第11話 宿屋のシルキー
「顔色が悪いな。どうかしたか?」
ここまで連れて来てくれた礼を言うために振り返ったルーキスが見たのは、自分の部屋の鍵をドアに差し込んだまま青白い顔で固まっているフィリスの姿だった。
「ね、ねえ。シルキーって幽霊よね?」
「厳密には違うな。見た目はまあ確かに幽霊に近いが、シルキーは歴とした妖精だ。家憑き妖精シルキーって聞いた事ないか?」
「聞いた事はあるけど、私、妖精とか精霊とか見えないから。正直区別がつかなくて」
言いながらフィリスは鍵を差し込み捻り、とりあえず開錠したが、ドアノブに手をかけたところで完全に動きを止めた。
「もしかして、幽霊とか怖い感じか?」
「ち、違うし。私、今日の朝まではこの部屋にいたんだから、怖いわけじゃないし」
ルーキスが宿の外からシルキーを見たのは、階段から上がってすぐの部屋、フィリスが入ろうとした部屋だ。
「そうか、じゃあ大丈夫だな。ここまでありがとう、おやすみ」
「待って! やっぱりちょっと怖いから待って!」
ルーキスが部屋の鍵を開け、ドアを開けると、ルーキスではなく、フィリスが怯えた表情を浮かべて先に部屋に入り込んだ。
「あの子達は基本的に無害な妖精だ。むしろ幸運を運んでくれる。怖いなら何か菓子か、果汁水でも供えてると良い。もしくは今日あった事やこれまでの思い出でも話してやるこったな。それがあの子らには良い娯楽になるんだから」
部屋に入り、怯えた表情のフィリスに言いながら、ルーキスは苦笑を浮かべると肩をすくめ、バックパックを部屋の角に置き、その上に外套を脱いで置いた。
そんな時だった。
フィリスにとっての恐怖が、向こうからやって来た。
壁をすり抜け、ふわふわ浮かび、確かに幽霊のような巻き髪の女の子の姿の妖精、シルキーがルーキスの部屋に姿を現したのだ。
「ははは。そうだったそうだった。この子らは壁抜けも出来るんだったな」
ルーキスは言いながらシルキーに近付き、微笑みながら一礼する。
そんなルーキスの言葉を聞き、様子を見ていたフィリスの胸中たるやまさに恐々といったところだ。
「も、もしかしてここにいるの?」
「そもそもシルキーって言うのは家その物に憑く妖精だ。一室に留まるわけもない。この子はこの宿の中なら何処にでもいるんだよ」
我が子や孫にそうしてきたように、ルーキスはフィリスに言うと、部屋の角に置かれている小さなテーブルの側にある椅子に座って一息ついた。
「ね、ねえ。まだシルキー近くにいる?」
椅子に座ったルーキスの横、隠れるように屈んだフィリスが怯えた様子で聞く。
「近く、というかすぐ隣にいるが」
「ひぃ!」
「ひぃって。そんなに怖がるとシルキーが可哀想だぞ?」
「私は⁉︎」
「見えないのが怖いってんなら見えるようになれば良い、どうする?」
「え? あ、いや〜。別に見たいわけじゃないし。でもなあ、って言うか私霊感とか無いけど見えるようになるの?」
「だからシルキーは幽霊じゃないって。まあ見えるようには出来るぞ? 魔力を目に集中させてみな」
「いや、だから別に幽霊を見たいわけじゃ」
「冒険者として名をあげれば、いつか依頼を指名される事もある。その時、悪い妖精やそれこそ幽霊を相手にする事になったらどうする?」
「断る」
「あのな、指名依頼だぞ? 断れば信用に関わるが、それでも君は断るのか?」
「う。そう言われると。って言うかアナタ本当になんでそんなに冒険者の規則とかに詳しいの?」
「登録した時もらった書類に書いてたろ。で、どうする?」
ルーキスに言われたフィリスは、腕を組み、眉間に皺を寄せると難しい顔をして悩み始めた。
その横で、可愛らしい顔をした巻き髪の女の子の姿をしたシルキーがフィリスの顔を覗き込み、不思議そうな顔をしている。
そんなシルキーに顔を覗かれているとは知らず、しばらく考え込んでいたフィリスは意を決したのか目を開いた。
「そうよね。ダンジョンにも幽霊型や妖精みたいな魔物はいるかもだし、見えるようにはなっておかないとまずいよね。私、頑張るよ」
「分かった、じゃあさっき言った通り魔力を両目に集中させて」
「分かったわ」
言われるがまま、フィリスは床にペタンと座ると、目を閉じて魔力を全身に流した後、その魔力を両目に集中していく。
と、その時不意にルーキスがフィリスの額に指先を当て、魔法を発動した。
驚き、目を開けるフィリス。
そんなフィリスの目に最初に映ったのは巻き髪の半透明な可愛らしい女の子の姿だった。
「ぎゃ!」
「ははは。成功したな、おめでとう」
ルーキスの言葉に素直にありがとうとは言えず、フィリスは立ち上がるとシルキーから逃げるようにルーキスの座っている椅子の後ろに隠れた。
その様子に、シルキーは自分の姿がフィリスに見えていると確信したのか、ふわりと浮いてフィリスとルーキスの周りを回る。
「幽霊が見えるようになっちゃった。アナタ一体何者なの?」
「今日冒険者になったばかりの十六歳の普通の少年だよ」
「冒険者になったばかりの普通の十六歳の少年が、ゴブリン五匹を一瞬で討伐したり、格上の冒険者を一撃で倒したり、変な魔法で幽霊だか精霊だかよく分からないものを見えるように出来るとは思えないんだけど」
「まあそれに関しては鍛練の賜物だとしか言えないなあ。それ以上の説明も出来ないし」
先程まで見えなかった周囲を楽しそうに回るシルキーにいまだ微かに怯えながら、フィリスはルーキスの言葉に納得してないのか険しい表情を浮かべた。
「さて、これでもう怖くは無いだろ? 俺はそろそろ寝るけど君はどうする?」
「うぅ。まだちょっと怖いけど、寝るのを邪魔することは出来ないし、部屋に戻る」
「ん。それじゃあお休み。また明日な」
おやすみと言われてしまっては、フィリスはルーキスの部屋から出て行かないわけにもいかず。
フィリスはルーキスの側を離れないシルキーをチラチラと見ながら後ろ向きで徐々に扉に向かって行き、後ろ手に扉を開けると、そっと静かにルーキスの部屋から「おやすみなさい」と言いながら出ていくのだった。




