130:初恋の終わり
「ぷはっ。あーっ、ぷはぁっ」
綺麗な湖を私の涙やら涎やら汚い物が汚していきます。
その様をどこか他人事のような気持ちで眺めながら、私は必死で呼吸を繰り返していました。
今の私の姿を見れば、誰もが滑稽に思うでしょう。
私自身、自分の姿を想像するだけであまりの恥ずかしさにどうにかなってしまいそうでした。しかし仕方ないのです。だってこうするしか、心を落ち着ける方法が思いつかなかったのですから。
私は学園から逃げ出しました。
学園の門を聖魔法を悪用してぶち壊したのです。そして陸地へ繋がる橋までやって来たところでうずくまり、湖に頭を突っ込んでいます。
本当は陸地の先へ逃げるつもりでした。
でも、橋の途中で恐ろしくなってしまったのです。もしもここから逃げ出してしまえば自分はこの世界で生きていけるのだろうか、と。
無理でした。いつ命を奪われるかわからないこの世界で、誰からも庇護されない場所で私は生きていけません。でも、あの学園に戻る気にもなれなくて、だったらいっそのこと湖に身を投げてしまおうかと考え、しかし怖くてそれができない。
「ぷはっ……はぁ、はぁ、あぁ……」
水中で息を止めていたせいで頭がぼぅっとしてきました。
このまま何も考えないでいたい。一呼吸するとすぐに顔を湖へ突っ込み、また顔を上げて一呼吸を繰り返します。ああ、気持ちいい。このままどこまでもどこまでも沈み込んでいきたいような気分になります。
しかしそんな気持ちも長くは続きません。すぐにセルロッティさんの顔が浮かび、「愚かですわねぇ」と私を責め立て出したのです。
それを皮切りに、本来聞こえるはずのない幻聴――いいえ、過去に言われた言葉の数々が私の脳裏を駆け巡り始めました。
「消えなさい、悪女」「もうあまりつるめないの。ごめんね」「可哀想な方」「聖女様の言動は、確かに怒りを買っても仕方のないことなのです」「汚い泥棒猫が」「同じ空気を吸っていたくないです」「とんだアバズレ女ですねぇ」「気持ち悪い」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
どれほど悪意の言葉に責め続けられていたのか、わかりません。
気づいたら私は橋の上で大の字になって寝転がって、空を仰いでいました。汚れまくった顔はべっとりと気持ち悪く、今の私の心境を表しているかのようです。
私は一体ここで、何をしているんでしょう。
元の世界に帰りたい? この世界を救う? そんな大それた目標を持っているはずなのに、犬のように這いつくばって、何もかもから逃げてしまおうだなんて。
「じゃあどうしたらっ。私、どうしたらいいんですか!」
誰にともなく問いかけました。
「誰か、教えてくださいよ。私はどうすればいいのか、言ってくれたっていいじゃないですか。なんでこんなことに巻き込まれなきゃいけないんです? 悪役令嬢? 役立たずの王子様? クソ喰らえ。クソ喰らえです! 普通聖女召喚ものと言えば、無双してチヤホヤされて、スパダリなイケメンたちとラブラブ生活……そうでしょう。なのに、異世界に拉致されて、少し夢を見せられて、かと思えば後はそのしっぺ返しみたいにひどい思いばっかり。もう嫌。嫌なんですこんなの。恋くらいしたっていいじゃないですか。私はただ、恋しただけなのに」
認めましょう。
私はエムリオ様に恋していました。淡い初恋でした。好きだったんです。好きになっていたんです。
どこまでも優しく甘やかしてくれるところが。強くてかっこいいところが。まるで女の子の理想を詰め込んだみたいな王子様が、好きだったんです。でも、
「こんなことなら、恋なんてしなきゃ良かった……」
弱々しい声は、空の彼方に届くことなくかき消えて。
それと同時に私の初恋は、静かな終わりを告げました。
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