不倫バナナ
貴文は寝室のベッドに腰かけて、どうしたものかと思案していた。
目の前には冷たいフローリングに正座する裸の男女がいる。女の方は、貴文の妻の由紀子であり、男の方は名前も知らない男だ。そうだ。今の今まで二人は全裸合体していたのだ。寝室で裸で抱き合っていた二人であったのだが、そこにちょうど仕事から帰ってきた貴文がやってきて、逃げ場もなく、男は貴文にタコ殴りにされ、後に正座するように言われたのである。
「名前は?」
貴文は静かな声色で、震える男に聞いた。
「元春です」
「元春さん。えっと、鞄を見てもいいかな。あなたの」
拒否権はない、という意思を含んだ声で貴文は聞いた。それもあってか、元春は素直にこくりと首を縦に振った。
貴文が鞄の中をあさるとおおよその身元が分かった。財布も入っていて、そこにあった免許証から住所も本名も判明することができた。さらに言うと、ご丁寧に勤務先の名刺も持っていたのも助かった。なんてことない、由紀子と同じ職場、つまり、同僚での不倫だったわけである。
鞄の中を検め終えた貴文は再び、息を吐き出して思案した。
ただ一つ決まっていることはある。
「由紀子、君とはおしまいだ。離婚するよ」
「そんな、あなたが悪いのよ」
「悪いけど、不倫をしている君と、していない僕とではだいぶと異なる。もちろん、ご両親にも説明するし、慰謝料も払ってもらうから」
由紀子は裸のまま、屈辱なのか寒さなのかわからないが、震えながら頭をフローリングの床にこすりつけた。
ただ、貴文としてはこれについては決まり切っている事なのでどうにも変えるつもりはないのだ。
しかし、そうなると、もう一人の元春についても同じように処遇するべきであると貴文は考えた。
だが、ただ慰謝料を求めるだけでは腹の虫が収まらない。
努めて冷静な態度をとっているのではあるが、怒り心頭であるのだった。
と、そこで一つ思いついた。
「元春さん。あなたには、ただで許されてほしくない」
「はい」
「ですから、まずは慰謝料を払ってもらいます。それと、もう一つ、条件があります」
「条件」
元春が、ゆっくりとその条件を聞くために顔を上げた。
「選挙に出てください。でなければ、慰謝料は倍額とします」
短い条件であったが、元春にはそれを拒むことは出来ない。
承諾し、迫る市長選挙に出馬することに元春はなった。しかし、特に支持母体がない元春が当選する見込みはない。であれば、何ゆえ、このような条件にしたのか。元春はその真意が理解できずに、であっても、ひとまずは選挙運動を行うのであった。
「私が市長になった暁には、バナナを市民の皆さんに配ります!」
とかなんとか元春は公約に掲げながら、街頭演説をする。人通りの多い往来であるというのに、人だかりの目は冷たい。選挙運動の演説なんて言うのは、もとより、そんな注目を受けるものではないのだが、それでも、さらに言うと、無所属で新人の元春の演説が注目されるはずもない。
ただ人の注目を集めているだけだ。
一体、何故、こんなことを。
そう元春が思い始めたときだった。
「この元春という人はね!」
突然、群衆に向けて声があがった。
驚きながら、元春が、そちらを向くと、貴文がいた。
「この元春という人は、不倫をしていました!」
往来においてまさかそんな事をカミングアウトするとは思っておらず、元春は驚きの表情でみた。
「彼を当選させてください! 彼は不倫をしていますが、選挙活動に出ました! 不倫をしていますが!」
やたらと、不倫を強調しながら貴文が言うからだろう。群衆の目が元春へと向いた。
これが貴文の目的だった。彼は選挙運動として元春を街頭に立たせ、自らが不倫をしていたという事実を広く、周知させたかったのだ。その目的に気付いたころには、もうすっかり遅い。往来の人々はスマホを片手に、貴文と元春を写真で収めたりし始めた。
「そうです! 私は不倫をしています!」
否定することもできず、元春はそう言った。
貴文の目的は完遂された。
そして、元春は選挙に、落ちなかった。
「なんで?」
一番驚いたのは元春自身であった。
が、なんでも、素直に不倫を認める姿勢が評価されたらしく、市長として誠意をもって仕事をしてくれると思ったらしい。
賠償金の請求書を見ながら、元春は頭を抱えた。
ひとまず、市民全員にバナナを配ることから始めなければならない。




