60:病人を治すのが聖女の仕事なのです
子供たちのいっぱいな公園から逃げた後のこと。
一度、また元の大通りに戻った私たちは、しばらく歩いてちょっと気になる場所を見つけました。
そこは『オセアン治癒院』。その名の通り、この世界の病院にあたります。
それだけなら別に私も大して変に思わなかったでしょう。ではどうして足を止めたかと言えば、鼻が曲がりそうなほどの汚臭がそこから漂って来ていたからです。
「でもどうしてこんな変な匂いがするんですか? ここ、病院なんですよね?」
「治癒院だからに決まっとるだべな。膿んだりすると臭いもんだべ」
「あー、確かにです。でもそれってかなり不衛生ってことでは?」
確かに聖女認定試験の時、たくさんの怪我人を治したことがありましたが、その時もちょっと変な匂いがしていたような気がします。あまりにも怪我の状態がひどすぎてそこまで気にする暇はありませんでしたけど。
でもいくらなんでもこの匂いは臭すぎます。おそらく科学技術が進んでいないようなのでそのせいで医療技術が遅れているんでしょうね……。
「ちょっと治癒院の中を見て行っていいですか? もしかしたら私、役に立てるかも知れませんし」
「もしかして聖女の力を使うつもりか? そんなにホイホイ使ったらいけねえんじゃねえのか?」
「わかりませんけど、別に使っちゃいけないとは言われてませんよ」
ぶっ倒れる危険性はありますが。
でもひどい怪我人や病人がいるのなら放置していくわけにもいきません。寝覚めが悪いので。
ですから私は、『聖女として治癒院の視察をしたい』という名目で御者さんをなんとか納得させ、治癒院に入ることにしたのです――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「これはひどい……」
異世界の医療ってこんなにも遅れているのでしょうか。ニニの言っていたことであれば確か、稀少な聖魔法ではなく光魔法でも治癒ができるとの話でしたが、医者……もとい治癒術師の手が届いているようにはとても思えません。
あちらこちらのベッドに横たわる人々は、ざっと百人ほどでしょうか。ところどころ肌が黒ずみ腫れ上がっており、全身がひどく痩け、まるで腐っているかのようにさえ見えました。生きているのが不思議な人がほとんどで、「うー」やら「あー」と声を上げている様は、ゾンビと言われたら信じてしまいそうなほどです。
「平民向けの治癒院はなかなか高い金はかけられないし治癒魔法の使い手も少ないから大体こんなもんだべ。それに最近は黒死病が流行っとるしなぁ」
「黒死病って……まさか」
私は思わず息を呑みました。
黒死病。それはつまり、ペストです。
異世界の黒死病が本当にペストと同じかはわかりません。中世時代に流行った病気で、もちろん私は直接ペストの病人を見たわけではないからです。
でも知っている限りのペストの症状と非常に酷似していることは間違いありませんでした。ペストといえば感染してから二、三日で死に至る可能性すらある最恐の流行病ではないですか。
「なんとかしなくちゃ」
異世界観光の途中でこんな光景を目にしてしまったわけですから、もちろん気持ちがいいわけではありません。が、病人を治すのが聖女の仕事なのです。
だとしたら、いいえ、もし私が聖女じゃないとしても、目の前のこのゾンビのような病人たちを目の前にして、放っておくという選択肢は取れません。
私は気付けば、黒死病患者の一人に駆け寄っていました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「うーぁあ」
「あッ、あぁっ!」
「うぅー」
次々と上がる苦しそうな呻き声、そして悲鳴。
その地獄の絶叫に耳を塞ぎたい衝動を抑えながら、私はただただ懸命に治療を施しました。
魔物の傷を治す時に比べれば、慣れて来たのか随分と楽に治癒できている気がします。
それでも目の前に火花が散り、頭がくらくらしているのですが……こんなことでは負けません。
「な、何事!?」
もう少しで治療を終えようとした時、狭苦しい治癒院の奥の扉から白衣の男性が飛び出して来ました。
後でお話ししてわかったことですが彼は治癒院長さんのようです。
治癒院長さんは最初私を不審者と思ったようでしたが、強大な聖魔法の力を見て目を剥いている様子。
本当なら色々と説明したいところなのですが何せ私、今ぶっ倒れる寸前なのでそんな余裕はありませんでした。
代わりに御者さんが何か問い詰められているようです。変なこと答えていないといいですが……。
そんなことを言っているうちに、いつの間にか最後の黒死病患者の治癒が終わっていました。
百人以上の患者がいたはずなのに、です。今更気づいたのですが、私って結構すごいのでは……?
あぁ、でもダメです。足から力が抜けて、座り込んでしまいました。
立派な聖女への道はまだまだ遠いようです――。
ペストの原因は小動物に寄生するノミだと習った覚えがあります。
街はそこまで汚く見えませんでしたが、文化レベルを考えれば中世と同じ程度であり、ペストが流行る環境でもおかしくありません。
いくら治療しても原因を改善しない限りは変わりません。ヘトヘトになった上、今にも倒れそうなのに治癒院長さんにまるで事情聴取のような怒涛の質問の嵐を叩きつけられた後、私たちは異世界観光ついでにオセアンの街のネズミ退治を行うことになりました。
「嬢ちゃん、人が良すぎでねえべか?」
「そうですか? 私自身はあまりお人好しじゃないと思ってるんですけど」
「それ本気で言ってるか……?」
だってあんな目も当てられないような病人を放って置けませんし、それにペストは危険な病気です。私まで罹かったら怖いですからね。
ともかく、もう時刻は昼過ぎで、のんびりしている暇はありません。とりあえず昼食を摂ってからネズミ退治を始めるとしましょうか。
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