タチアオイ
「もう会えないね」
彼女は答えない
「また会えるといいね」
彼女は答えない
「君は無口だね」
彼女は答えない
「僕はおしゃべりさんだね」
彼女は答えない
それは梅雨の明けた初夏、まだ花たちに汗が拭えない初夏。彼女はいなくなった。誰が悪かったのかはわからない。たぶん誰も悪くない。お医者様も頑張っていた。僕も彼女の家族もお見舞いに行っていた。彼女は笑っていた。それが本心からかはわからない。ただただ胸の中が、ぽっかりと空いて、夢が覚めないみたいだ。
病室の花は満開だった。
あるとき、彼女は言った。私が死んだら私の骨を、ここから見える二駅先の山に植えて、と。電車に揺られながら考える。雲の影が後ろから追いかけてくる。
ガタンゴトンガタンゴトン
ガタンゴトンガタンゴトン
「ねぇ」
目の前には彼女が居る。
僕は辺りを見渡して、そっと息を吐く。
「よかった。君が亡くなる夢を見たんだ」
彼女は少し微笑みながら顔を傾げた。
僕は垂れる汗を拭って、彼女を抱きしめようとする。しかし、彼女はスッと後ろに下がった。
「実は私、あなたのことが嫌いなの」
そう言われた。
思い当たる節はあった。たまに彼女がする、妬ましそうな顔に、優越感を覚えていたのは確かだ。拳を握って言い返す。
ガタンゴトンガタンゴトン
ガタンゴトンガタンゴトン
瞼を開けた。いつのまにか駅に着いていた。僕は急いで下車する。雲が空を覆っている。無性に青が見たかった。
ゆっくりと山を登る。一歩また一歩と。足が一向に進まない。雲の影で埋め尽くされた、地面をずっと見ている。木々が重なる音がする。花の匂いがする。
さわさわさわさわ
さわさわさわさわ
目を開ける。彼女が目の前にいる。
彼女は目を細めている。
「君は……‼︎」
僕は声を荒げた。
「あなたはいつもそう。何かあると大きな声を出す。私はいつもビクッとして、悲しくなるの」
なにも言えなくなった。自分でもわかっていたなんて今更だ。
ざぁーざぁー
ざぁーざぁー
目を開ける。病棟から見えた、山にぽっかりと空いた空間。草木が生い茂り、花が咲いている。
スコップを手に持って穴を掘る。少しだけ掘るつもりがどんどん深く掘っていく。
ザクザクザクザク
ザクザクザクザク
目を開ける。
彼女がいる。僕の目をじっと見ている。手をゆっくりと持ち上げて、僕の頬を挟む。
「でも、そんなあなたが好き。なんでもできて飽き性で、自信たっぷりな癖に何処かナヨナヨしい。なんで好きになったかわからないの。顔かもしれないし匂いかもしれない。だけどどうしようもなく、私にはあなただけなの」
僕は彼女に抱きつく。花の香りがする。
ザクザクザクザク
ザクザクザクザク
目を開ける。いつのまにか埋め終わっていた。僕は辺りを見渡して花をみつけた。これから大きくなるであろう、名前の忘れた花だ。僕は隣に座って声をかけた。
「僕には君だけではないんだ。ダメなんだろうけど、別に誰でもよかった。それに君だってよく感情的になって喚くし、何度も同じことを聞くし、話しても聞いてないことが多いし。」
横を見る。花は静かに聴いている。
「でもね、無くなった後に言うのもなんだけどね。僕にも君だけだったみたいだ。普段は涙なんて流さないのにさ、どうしようもなく溢れ出るんだ。どうしようもないことなのに、世界を呪いそうになってしまう。ただそこにあるだけなのに」
花はまだ聴いている。
雲の影が開いた。どんどん別れて、あっという間に離れてしまった。
「もう会えないね」
花は答えない
「また会えるといいね」
花は答えない。
「君は無口だね」
花は答えない。
「僕はおしゃべりさんだね」
花は答えない。
「まぁ、言いたいことはそれだけかな」
静かに立ち上がる。雲はもう無くなっていた。
しばらく進んで後ろを振り返る。花は、静かに微笑んでいた。
夏が来ていた。