第4話
ツベルク伯爵の領地はとなりである。
山をひとつ越え、川を渡ればもう伯爵領だ。
馬車でも半日とかからずに行ける。
ヒヒーン……!
「というわけで、『半月ほどでお返事する』と申し上げたんですけど……」
ツベルク伯爵の屋敷へ着くと、俺は事の成り行きを説明した。
「ランスハルト氏は大変真剣でしたし、どうお断りすればいいか……」
「なんと!? 断られるおつもりで?」
と伯爵は驚くが、もちろんそのつもりだ。
最初から会うだけと言っていたのだし。
「どうしてです? あちらのお嬢さんに、なにか気にいらない点がおありででしたしょうか?」
「え? いえ、決してそういうわけでは……」
そう切り返されると少し困る。
最初から『結婚そのものをあまりする気がなかった』というのも、言いずらいものだからな。
「俺には分不相応というか、ジェニファ嬢は高嶺の花すぎと思いますし」
「いえいえ、決してそのようなことはございませぬ。まったくお似合いのカップルですぞ」
伯爵はいい人だが、『カップル』だなんて軟派な言葉づかいには虫酸が走り、俺は眉をしかめた。
「世辞はよしてください」
「いえいえ、本心でございますよ。それに我輩としてもクロウド様にはあのシュネガー領を魔物の襲撃から守っていただいた十年来の恩がある。あの時の勇姿は今も目に焼き付いておりましてな」
伯爵は遠い目をして続ける。
「そんなクロウド殿には引退後もどうか幸せをつかんでいただきたいと、そう思っておりました。かつてお救いいただいたシュネガー領を丸ごとさしあげたのもそういう思いからのことだったのですよ」
「っ……」
それを言われると何も言えない。
冒険者は引退後の食いぶちに苦労するのが常であるものを、すんなり領主という鞘に収まることができたのは、他ならぬ伯爵のおかげであった。
そして、やってみると領地の経営はおもしろく、戦いばかりしてきた俺に新たな境地をもたらしてくれている。
それもこれも、ツベルク卿の心づくしのおかげなのだった。
「領主となったからには内政にも、外交にも妻の存在が不可欠となりましょう。そこで器量よしと評判のランスハルト家のお嬢さんとお引き合わせ致したのでございますが……」
伯爵は寂しそうに眉を下げて続ける。
「しかし、クロウド殿がお気に召さないとおっしゃるなら仕方ありませんな。残念ですが……ランスハルト氏には我輩から断りのお返事を申し上げておきましょう」
そうおっしゃるものをそのままお願いしておけば、この話はここで決着したのだが……
いつもお調子者な伯爵にシュンとして肩を落とされると、なんだかひどく気の毒に思われてしまう。
「いえ、その……まだ断ると決めたわけではありませんので……」
ついついそんな余計なことを言ってしまうと、伯爵は、
「おお! そうなのですか?」
と、人のよさそうなヒゲ面をパッとあかるくさせるものだからたまらない。
「え、ええ。もう少し考えようかと思いますんで……」
俺はそうとだけ残し、そそくさと伯爵邸を去った。
◇
「弱ったな……」
帰りの馬車の中で、俺はため息をつく。
そもそも断りのお返事はツベルク伯爵に頼もうと考えていたのだ。
あのランスハルト氏の真剣な顔を思い出すと、どうにも直接自分で断るなんてできそうもなかったからである。
しかし、こう話してみると伯爵の方がむしろ強敵であった。
「クロウド様、情にほだされましたね」
馬車の中でお供につれてきた執事ウェイドが言う。
まあ、そういうことになるのかな。
「しかしあの伯爵も、必ずしもあなた様への親切心だけで事を計っているわけではなさそうでございますよ」
「どういうことだ?」
「あの屋敷の使用人どもからそれとなくウワサを聞いてまいったのですが……」
ウェイドは氷のような目をかすかに光らせてこう続ける。
「……伯爵はこの婚姻によって王党派の勢力をまとめあげたいと考えているらしいのです」
「むっ……」
なんだか話がややこしくなってきたな。
そもそも。
俺の領地シュネガー領は、教皇圏という西方の宗教圏の【マーカス王国】に属している。
ただし、マーカス王国は諸侯の連合国家であり、王にそれほどの権力を集中できていない王国だった。
王家の意志が及ぶのは直轄領のみ、各領地のことは各領主がほぼ独立して運営している状態である。
そして、そんな領主たちの中には、
A『王に忠実な王党派』
と、
B『王制を打倒しようとしている改革派』
が混在している不安定な情勢なのだった。
そんな中。
ツベルク伯爵やランスハルト家は『王に忠実な王党派』として知られている。
特にフォート領は王都に近い要所。
俺とランスハルト家が姻戚関係を結べば、王都周辺での反乱を抑止することができる……
と、伯爵は考えているらしい。
「しかし、伯爵もそんな深いお考えがあるのなら、何故そうおっしゃらなかったんだろう?」
「貴族という人種は本音とタテマエを使いわけるといいますので」
……なるほどな。
俺の個人戦闘力を頼りにした政略結婚だなんて、俺本人に向かってはなかなか言いづらい、か。
それで使用人からウェイドを介してそれとなく真意を伝えて来られたのかもしれない。
伯爵とは前々からの付き合いだが、そのような手管を使われたのは初めてだった。
人のよさそうなツラして案外タヌキなんだな。
でも、だからと言ってタテマエのすべてが嘘というわけでもないだろうし、本音のすべてが悪だくみというのでもなさそうだ。
俺からしてみると、むしろ本音の方がスッキリするくらいである。
ゴトゴトゴト……
ふと、馬車も山の下りを迎え、車窓から領地の村々が見えて来た。
人口2万のシュネガー領。
陽はほとんど沈みかけている。
ポツリ、ポツリと灯る民家のあかりや、立ちのぼる夕げの煙が、夕やけの美しい茜いろへと染まって胸を締め付けさせた。
「俺の領地、か」
冒険者時代は、こんなふうに土地の人々の暮らしを見つめることはなかったな。
そう。
15歳の時に極東の島國が滅び、17歳で西に渡って冒険者としてがむしゃらにクエストをこなしていた時は、『俺はどこへでも行ける』って思っていたものである。
冒険者ギルドは国を超えた組織だ。
誰におもねることもなく魔物さえ倒せばカネは入ったし、魔王を倒した後はどんな身分の高い連中でも俺の名を知らぬ者はなかった。
だから俺は、この世界にひとりポツンと自分だけの能力で立ち、なんのシガラミにも縛られない自由を獲得したという全能感に満ちていたんだ。
でも……
結局、『どこへでも行ける』ってことは『どこへも行くところがない』ってことなんだよな。
俺は自由が欲しかったんじゃない。
ましてや有名になりたかったわけでもない。
30歳に近くなるにつれ自分の心を点検するようになると、そんなことを思うようになっていったのだった。
「……結婚、してみるかな」
俺は馬車の窓から領地2万人ぶんのあかりを見つめながら、そんなふうにつぶやいた。
「く、クロウド様。正気ですか?」
と執事のウェイドがめずらしく目を見開いて驚く。
「ガラじゃないって思うか?」
「……失礼ながら」
「ふふっ。でもまあ、ガラじゃないなんてことを言い出したら領主なんてやってるのからしてガラじゃねーからな」
「それは……」
執事のウェイドは細い顎に指を当てながら、
「……確かにそうかもしれませんね」
とつぶやいた。