ヴィームの女友達(3)
「ねえそれより、ララはなにしてるの、お母さんの家業を継いだんじゃないの」
ララはザンダに尋ねられると、コップを置き、ふふんと得意げにかわいらしい団子鼻を宙にあげてみせた。
「修行のために上京したの。いまはイングベルタ伯爵夫人おつきのお針子よ」
ララはイングベルタ伯爵夫人という言葉をことさら強調した。その名は、彼女と関わりを持つ巷の人間に自慢と誇りをもたらすものらしかった。
彼女が何者なのか、ザンダはいまいち、わかっていない。
「そんなにすごい人なの、そのイングベルタって人」
「だってパラ伯の奥様よ!大貴族よ」
ララが先刻の肩書きを繰り返す。
パラはルクシタニアの五領封の一つだ。イングベルタはパラ領の領主パラ伯の奥方なのだ。それはつまり、中流階級のザンダやララからしてみれば、気が遠くなるほど高い地位にある女性ということだった。
「ルクシタニア中の貴族がひれふすようなお方なの。美人で聡明で優しくて、もう言うことなしのお方!大公さまの相談役だって一目おいているのよ」
社交界の華というわけだ。
なるほど、貴族中の貴族と接点があることにララが有頂天になるのはうなずけた。ララは昔から、社交界とか舞踏会とかサロンといった超上流階級の暮らしに憧れるところがある。
「ララはすごいのね」
アッカ領の西の端にある小さな村の娘がイミネンシアなどという大都会で生計を立てているというだけでも称賛に値するというのに、そこで社交界に出入りするような人々への足がかりをつかむとは大した出世だ。
ララがふいにザクロジュースの入ったコップを置いてかしこまった。
「ねえ、ザンダ。あんた、わたしを手伝う気ない?仕事を探しているんでしょ」
「手伝うってなにを」
「わたしのお針子の仕事。いま、ちょうどアシスタントを探しているの。どこの馬の骨かもわからない人間を雇うくらいだったらあんたがいいわ。織物のこともよく知っているし、裁縫の知識もあるし」
それは願ってもいない申し出だった。
いまは滞在先の旅籠屋の仕事を手伝うことで生活費をいる。欲しいものがあるときは、持ち合わせの貯金を少しづつ取り崩していた。
何かと出費の多いイミネンシアに居続けるためには、そんな無収入の生活を続けるより路銀を稼げたほうがいいに決まっている。
「やるわ。喜んで」
と、ザンダは答えた。
家業が織物業だけに、幼い頃から高貴な人々の好みの生地を見てきたし、高級な生地の扱いには慣れている。裁縫にも自信があった。
ララが表情を輝かせて手をたたいた。
「そ、じゃ、決まりね!給料は最初のうちはあんまり払えないけれど」
ザンダはあわてて首をふった。
「気にしない。とりあえずは、いくらでも稼げれば充分よ」
「ふふふ、不思議な巡り合わせね。こんなところであんたにもう一度会えるなんて思わなかったわ」
ララが満面の笑みを浮かべた。
ザンダは幼なじみにほほえみかえした。そこぬけに明るいララの表情は、どや街での一件のあとで沈みがちなザンダの気持ちをいくら軽やかにした。
自分が翳ならララはまるで光だ、とザンダは思う。
背後で勢いよく扉が開き、野太い男の声が響いた。
「おおい、おかみさんよ、もう酒を始めていいのかい?」
ララがあわてて最後の揚げパンのかけらを口に押しこんだ。あわてて立ち上がる。
「あらら、もうおひらきだわ」
お茶屋が酒場に変わる時間だ。人灯ブースの中で灯しびとがトーチから光を放ち始める。天井の太い梁に支えられた奥の広い店内はにわかに明るさに沸き立つ。それまで薄闇に沈んでいた立派な蛇口つきの酒樽の数々がカウンター越しに姿を現し、ごみ一つのない木の床は清々しく光に洗われている。
ザンダはなるべく人灯ブースを視界に入れないように立ち上がった。イミネンシアにきてから、一日にいやと言うほど灯しびとを見かける。破れた夢を始終つけつけられるようで、ザンダはつい彼らを避けがちになった。
「ね、これから用事でもある?よかったらわたしの下宿で話の続きをしない」
と、ララ。
つもる話があるというものだ。まだ、ララの私生活についてはなにも聞いていない。五年ほどの空白を埋めるのにさすがに一時間は短すぎた。
ザンダは首を振り、言う。
「これから旅籠屋を手伝わないと」
ララは、ザンダの使い走りのようなチュニック姿に目を当て、すぐに同情とも労わりともとれる優しげな視線を投げてきた。
「ああ、そうだったわね。これからが忙しい時間よね。じゃ、明日、迎えにいくわ。どこの旅籠屋なの」
旅籠屋の名前を教える。ララはすぐに知っている、と言ってうなずいた。
仕事帰りの男たちが次々と店のなかに入ってくる。
ザンダとララは汗の臭う群れの間をぬうようにしてその場を後にした。