第100話 師弟
裏庭の鍛練場までの通路も覚え、ルーキスたちは一度自室に戻ると昨日と同じく装備を整えて再び鍛練場へと向かった。
晴れて、というよりは再びと言ったほうが正しいのかもしれないが、恋人同士となったルーキスとフィリスは鍛練場の隅のベンチに腰を下ろして師匠夫妻の帰りを待つ。
フィリスの膝の上にはイロハが座っているが、朝食を腹一杯食べたからか、少し眠そうだ。
「寝ててもいいぞイロハ」
「だ、大丈夫なのれす」
ルーキスの言葉に答えるイロハだが、眠気からか呂律が回っていない。
そんなイロハを後ろから抱き上げ、フィリスはイロハを抱きしめて背中をポンポンと撫でた。
ルーキスはルーキスで、背中を撫でられているイロハの頭に手を伸ばして優しく撫で始める。
すると、幼い少女はフィリスの肩に頭を預けて眠り始めてしまった。
「昼まではしばらくある。寝かせておいてやろう」
「そうね。なんだかんだ言ったってまだ子供だもんね、イロハちゃんは」
「俺たちが大人みたいな言い方だな」
「成人の儀は終えてるからもう大人でしょ?」
「さて、どうかな?」
「なに? じゃあ試してみる?」
「ほう? キスでもするか?」
今までも隣に座ることはあった二人だが、いつもは少し距離感があった。
しかし、現状二人は三人掛けのベンチの真ん中に寄り添うように座っており、ルーキスは揶揄うようにフィリスの頬に手を伸ばす。
いつもなら「なにすんのよ!」と声を上げて突き飛ばしてきそうなものだが、フィリスは顔を赤くして黙ってルーキスの次の行動を待っている。
そのフィリスの照れている顔に、ルーキスも照れてしまい日和ってしまうわけだが、ここで引くのは男が廃ると思ったか、ルーキスはフィリスの額に口付けをした。
「もう、ルーキスの馬鹿」
「つ、続きは夜にな」
と、何やら意味ありげなことを言って、額への口付けに不満そうなフィリスのご機嫌を取ろうとするが、ルーキスは予想する。
恐らく今日も夜は意識を保てないくらいには疲労するだろうな、と。
太陽が屋敷の上を通過してしばらく経った時の事、ベンチの上で寄り添いあって昼寝をしていたルーキスたちの元に師匠夫妻が帰宅して戻ってきた。
「待たせたの。帰ったぞ馬鹿弟子たち」
「いつから俺たち全員弟子になったんですかねえ。まあ良いですけど」
「なんじゃお主ら。朝と比べると随分と魂の結びつきが強くなっておるの。ヤッタのか? お盛んじゃのお」
「おいやめろティア。まだ昼だぞ」
「ふん。妾たちにとっては深夜も同然よ。まあ良い、軽く運動してまた手合わせじゃ。良いな?」
寝起き一番でクラティアの高笑いを聞き、頭が痛い思いだが、ルーキスは師匠の意向に従いフィリスとイロハを起こすとベンチから立って側の木に立て掛けてあったハルバードを手に取った。
「準備運動の相手は僕がするよ。ティアより手加減は得意だからね」
「頼みます。寝起きで陛下の相手なんかしたら、下手すりゃ死んでしまいますので」
「そうなったらそうなったでお主も眷族にしてやろう」
「結構です。俺は、人間のまま死にます」
「ふん。答えは前世と変わらんか馬鹿弟子め」
水の魔法で空中に発生させた水の玉から水を垂れ流し、それをすくって顔を洗っているフィリスとイロハを尻目にルーキスはクラティアの言葉に答えながら指を鳴らして水魔法を発動。
自分の頭部より少し小さい水玉を作り出すと、それを自分の顔面に当てて顔を洗い、手で拭い取った。
「ではミナス様。よろしくお願いします」
「僕も君には友として近くにいてほしいんだけどね。まあそれは我儘か。よし、やろう」
ルーキスの眷族にはならないという発言は師匠夫妻の表情に一瞬影を落とした。
しかし、それも本当に一瞬の話で、クラティアは腕を組んで歩き出し、フィリスとイロハがいる、先ほどまでルーキスたちが座っていたベンチの方へ向かうと、ドレスを翻しながら玉座に座るようにベンチに腰を下ろして足を組んだ。
「なあフィリス」
「なんでしょう。ああいや。なに? ティア」
「今幸せか?」
不意に聞かれた質問に、フィリスは首を傾げるが、側に立つイロハ、ミナスと刃を交え始めたルーキスを見て「そうねえ。幸せよ」と笑顔を向けた。
そんなフィリスに対し、クラティアは「そうか。なら良い」とフィリスとルーキスを見て優しく微笑む。
「さて。観戦だけしててもつまらんし。イロハと言ったか。お主に妾が身につけた拳法という技術を教えてやろう。フィリスもどうじゃ? やってみるか?」
「投げ主体の組付甲冑術とは違う、打撃主体の技術よね。昨日ルーキスをボコボコにしてた」
「うむ。ある山奥で修行に励んでおった獣人族から学んだ技術じゃ。極めれば人の身でも岩を破壊できるらしいぞ?」
「へえ〜。教えてもらおうかしら」
「お姉ちゃんと一緒なのです」
というわけで、ルーキスとミナスが立ち会う鍛練場の隅で、指を鳴らしてドレスからシャツとキュロットスカートに魔法で着替えたクラティアは、フィリスとイロハに体得した拳法の伝授を始めた。
しばらく体を動かし温め、じんわり汗をかいたあたりでルーキスはミナスとの手合わせを中断。
全く汗をかいていないミナスに頭を下げて一息ついた。
「流石ですねミナス様。全く手も足も出ませんでした」
「まあ僕もティアに付き合わされてるからね。昔よりは強いよ。君だって二百年前よりは随分と動けるようになってるじゃないか。普通ハルバードって軽々しく振るえる武器じゃないよ? 小枝じゃないんだから」
「転生して若返っているということもありますが、神から与えられた恩寵もあるのでしょう。この体は鍛えれば鍛えるほど強靭になっていくのです」
「良い体を与えてくれた神様と、ご両親には感謝しないとね」
「ええ。本当に」
談笑するルーキスとミナス。
その様子を見ていたか、クラティアがフィリスとイロハを引き連れて鍛練場の真ん中へとやって来た。
「準備は良いな?」
「滞りなく」
「よしよし。では昨日と同じじゃ。三人いっぺんに掛かってくるがよい」
「心得てます。よろしくお願いします」
こうして相手をミナスからクラティアへと代え、ルーキスたちは手合わせを開始。
イロハは早くもクラティア直伝の拳法を取り入れ、至近距離にて縦にした拳で打つ打法である崩拳を打ち込むが、ダメージを与えるには及ばず。
フィリスも剣撃にバックラーでの打撃、拳法を取り入れた蹴撃でクラティアを驚かせていた。
そこに昨日より戦意を向上させて、ルーキスもハルバードに魔法を纏わせ健闘するが、結局この日も三人は気絶するまでクラティアの相手を努めるハメになったのだった。




