我が勤め 遊びにつきあえず
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふー、ふー、みんな重い情報はシュレッダー行きにせよ……とはなっているけど、少しはマナーとかあるだろ。
のりに、シールに、ホッチキス……シュレッダーへの嫌がらせか? それとも限界に挑戦でもしてんのか?
ただでさえ午前中でオーバーヒートしかけてるってえのに、処理する側の負担を増やすなよな……つぶらやはどうだ? そちらの山、もうチェック終わりそうか?
これ以上動かし続けると、本気でイカれる。壊れた手間で余計に時間がかかるだけだ。そんなの仕事じゃねえ。
――とっとっと、やあっと昼休みみたいだな。ひとまずホチキスの芯やクリップ、片づけちまおうぜ。
そいつら外すとき、どこもケガしてなかったか?
いや、単なる傷の心配ばかりじゃねえよ。蟻の一穴、といっていいのか分からないが、むかしにホチキスの芯から妙な体験をすることになったからな。今でも細心の注意を払っている。
その時の話、聞いてみないか?
ホチキスをはじめて使ったのは、幼稚園くらいのことだったか。
あのころははさみとかを使った工作をする時間がとられること多いと思うが、危ない道具の扱いには早めに慣れておくべし、という判断だろうな。
生兵法というか、生使用法は大けがのもとだ。これから人生の長い時間で付き合っていくものとの、ファーストコンタクトは非常に肝要。そいつを先生の指導のもと、身に着けておこうというわけだろうが。
その中、俺とホチキスとの出会いは衝撃的だった。
同時期に出会ったものにハサミがあったんだが、こいつは単体だとひたすら二枚の刃を閉じ合わせながら、身を鳴らすだけ。そこに物づくりの成果が出ない。
その点、ホチキスは本来の閉じ合わせ以外に、単体で成果を出していく。何も挟んでいないくても、排出されていく楕円形のできそこないのごとき芯の姿。
その様子に、当時の俺はやたら興味を覚えて、ホチキスを極力手元へ置いておくようになったんだ。本来の仕事より、遊び道具としてつき合わせる時間が長かったがね。
――なに、頑張っているのはホチキスばかりじゃなく、芯のおかげでもあるだろう?
ごもっともではありますが、そこはまあ幼稚園児。
親としても子供が興味を持つものを、無下にするのはどうかと思ってくれたみたいで。ホチキス本体に、替え針2箱は常に持ち歩いていたぜ。ひと箱が手のひらに握りこめるサイズのあれな。
音も手ごたえも気に入っちまってさ、映画で見たオートマチック拳銃を連射するシーンとかに影響されて、気の向くままホチキス針を連射したこともあったんだぜ。
だが、それでまずいことがあった。
あまりに針を放出するものだから、自由時間以外でこの手の遊びを自重するよう先生に申し渡されてしまう。
ならばと限られた時間に連射する俺。片づけを覚えてもらう過程か、みんなして針を掃除するのを手伝ってもらったが、抜けがあったんだろうな。
次の昼寝の時間。
片づけをした部屋で布団を敷いて、みんなして横になる。布団を敷くことも自分でするんだが、するすると敷布団を用意したところで。
ちくりと、裸足の左足裏が痛んだ。
ん? と見た時、土踏まずのあたりからほんのわずか。針でつついたような、小さい血のふくれが出ていたんだ。
しかしそこは前日、珍しく蚊が寝ている間に刺していって、ふくれた状態になっていたところ。そのど真ん中からちょろって出血なんて、かきつぶしならぬ、床などとのすれつぶしが起きたようにしか思えない。
当時の俺自身も、細かい知識や警戒心があったわけじゃないしなあ。「たいしたけがじゃなくてよかった」と胸をなでおろしていたさ。
先生に軽く血を拭ってもらい、他のみんなとしばしの午睡の時間をむさぼったんだが。
起きる時間になって、違和感を覚えた。
左足全体が、妙にだるい。右足と比べると歴然とした差だったが、どうにか立ち上がるのには問題ない。
つい足をプラプラさせちゃうが、立ったとたんにだるさはどんどん体へ広がっていく。
ぐっと下腹あたりにもせりあがる疲れ。そして、急にせっついてくる尿意。
「トイレ」と先生に告げて、向かった便器の前でズボンを下ろして、いつものように用を足そうとして、俺は後悔した。
痛い。
いつもなら安らぎさえ覚える、心地よい時間の始まり。それがいま、俺は冷や汗と一緒に飛び上がりそうな激痛を抱えていた。
無理だ。出せない。
ちょっと力を入れれば、腹から局部まで一気に内側から血管を破られる。血がドバリと出る。めちゃくちゃ痛くなる。
そう直感し、想像させるモノがあった。こうしている今も、一滴が内臓の中を動くたび、キリリと肉が叫ぶんだ。
我慢へ舵を切るのに、迷いはなかった。
平静を装いながら戻った俺は、午後の残りの時間をひたすら耐えしのぐ。
やがてお迎え待ちの自由時間になっても、俺はできる限り動かないように努めた。
尿意は我慢に我慢をすれば、より行きたくなるか、すっこむかだ。まだ短い人生だが、俺は詳しいんだ。
トイレのトの字も想像したり、目に入ったりするようなことをしちゃだめだ。ひたすら修行僧の心地で無を意識する。何も考えていないだけともいう。
ようやくやってきた母親の姿に、俺は半ばほど安堵したよ。
もう半ばは、いまだだるさの抜けない体への心配だ。待っている間の集中は、トイレ以外にもだるさによって乱されかけていたところが大きい。
もう無事なのは右肩から右腕までがかろうじて……といったところで、迎えの車の中、俺はずっとシートにぐったりで、心配する母親にも生返事をするのがやっとだったよ。
よっぽどのくたびれ具合に見えたんだろうな。家に着くや、夕飯まで休んでいるように言われ、どっかりとソファに身を投げ出す俺。
耐えに耐えた尿意との賭けには勝った。俺の下半身は、もう決壊を訴えるサイレンを鳴らしていない。平常通りだ。
けれども、代わりに襲ってくるのは眠気。抜けない疲れは、どこまでも俺の感覚を鈍らせ、眠りへといざなってくる。
昼寝をしたのを、ものともしない誘惑に、俺が大あくびをかましたとき。
痛い。
思わず、あくびと共に閉じ切ったまぶたを開いてしまう。
たちまち涙ににじみかける視界だったが、自分の目元からぽろりとこぼれるものがある。
ホチキスの針だった。何もはさまないまま、床に転がる楕円形のできそこないの形でもって、カーペットに転がったんだ。俺の涙に濡れながら。
信じがたかったけれど、あふれる涙と痛みに、身体の本能が逆らえない。
たまらずまばたきした。連続でするその三回は、「パチ、パチ、パチ」と耳が、脳が認識できる音を出した。それはホチキス本体が、閉じ合わせるときにそっくりだ。
閉じ合わせたまつげが熱くなり、涙と一緒に頬をポロポロ転がって、針たちは先達たちの後を追う。
声をあげる直前、身もだえたまらない痛みのレベルにあえぎながら、俺の両まぶたは実に16のホチキス針を転がり落としたんだ。
それ以来、ホチキスの針で遊ぶのはやめたし、扱いにも気を付けるようにしているのよ。




