54:馬車でちょっとお話し
あれから馬車で少し行った場所にあった宿屋でまた一晩を明かして朝を迎えました。
今日はエムリオ様とはきちんと別部屋だったのでしっかり眠ることができ、寝過ごすこともありませんでした。数日ぶりに心身共に休まる夜だったと思います。
清々しい朝、晴れ渡った空。
思わず浮かれてしまいそうになりますが、まだまだ油断はできません。だって……。
「うう、近いです」
ひとたび馬車に乗り込めば、私とエムリオ様はほぼ身を寄せ合うようにして座らざるを得ないのですから。
元々一人用の馬車です。広めの造りとはいえ、二人で座ると当然こうなりますよね。
「どうしたんだい、顔を赤くして」
「いえっ、別に何でもありませんよ」
本当はめちゃくちゃ恥ずかしいんですけど。
だって私は相変わらずのビキニ姿なんですよ? 海に行くわけでもないのに。これって男性からしてみたらかなりウハウハなシチュエーションですよね?
胸の鼓動が激しく、うっかり聞こえやしないだろうかと思って気が気ではありません。それを誤魔化すように私は口を開きました。
「そういえばもう王都を出たんですか?」
「ここはまだギリギリ王都だけど、もうじき抜けると思うよ。……ほら、見えて来た」
そう言いながらエムリオ様が指差した方に目をやれば、そこにはなんと、青々とした緑――広大な草原地帯が広がっています。
私は思わず息を呑みました。だってその草原には見たこともない動物たちが群れを成して歩いていたのですから。
青い鹿に赤い象、金色と黒の虎模様の羊に似た動物まで。
大草原を歩いているのは元の世界では絶対に存在し得ない奇怪な生き物ばかりです。
「も、もしかして魔物ですか……?」
「いや、あれは普通の動物だよ。そうか、ヒジリは見たことがないのか」
「はい。紫色のウサギみたいな魔物なら王城でたっぷり見せていただきましたが」
また聖魔法を使わなければならないのかと思ってビビりましたが、普通の動物なのであれば安心です。……とはいえ、肉食獣がいないとも限らないので油断は禁物ですが。
ちょうどその時、ガタゴトと大きく揺れながら馬車が民家の立ち並ぶ通りを抜け切り、大草原へ飛び出しました。
馬車を引く白馬のいななきに驚いたのか、先ほどまで優雅に歩いていた動物たちが一斉に逃げていきます。意外と臆病な様子でした。
外の景色をしばらく眺めていると、隣からまたエムリオ様の声がしました。
「そういえばだけど、ヒジリの住んでいた世界はどんなものだったのか教えてくれないかな? 生き物の種類も文化もまるで違うようだし」
「私の世界、ですか?」
尋ねられて、今更ながらまだ誰にも故郷――地球の話をしていなかったことに気づきました。
思い出すだけで懐かさに胸が疼きます。あの世界は今、一体どうなっているのでしょうか。
考えると急に涙が溢れそうになり、慌てて顔を背けました。泣き虫なのが私のいけないところです。
声が震えてしまわないように気をつけながら、私は地球についてのことを話し始めました。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「私の住んでいた世界は、魔法がなく、科学という文明が発達していました。文化レベルは高かったと思います。
決して平和じゃなく、戦争もよく起きていましたけど……少なくとも私は幸せに暮らしていましたよ」
私は、今思うと幸せだったと思うんです。
つい先日までそれが当たり前のように思っていましたが、あれほど過ごしやすい環境など、唯一無二だったのだと思い知らされました。
魔法というわけのわからないものに戸惑うこともなく、大して事件なんて起きずに、ただただ勉学に打ち込めば良かったあの日々は、もうずっと遠くのもののように感じられてしまいます。
「ですから私、元の世界に帰りたいと思っているんです。この世界で果たさなきゃいけないという役目をさっさと終わらせて、帰ろうって決めたんです」
「……キミの気持ちはよくわかった。確かに考えてみれば、ボクらは聖女を必要とするあまり、一人の人間としての尊厳を考えなかったかも知れない。未だに政略結婚だなんていう古いしきたりが蔓延る世の中だ、ボクらにとっては『仕方ない』で済まされる話も、キミの世界との価値観は違うんだろうね」
興味深そうに頷くエムリオ様は、エメラルド色の瞳を柔らかく細めて、仮面越しに笑ったように見えました。
「勝手にこの世界へ招いてしまったせめてものお詫びとして、ボクもできる限り協力しよう。その分キミには、しっかり聖女としての務めに奮闘してもらいたい」
「わかっています。この世界の人たちを見捨てるつもりはありませんから」
この異世界と呼ばれる場所は本来、私とは全くの無縁のはずでした。
しかしレーナ様と仲良くなり、ニニと修行の日々を過ごし、エムリオ様と出会ってしまった以上、私はもう無関係者ではないのです。
「……ヒジリは、強いなぁ」
エムリオ様の小さな呟きが聞こえましたが、それはすぐに風にさらわれて消えてしまったのでした。
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