見て、フィリスが声を詰まらせていると、同じくして現れた祖母と祖父がフィリスそっちのけで会話を始めてしまった。
その様子が懐かしくなり、フィリスは込み上げてくるものが抑えきれなくなり涙を流してしまう。
『おいおい。身体はデカくなったのに泣き虫は治ってないのか?』
『私たちは死んだはず。こうして会えたら、そりゃあ泣きたくもなるでしょ』
『かもしれんな。しかしなんなんだ? この状況は』
「ふぅ。あのね、聞いてほしいの。これまでの事」
涙を堪えて拭い、泉の真ん中に立つ二人に近づくと、フィリスは笑顔を浮かべ、二人が死んだあとに自分がどんな生活を送り、なぜ今こうして対面しているかを話し始めた。
それこそ久しぶりに会う家族に思い出話を聞いてもらうように。
『はっはっは! そうかあ、孫が冒険者、それも若くしてなかなかの手練れになってるなんてなあ』
『ああ。やっぱりこうなっちゃったかあ。フィリスはお淑やかに育ってほしかったんだけどねえ』
『そいつは無理な話だったな。なんせ俺の孫なんだからよ』
『私たちの孫です』
放っておくと直ぐに二人で会話を始めるので、フィリスはそんな様子を苦笑を浮かべて眺めていた。
いつまで眺めていたい祖父母の会話だが、時間制限付きなのはイロハが教えてくれた。
ならば心苦しいが、この会話は自分が止めなければならない。
そう思って、フィリスは「お爺ちゃんはどこで死んだの?」と、静かに呟いた。
『最後に行った場所か』
『ダメよアナタ! 言ったらこの子は絶対あそこに行っちゃうわ』
『おいおいもう手遅れだろ。冒険者になったってんなら』
『それは、そうだけど』
ルーキスが聞いた話だと、フィリスの祖母は頑なに祖父の死んだ場所について話そうとしなかったとのことだった。
「お爺ちゃんはダンジョンの奥で死んだんでしょう? どこのダンジョンなの?」
『いや。俺が死んだのはダンジョンじゃねえよ』
「そうなんだ。……はい?」
祖父から返ってきた予想外な答えに、フィリスは頭に疑問符を浮かべんばかりに目を丸くすると首を傾げ、次いで自分に祖父はダンジョンの奥で死んだと死に際に話した祖母の方を見た。
『教えたら、アナタの事だから絶対にそこに行くって言い出すと思っていたから、あの時、私は嘘をついたわ。諦めてもらおうと思ってね。でも、無駄だったのね。まさかその歳でいくつもダンジョンを攻略するようになるなんて』
「じゃ、じゃあお爺ちゃんはどこで」
『俺が最後に行ったのは、プエルタから遥か西にある隣国との国境沿いにある竜の谷の谷底だ。婆さんの病は普通の病じゃなかったからな。治療薬と金のために一攫千金、一挙両得を狙って、その谷底にしか咲かない竜華草を探しに行ったんだが。そこの主とかち合っちまってな。仲間共々、死んじまった。アイツらにも悪いことしちまったなあ』
「竜の谷。そこでお爺ちゃんは死んだのね」
『行っておいて言うのもなんだが。行くなよ? あそこの主はワイバーンなんかじゃねえ。正真正銘のドラゴンだ。あの時揃えていた装備がおもちゃみたいだったぜ。あの硬い鱗、ドラゴンはアルティニウム製の武器じゃないと傷付かないって話は本当だった』
それまで飄々としていたフィリスの祖父は、真剣な表情でフィリスを睨むと、声を低くして愛しい孫娘に向かって忠告する。
『どれだけ腕が立とうと、傷すら付けられないもんは倒せねえ。ヤツの寝床である谷底は広いが、ヤツの攻撃範囲も広大だ。地の利も得られん。だからフィリス頼むから行かないでくれ。俺はもちろん婆ちゃんもこうして死んじまったんだ。もう良いから、フィリスはフィリスで幸せになってくれ』
「お爺ちゃん、でも私は」
「嘘が下手ですねフィリスのお爺様は」
祖父の言葉に俯くフィリス。
その後ろから、ルーキスが言いながら近付いてきた。
「行くなと言う割には場所を教えた。期待しているのではないですか? 仇撃ちを」
『ルーキスくんだな? フィリスの恋人らしいが。まあ、君の言う通りだ。だが、いや。どう言っても言い訳にしかならんな。そうだよ、期待している。かの吸血鬼の女王に認められた君たちにな』
『あなた』
『頼む。私の、私たちの仇を討ってくれないか。竜華草を持って帰ることが出来たなら、家内はまだ元気に暮らしていたんだ。フィリスと一緒に、まだ、現世で』
悔しそうに言ったフィリスの祖父の目には涙が浮かんでいた。
そんな祖父にフィリスは手を伸ばすが、その手が祖父の体に触れる事はなかった。
代わりに、隣に立つフィリスの祖母が祖父の涙を指で拭う。
『お爺ちゃんは泣き虫ね。フィリスと一緒』
『すまん』
『謝らないでアナタ。アナタは何も悪くないわ』
そう言って笑う祖母はどこか嬉しそうだった。
しかし、ここで時間切れ。
二人の体が薄れ始めた。
『すまん。フィリス、さっきの話はお前にとっての呪いになる。だが頼む。どうか、後悔はしないでくれ』
『フィリスはルーキスくんといつまでも仲良く幸せに生きてね』
「舐めないで! 私は冒険者よ。お爺ちゃんとお婆ちゃんの孫。フィリス・クレール! 絶対に仇を討つわ! あっちで見てて、それで自慢してよ、自分の孫はドラゴンを倒したんだぞって!」
『フィリス。ははは、ずいぶんと頑固に育っちまったなあ』
フィリスの言葉に、それまで涙を流していたフィリスの祖父が驚いて目を丸くし、苦笑いを浮かべる。
『私たちの孫ですもんねえ。ルーキスくん、フィリスをお願いね』
「はい」
フィリスの祖母の言葉にルーキスが答えると、二人は少し申し訳なさそうに苦笑して霧散するように消えていった。
時間切れだ。
洞窟の天井を見上げ、涙を堪えるフィリス。
そんなフィリスの肩を、ルーキスはイロハを抱いたまま抱き寄せる。
すると、フィリスはルーキスに振り返ってイロハごとルーキスを抱きしめた。
「ごめんなさい。ルーキス、イロハちゃん。とんでもないこと言っちゃった。ドラゴンを倒すなんて」
「やってやれんこともないだろう。師匠よりは弱いんだから」
「吸血鬼の真祖と比べる相手かあ。どうしよう」
「フィリスはどうしたい? いや、聞くまでもないか」
「私は、仇を討ちたい」
「俺もだよ。恋人の家族とその家族の仲間たちの仇だ。ぶち殺してやろうぜ」
「わたしも、手伝うのです」
フィリスに抱きしめられたまま、ルーキスに続いてイロハが目を真っ赤にしたまま呟いた。
こうして三人は死者の泉での目的を果たし、フィリスの祖父と祖母、そして祖父の仲間たちの仇を討つためにこの世界で最強格の魔物であるドラゴンを倒すことを新たに誓い合ったのだった。




