第五話:ロキ
「シロガネ様、いや、裏切り者が死んだ!?」
「殺ったのは共和国の愛人らしい!!」
「王城の前にシロガネ様の首が晒されてるってよ!!」
質の悪い、ふざけた冗談だと、僕はそう思った。
本当は見えていた。これから始まる戦国乱世は実質的に、龍鬼とあの聖戦士だけの舞台で、それ以外は僕も含めた全員が、場を盛り上げるためだけに存在する端役でしかないことを。
その程度の存在でしか無いからこそ、彼等の戦舞台に乱入するに相応しい僕にならなくてはならないと決意した筈なのに。
何故だ。どうしてこんなことになってしまったんだ。
「おい、顔色悪いぞ。どうしたんだよ、キャプテン」
「殺されちゃったんだ。僕の大切な友達が」
「急に何を……って、まさかシロガネ様が!?」
「そうだよ。悔しいな……とてもとても悔しい」
「さっきの奴等言ってたよな。王城の前で晒し首にされてるって。シロガネ様の首を奪い返しに行くか?」
衝動的な提案だろうけど、彼のそんな優しさが嬉しかった。
「そんなことをする必要は無いよ。虫や蛇が脱皮するのと同じで、精神や魂の抜けた肉体はやがて風化する抜け殻でしかないからね。彼の肉体に宿っていた物こそが重要なのであって、彼が使っていた血肉自体には何の価値も無い。無意味な塊でしかないんだよ」
「じゃあ、シロガネ様を殺したって共和国の愛人を見つけ出して殺すってのは?」
「そうだね……僕だって怒っているし、悲しんではいるんだよ。寂しいとも思っている。けれど報復に意味は無いと思うんだ」
「どういうことだ?」
「その女の匂いを嗅いだわけではないから正確なことは言えないけど、僕が見つけるよりも先に死ぬと思うよ」
今日の僕は知らないけど、翌日、女は死んだ。
龍鬼を殺したと噂になった共和国の愛人の名はリーザ。
年若くて美しい女だから龍鬼の情婦のような言い方をされているけど、大魔王ヴェレト討伐に加わった凄腕の魔法使いだそうだ。
平和式典では表に姿を見せず、陰から龍鬼の脱出を手引きしたらしい。
そこまでしておきながら、龍鬼を殺し出頭した。
理由は明らかにされていないけど、その女の目的は無理心中みたいなものだと僕は考える。
腹が立つよりも出し抜かれたという気持ちの方が強い。
「それよりも、やってみたかったことが何もしない内から頓挫してしまったことの方が痛いね」
「シロガネ様絡みで何か企んでいたのか?」
「そうさ。これから先は混沌と戦国の時代さ。けれど何だかんだで、元の平和な世界に終着する筈だったんだ。裏切り者と聖戦士の決着によってね。その時がきたら、僕は横合いから二人を装甲車でぶん殴って決着を有耶無耶にしてやろうと思っていたんだ。混沌を長引かせるために。そう思っていたんだけどなぁ……」
駄目だ。また僕は龍鬼に寄りかかろうとしている。
再び彼と並び立つために頑張るのだと、そう決めたはずだったのに。
「おい」
酷く険を含む声を叩き付けられた。こっちは将来設計で忙しいと言うのに。
随分とつまらない、くだらない感情を漂わせている。
「お前らだ。お前らに言っているんだ」
一躍、ヒーロー扱いの龍鬼が極めてセンセーショナルなスキャンダルを起こしたのが嬉しくて堪らない。
所詮、あいつはそんな奴だったんだ。だってのに、未だに様付けで神聖視している往生際の悪い奴がいやがる。
そんな大悪党に媚びを売る奴なんざぶん殴って分からせてやる――といったところだろうか。
「裏切り者の大罪人のことを様付けしたお前らに言っているんだよ、オイ!!」
鬱陶しい。煩わしい。五月蠅い。殺すか? 殺してやろうか? そうだな。殺そう。そうしよう。
そうだ。僕は暇なのだ。目的が定まらないせいで退屈しているんだ。
新たな仲間の欲望を満たそうにも装甲車が動くまで何も出来やしないから退屈なんだ。
「聞こえてねぇのか!? 気付かないほどバカなのか!? それともびびってんのか!! ええ!?」
足止めされているからと言って、何で僕は足を止めたままでいるんだ?
