118:寮仲間たちの励まし
「おかえり……ってどうしたの、何かあった?」
寮の中へ駆け込むようにして現れた私を見て、エマさんが目を丸くしながら訊いてきます。
しかし私はそれに答える余裕もなく、椅子に倒れ込むように座ると机にバタリと突っ伏します。そうしてからようやく我に返り、慌てて言いました。
「な、なんでもないです。平気です。ちょっと外で転んで」
「そう? ならいいけど。泣いてるから一体何事かと心配しちゃったよ。聖女のサオトメ嬢も泣くもんなんだね」
「泣く? 私が、ですか……?」
首を傾げながら頬に手を触れ、そこに湿っぽい感触を得て、私は初めて理解しました。
自分が今の今まで、いいえ、現在進行形で涙を流していたことに気づかなかったという驚愕の事実に。
――!?
その時の驚きようは、思わず声も出なくなってしまうほどでした。
自分が泣いてしまうくらい追い詰められていたこと、そしてそれを自覚すらできなかったこと。それより何より昨日出会ったばかりのエマさんにこんな醜態を見られたこと。
さらにその直後、目を白黒させて混乱する私の背後からエマさんとは別の声が。
それはダーシーさんでした。
「聖女様、お戻りになられたのですね。……まあっ、どうなさったんですか。モンデラグ男爵令嬢、聖女様に何かなさいまして?」
「あたしは何もしてないよ。帰って来たらこの様子で」
「本当ですか? 聖女様は繊細でいらっしゃいますから、鈍感なモンデラグ男爵令嬢にはお気持ちが理解できないのでは?」
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」
エマさんとダーシーさんが言い合っている間に、上の階から足音が。
現れたのはハンナさん、そして少し遅れてイルゼさんでした。
「どうしたのです、聖女様?」
「何やら騒がしいわねぇ。もしや新学期早々何か事件?」
寮仲間全員に囲まれる形となり、私はただただ狼狽えるしかありませんでした。
なんとか涙を拭いながら、どうやって誤魔化せばいいのかと必死に考えます。考えて考えて考えて、口から出たのは分かりやすくヘタクソな嘘。
「……ちょっと外で転んでしまって、でも大丈夫です、どこも擦りむいてませんから」
無論この言い訳を信じた者は誰一人としていなかったでしょう。
明らかに釈然としない顔をしながら、しかし誰もそれ以上何も訊いてきません。それどころか、エマさんなど「そっか。ならいいけど」と騙されたふり。
でも彼女たちの顔を見て私はわかってしまいました。
これは告白でフラれた人に向ける哀れみの視線と同じものだ――と。
どうやらすっかり誤解されてしまったようです。
新学期早々、乙女ゲームのようにイケメンとバッタリ出会い、そこから恋が始まると思い込んであっさり断られた馬鹿な女であると。
もちろん私、そんな浮ついたことを考えていたわけじゃないのですけど、でもよく考えてみたらそれと同じなのかも知れません。
だって現に私は少なからずショックを受けている。……その事実を改めて認識し、背筋がゾッとなりました。
「大変だったね。サオトメ嬢、大丈夫。大丈夫だよきっと。きっと明日はいいことあるから。ね?」
エマさんが見当違い過ぎる励ましをしてきましたが、私はそれどころではありません。
セルロッティさんに脅されるまでもなく、エムリオ様にこれ以上会うのは危険だということに気づいてしまったからです。元の世界では絶対にあり得ないようなイケメンに優しい笑顔を向けられ続ければ、どうなってしまうのか。そんなことは考えてみれば最初からわかることでした。
――私、エムリオ様に絆されかけている?
「慣れないうちは色々とあるものですよ」
「帰りが遅いから心配していたのですが……次、頑張りましょうなのです」
「ペリーヌ男爵令嬢、彼女は道端で転んだだけなのよ。そうでしょう、聖女様?」
慰めているんだか、からかっているんだか。
よくわからない言葉をかけ続ける寮仲間の皆さんの生暖かい視線が耐えられなくなり、頭を下げた私は「心配いりません。ごめんなさい」と言うと慌てて三階の自分の部屋へと螺旋階段を駆け登って行きました。
実は居た堪れなくなっただけではなく、うっかり本当にあったことを話してしまいそうな気がして怖かったのです。
――初日に続いて二日目も最悪じゃないですか。
しっかりしなくてはいけないのに、つまらないことでうじうじ泣いたり考えたりばかりしている自分が嫌になります。
私はただ元の世界に戻りたい。ただそれだけのはずなのに。
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