117:凹む気持ち
悪役令嬢に目をつけられてしまった。
セルロッティさんはただの傲慢なお嬢様なんかじゃありません。マジモンの、本物の悪役令嬢だったのだと、私はようやく分かった気がします。
まだ会ってたった二回目に過ぎない彼女。普通であれば「他人の交友関係に文句を言うな」とでも一喝してやりたいところでしたが、私の中にそんな勇気はなく、今にもガタガタ震え出しそうなほど怯え切ってしまっていました。
だってあれほどの剣幕で静かに怒り狂う人間を見たのは初めてなのです。
しかも暗殺すら仄めかされるなんて。
暗殺だなんて冗談ですよね、と言って笑い飛ばしたい気持ちでいっぱいでした。
しかし多分セルロッティさんは本気で、しかもそれを成せる財力やら権力だって持っているはずです。
『下の位の貴族は自分より上位の者に決して話しかけてはならないという規則がある。もし破れば無礼討ち、つまり殺されても文句は言えない』
『実際、伯爵家程度の力があれば君一人消すことは可能だろう』
アルデートさんの言葉が脳裏に蘇り、ゾクリと背筋が冷たくなるのを感じます。
確かによく考えてみれば、セルロッティさんに文句を言われるのは当然の話でした。
どこの馬とも知れぬ女が、王子に擦り寄っていく。それは貴族の令嬢として不快極まりないことだったのでしょうし、しかも親密な関係になっていると思えば消す可能性だってあるのです。
政治的な思惑や嫉妬一つで命を奪われる地獄、それが貴族社会。――少しばかり浮かれていた私はそのことを失念していたと気づかされました。
「私の、馬鹿」
貴族社会のドロドロには巻き込まれたくない。
そのためには全力で私から逃げなければなりません。平和ボケ――と言っても全然平和な毎日じゃないですけど――していたらダメなのです。
私の目的はあくまで元の世界に戻ること。
もう勉強を教えてもらえなくなってしまったことは残念ですけど、命を捨てるのに比べたら何でもないことです。
エムリオ様と会わなければいい。教室も寮も全く違うのですから、今朝のようにフラフラ歩き回らなければ会うこともないでしょう。
……少し寂しいように思いましたが、元よりエムリオ様と私は友人でも何でもないのです。たまたま命を助けられ、たまたま宿や馬車を共にし、たまたま一緒に魔獣退治をして……それだけの関係。
そうです。だからきっと、大丈夫です。
最低限の文字は覚えたのですから、勉強なら自習すればいいだけ。何の問題もありません。
なのにこんなにも気持ちが凹むのはなぜなのでしょう。
まるで、もうエムリオ様に会えないことを残念に思っているみたいじゃありませんか。それはつまり――。
「私ったら一体何を考えているんです。そんなわけないでしょう」
自分を責めるようにそう呟いて、私は深くため息を吐きました。
エムリオ様の笑顔、セルロッティさんに向けられた怒りの眼差し。それらを全て全て頭の中から追い出してから、何かから逃げるかのように足早に自分の寮までの道を駆け戻り始めます。
いつしか自分がポロポロと涙をこぼしていることにすら気づかないほど、私の胸は恐怖と不安の入り混じったなんとも言えない感情でいっぱいいっぱいになっていたのでした。
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