37:父様の懸念とわたくしの不安 ――レーナ王女視点――
本当にあの『裸の聖女』ったらお気楽だわ。
先ほどまで寂しそうな顔をしていると思えば馬車を見た途端にはしゃいで走り出すんだから、お子様よね。
まあ、彼女がいなくなってやっとわたくしも落ち着けるわね。ここ数日はずっと振り回され続けていて大変だったもの。
彼女は一体どういうつもりでわたくしに絡みついてばかりいたのかしら。他の奴らと違ってわたくしに媚びることも敬うこともいないし、わけのわからない女だわ、まったく。あんなのが聖女でこの先大丈夫なのかは不安だけれど、少なくとも悪い奴じゃないししばらく様子見してやるとするわ。
「ふぅ……。ではわたくしは早速、お風呂の心地を一人で堪能するとしようかしら」
馬車が走り出したのを見てわたくしは踵を返し、一人そう呟く。
『裸の聖女』が残して行った一番の功績と言えばあのお風呂よね。平民の入るものは泥水同然だと聞いていたけれど、あの聖女が持ち込んだ異世界のお風呂は最高だもの。
いつも一番風呂に入れなかったから不満だったけれど、今日は聖女に邪魔されないから気楽だわ。
「あの聖女がいないとものすごく静かね……」
今は兄様もいないし、六歳の弟は初歩的な王子教育のために部屋に閉じ込められている――何度も逃げ出そうとするからそうなったのだけだが――だから、わたくしは暇だ。
いつもなら聖女に構ってやっていたのだけれど今日からはそうもいかない。兄様、早く帰って来てくれないかしら。
わたくしの兄様でありこの国の王太子、エムリオ・スピダパムは今、各地の視察で忙しいらしい。
例年であれば夏季休暇中である現在は王城に戻って来てくださるのだけれど、今年はあちらこちらで魔獣による被害やら原因不明の異常現象が起きているからそれを突き止めるために頑張っていると聞く。兄様は立派な騎士でもあるからそれがお仕事なの。
だからそのことに不満はないのだけれど、昨日までの騒がしさに慣れてしまって、こうして一人でぼぅっとしている時間が暇で仕方ないわ。
兄様の婚約者のセルロッティ姉様のお屋敷にでも遊びに行こうかしら? でもダメね。先触れなしで行くのは失礼にあたるし、せっかくのお休みなのだからセルロッティ姉様もゆっくりしたいでしょうし……。
ああもう、なんだかうずうずするわ。わたくしはたまらなくなって部屋を飛び出し、父様と母様のところへ行くことにした。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「あの娘を学園に送り出したはいいが……。例の聖女がこの先厄介事を引き起こさんか、余はどうにも心配でならん」
「あなた、何をそんなに心配なさっていますの? わたくしは彼女は聖女として有り余るほどの素質があると思いますわ。もしかしてあなたはあの聖女のことを信じていらっしゃらいませんの?」
父様の執務室に行くと、父様と母様の話し声が聞こえて来た。
どうやら『裸の聖女』について話しているらしい。
お話している時は邪魔してはダメだと父様にいつも言い付けられている。わたくしは「つまらないの」と言って引き返そうと思ったが、すぐに足を止めて思いとどまった。父様と母様があの聖女の話をしているなら、少しくらい聞いて行こうかしら。
あんなポンコツ聖女であっても一応、わたくしの名前を呼ぶことを許してやった間柄ではあるものね。
扉の前で盗み聞きするのははしたないことだけれど、少しくらいはいいわよね?
「信じていないわけではない。聖魔法の大きさもこの目で見た。聖女の力は充分であろうよ。だがな……実は余の最大の懸念は、厄災が訪れる前に聖女が問題を起こしてしまわぬかどうかだ」
「問題……? 確かにマナーはまるでなっておりませんけれど、身につければいいだけではなくて?」
「それがだな。調べてみると聖魔法には特別な性質があるらしく、あれの傍にいる人間は心が浄化され、感化されてしまうという現象があるらしいのだ。あれを学園に入れるのは余は反対だったのだが、ジュラー侯爵がどうしてもと言ってきかぬから」
「まあっ! それは本当ですか?」
つまり……どういうことかしら?
わたくしがあの聖女といて悪い気がしなかったのは、あんな不躾な態度を許せたのは、彼女の魔法のせいだというの?
「同性であれば多少の友好的な感情を抱く程度で済む。だが、異性であればそれは確かなる好意となる、と文献にはあった。過去にも微弱な聖魔法を持った女がいて、彼女は庶子でありながら王族を惑わせて国を混乱へ陥れたらしい」
父様の言葉を聞いてわたくしは息を呑み、動けなくなってしまった。
そして同時にとあることに気づいてしまう。
――この休暇期間が終われば学園には兄様も通う。兄様がもしも、万が一、聖女に惚れ込むようなことがあったら。
そのせいでうつつを抜かし、セルロッティ姉様を蔑ろにするようになってしまったら。
兄様とセルロッティ姉様は政略的な婚約関係にしては仲がいい方だと思うわ。それに兄様は断じて愚かではない。だからそんなことにはならないと信じたいけれど、わたくしの胸に不安が広がっていく。
兄様は優しいからこそ、あの聖女と一度親しくなってしまったら……一体どうなるかはわからないわ。
「ああ、『裸の聖女』――どうか兄様と出会わないでちょうだい」
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