138:可愛い聖女と、可愛くない婚約者と ――エムリオ視点――
時系列は132話時点まで戻ります。
「ヒジリが飛び出して行った、だって……?」
「ええ。あの聖女、門を破壊して飛び出して行ったそうですわよ。迷惑極まりないですわね」
急遽生徒会に呼び出されたボクが聞いたのは、そんな信じられない言葉だった。
ボクの幼馴染であり、婚約者でもあるロッティ――セルロッティ・タレンティド公爵令嬢。彼女は当然のようにヒジリを貶める発言をしながら、先ほど学園で起こったという事件を報告する。
「今、アルデート……ビューマン伯爵令息を向かわせているところですわ。ですから確保は時間の問題だと思いますけれど」
「どうしてヒジリが飛び出したりしたんだ……?」
ボクは思わず、ロッティに訊き返していた。
訊くまでもなく理由なんてわかっている。わかっているが、信じたくはなかった。
ロッティがヒジリを追い詰め、この学園から追い出しただなんて。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「拒絶してもダメ、受け入れてもダメ。なら私にどうしろっていうんですか。
私の質問に答えてください。あなたは私に惚れているんでしょう? なら惚れた女のお願いくらい聞いてくれてもいいでしょう。それも聞けないくせに君を守るとか軽々しく言わないでくださいよ、役立たず王子……!」
ヒジリに最後に会った日からずっと、毎夜のように脳裏に蘇る声。
悲痛な色が滲んだその声は、彼女がボクに向けた初めての怒りであり、どうしようもない理不尽への嘆きでもあった。
ボクはそんな彼女へ手を差し伸べられなかった。
愛しているのに。こんなにもボクは、ヒジリを愛してしまっているのに。
もちろん、これが禁断の愛であるのは百も承知だ。
ボクには婚約者がいる。十年以上連れ添ったんだ、ロッティだってボクにとっては大事な家族のようなものだ。だけど、どうしてもボクはずっとロッティのことをそういう目で見られないでいた。
ロッティは可愛くない。
勉強はボクの何倍もできる。土魔法の天才でもあるし、身体能力なんてボクと比較にならないくらい高い。素手でまともに張り合えばボクなんて一瞬で負けてしまうだろう。
礼儀作法にはうるさく、堅苦しい。そのくせ嫉妬深く、ボクにレーナ以外の女が近寄っただけで威嚇するという有様。
確かに彼女は美しいし、王太子妃として相応しいのは理解している。だから今まで我慢していた。でももう無理だ。
なぜなら、ヒジリという少女を知ってしまったから。
彼女は可愛かった。哀れで、か弱くて、今にも砕け散ってしまいそうなそんな儚げなところが。
初対面なのに馴れ馴れしくボクの名前を呼んで、そのくせ一緒に宿を共にするのには非常に恥じらっていた。それだけじゃない。この世界に戸惑い、それでも生きていこうと頑張る強さも。優しい笑顔を見せてくれるのも。ボクに頼ってくれるところも、全部全部、愛くるしく思えた。
結ばれるのなら彼女とがいい。
いけないことだと知りつつも、次第にそう望むようになって。
そこからはボク自身ですらこの気持ちを止めることはできなかった。ヒジリが好きだ。手に入れたい。思い切り抱きしめて、この愛を伝えてしまいたい……そんな思いが溢れ出してどうしようもなくなった。
だからいけなかったんだ。
ヒジリからはもうやめましょうと言われた。ロッティはヒジリに嫉妬し、結局はヒジリを追い詰めることになってしまった。
数日前だってロッティは、久々に会ったボクにわざわざヒジリの悪評を吹き込んできたばかりだったのを思い出す。
「礼儀のマナーはなっていませんし、成績も最悪。聖女の力も本当は偽造なのではないかと噂が立っておりますの。それから彼女、複数人の男性と交際しているかも知れないとの情報もありますわ。これは不確かではありますけれども。生徒会では退学処分にすべきじゃないかという意見も一部ありますのよ。アタクシは、せっかくですから退学などしていただきたくはないのですが、やむを得ない時は仕方ありませんでしょう? 王国の騎士のお墨付きをもらっているとかおっしゃっていましたが、それも怪しいですわ。色々と調べなければならない事例がたくさんありまして……」
当たり前だが全て嘘に違いない。
でもロッティに嘘を言わせているのは他ならないボクだった。全部ボクが悪いんだ。
わかっている。わかっているのに……口から出るのはロッティを傷つける言葉ばかり。
そしてそれは今も同じだった。
「どうしてヒジリが飛び出したりしたんだ……?」
その質問に、扇子を広げ、口元を隠したロッティが答える。
「数々の悪行を糾弾されるのが怖くて逃げ出したのではなくて? クラスが違いますし詳しくは存じ上げませんけれど」
「逃げ出した? そうだろうね。……キミのせいでヒジリは」
「そんなことよりエムリオ、これだけ生徒会の書類が溜まっておりますのよ。ご多忙なのは存じておりますけれど、いい加減どうにかしてくださらないと困りますわ」
「そんなことよりって。キミはいつから、そんな人間になったんだい」
幼い頃は、ロッティだって可愛かった。
ボクの言葉に目を輝かせてくれて。なんでもボクの言うことを聞いてくれたのに。
どうしてこんな風になってしまったんだろう。ボクのせいだろうか。わからない。わからないが――。
「ボクはキミを許せないよ、ロッティ」
口の中だけで呟いたその言葉は、ロッティには届かなかっただろう。
ボクは踵を返し、学園の門の方にヒジリを探しに行く。もう何日会っていないか忘れてしまった。今すぐ会って慰めたい、その一心だった。
けれどとうとうヒジリが見つけることはできず、ボクはもやもやした気持ちを抱えたまま自分の寮に帰ることしかできなかった。
可愛い聖女と、可愛くない婚約者と。
ボクが決断を迫られる日は近いかも知れない。
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