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夢追いのルビンダ使い  作者: 西条さき
第一章 春の訪れ
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序章

 ああ、光が欲しい。


 もう何年も薄暗がりの中に暮らしている。ガタつく椅子が六つ、もう何日も食べ物ののらない傷だらけの机が一つ。ワラを敷き詰めた寝床が二つ。暖炉の火は数年前からつきたままだ。


 他の調度品は全部売り払ってしまった。光と暖を同時に取れる薪と食料を手に入れるためだった。


 デルマイト鉱山の鉱夫だった父は、ある日落ちてきた岩天井の下敷きになって死んだ。母は暗い家の中で転んだことが仇して歩けなくなり、村長の家に掃除婦として働きにいけなくなった。


 歩けなくなるということは、家に巣食う薄闇の鎖につながれるということだ。母はやがて排泄も困難なほど弱りはて、壁に頭を何度も打ち付けて狂い死んだ。


 その血痕はまだ壁に残ったままだ。光が当たったのなら、さぞ陰惨に違いない。


 母に続いて二人の弟も死んだ。衰弱死だった。


 もうすぐ冬がくる。


 寒さは両親が残していった毛布と毛皮でなんとか凌ぐことができる。


 だが、光の濃度の薄い状態は別だ。光の欠乏は凌ぎ難い。寒さなどの比ではない。


 空を覆う〈雲の蓋〉が一層厚くなり、真っ白い霧がいつまでも晴れぬそんな時期には、家の中は残された調度品のおぼろげな輪郭を残すばかりの闇に沈むのだ。


 光!光なしには人は衰弱する。精神の衰弱などという高尚な話をしているのではない。骨が弱るのだ。歩けなくなる。ついで、稼げなくなる。そうなれば待つのは死、ばかりだ。


 移住することも考えた。だが、わたしたちのような賎民はどこへ行っても光のあたらぬ土地しか与えられない。


 〈雲の蓋〉の開くことのないこの土地では、人はこぞって光の、そしてあらゆる光の源泉の専有を争う。


 宮廷にのさばる奴らがまずはそれを手に入れ、次にその残りを裕福な街人や村人が得る。その後に彼らの下に侍る小作農や職人たち、と続く。こうして最後に賎民の元に残るのは光の密度の極限にまで薄められた薄闇だけ、というわけだ。


 住む場所や身分を変えられないというのなら、せめて灯しびとを定期的に雇う金があれば!


 そう考える時がないでもない。


 一日にたった一時間でいい。この部屋の中を光でいっぱいに満たしたい。村長の館の窓辺を飾るあの光、シャナシャナと音が聞こえてきそうな黄金の輝きで。


 それさえあったのなら、骨の弱いわたしの妹の脚が少しは良くなるかもしれない。あの子さえ立てるようになれば、わたしはもっと遠くまで働きにいける。山中で積んだ二束三文の薬草を最寄りの村の市場に売りに行かなくてもいい。


 それに、わたしと妹の何年も洗っていない体から立ち上る獣臭を浄めてくれるかもしれない。


 その日、わたしは父が残してくれた最後の財産を村に売りにいく決意をした。


 父が鉱山で働いていた頃に、デルマイトとともに堀出したものだ。


 地図だ。古い、古い、ルクシタニアの地図。


 父は何かあったときにはそれを村に定期的にやってくる骨董屋に売りにいくように言った。


 なぜ骨董屋なのか理由はわからない。だが、父の言葉は胸に留め置いた。


 骨董屋は掘り出し物を求めて方々を渡り歩いているという。わたしはその男が滞在している村長の館の入り口で彼が出てくるのを随分長いこと待ち続けた。


 父の残した地図を、今となってはわたしと妹の唯一の希望を、握りしめて。


 彼はブヨブヨした二重顎に太鼓腹をしたカジミールという名だ。テンの毛皮と帽子に身を包んだその姿を見て、わたしは骨董屋というのは儲かる商売なのだと初めて知った。


 カジミールは顔をしかめて口と鼻を覆い、わたしの青白く痩せさらばえた体を顔に比して小さな双眸で眺めやる。売り物にはならんな、と小声で吐き捨てた。わたしは聞かぬ振りをしていた。


 その骨董屋は地図と引き換えに確かに銭をくれた。


 わたしは手のひらの硬貨の枚数を数えた。


 薪を得るには二ティグレ足りない。


 灯しびとを雇うには一ティグレ、足りなかった。

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