おいおいおい、おかしいじゃないか。これはとてもおかしいぞ。変だ。
果たして僕はこんなにも怠惰であっただろうか。
「いい加減にしやがれ、テメェ!!」
龍鬼と並び立つ男になると決めたばかりじゃないか。
混沌だ。混沌だけが僕に愉悦を与えてくれる。達成の悦びを感じさせてくれるんだ。
「嗚呼、丁度良い時に、丁度良い愚物が来てくれた。そこの君、突然だけど死んでくれないか。今すぐに」
「あ? お前……」
「別に自殺でも構わないけど、出来れば殺させて欲しいかな」
「狂ってやがるのか! あの裏切り者を未だに様付けするような奴等だと思っていたから変だと思っていた! それがここまでとはな!」
「今すぐ君が死ねば、きっと皆おどろくと思うんだ。唐突過ぎて意味が分からないって。ね、楽しそうだし良いよね? 別に君の考えは聞いていない」
鷲掴みにした鎖骨を引き下げ、骨ごと皮膚をべろりと引き剥がす。
無意味に絡んで来た男が絶叫しようとしていたから、喉を引き千切ってみた。
「ゴビュ――――ゴビュ――――」
声が無くなった。男の喉から壊れた排水口のような音が漏れ聞こえる。ほんの少し楽しくなった。
「キャプテン……すげぇな。アンタ。そんなに強かったんだな」
「君のように高い魔力と制御能力を持つわけでも無し、勇者たちのように優れた身体能力を持つでも無し。君達に比べたら人の身体を壊す程度、何も特別なことでは無いよ」
脊椎を引き千切ろうとしたら抵抗してきたので拳打で肺を打ち貫く。
肺胞を潰し、肺の中を血液で満たして溺れさせてやる。
「駄目だ」
「何が駄目なんだ、キャプテン」
「これじゃ、ただ絡んで来たチンピラを殺しただけだ。何の快も、悦も無い。冒涜とはね、質なんだよ。周りを見てごらん」
僕に促され呪い師が周囲を見渡す。
城下の人々が遠巻きにして僕らを見ているが、止めようとするどころか巡回の兵士達を呼びに行こうとする気配すらない。
「今、いい気味だって言った奴がいた。よっぽどの嫌われ者だったみたいだな、コイツ」
「悪党を殺すなんてのは大衆に賞賛されたいだけの正義の味方にやらせておけば良いんだよ。この男がどんなに外道であっても、この男を殺すことで多くの人間が救われることになったとしても、僕に何の感動も与えてはくれない。感動が無いなら楽しくない」
「その割に殺すんだな」
肺が血液で満たされ、遂にチンピラが地面に崩れ落ちた。溺死したんだ。
「殺す理由も愉悦も無いけど、これで僕は慈悲深い人間だという自負がある。だから死なせてあげたんだよ」
それに――。
「失礼」
何処ぞの貴族様の執事だろうか。老紳士然とした出で立ちの男が声をかけてきた。
いつの時代、どこの国、いかなる世界でも、人を殺せる人間を高く評価しようとする人間は色んなところに目を飛ばしているものだ。
ましてや、王家が途絶え、王国内では貴族達が分裂し、共和国の売国条約は無かったことになり、連邦では内紛の兆しが現れ、その状況を作り出したシロガネ様こと龍鬼が暗殺されて、混沌の終着点が無くなった。
有象無象の端役たちがこれ幸いにと色めき出す切欠として、これ以上に無いお膳立てだ。
「高貴な御方に奉ずる忠義の士とお見受けしますが、我々のような下賎の者に如何なるご用件でしょうか?」
恭しい仕草で頭を垂れると、老紳士の呼吸が一瞬だけ乱れた。
ある程度感情を制御できる手合いかと思ったけど、何のことは無い。
良くも悪くも関心の無かった卑俗の類が思っていたよりも礼儀作法を知っていて上機嫌になった。その程度だ。
「大変失礼いたしました。一部始終を拝見させて頂きました。シロガネ様の御意思に通ずる同志が、惚れ惚れするような見事な技をお持ちでしたので、つい声をかけさせて頂いた次第です。是非、シロガネ様の御意思を継ぐ我が主にお力添え頂きたいと」
「過分な評価痛み入ります! そのような方々に助勢させて頂けるとは! 寧ろ、此方からお願いしたいくらいです!」
釣れた。
僕だけでなく、老紳士も同じことを思った筈だ。
どんなに真摯的に振舞っていようとも匂いは雄弁だ。下種な匂いがする。
使い勝手の良さそうな鉄砲玉が手に入った――大体、そんなところだろうか。
「若き同志たちよ、お名前をお聞かせ願えますかな?」
「失礼いたしました。彼は僕の仲間の――」
「レグザックっす」
へぇ、そんな名前だったのか。
「僕の名前は――」
さて、何と名乗ろうか。前世の名前? 今世の名前?
どっちもピンと来ない。名前なんてどうでも良い。所詮は個人を区別する記号でしかない。
けど、世界の在り方が代わり、龍鬼はシロガネ様として死んでしまった。
龍鬼亡き今、彼の身体は抜け殻で、彼の名前もただの記号でしかない。
それはとても悲しいことだと思った。
否――。そんなのは建て前だ。
僕は思った筈だ。これから先の混沌を我が物で遊び戯れる筈の龍鬼が処刑されたと聞いた瞬間に。
「ロキ、です」
君達はシロガネ様を継げば良い。
僕には龍鬼がいれば良い。
だから、ロキは僕が持って行く。