【異界夜話】竜の姫
異世界から来たらしいその人間の男は、城を囲む森の中に一人立っていた。
男を助けた竜人族の姫ヴォルテラは、彼を城下に住まわせることにした。
その男アルベルトは、見たことがない景色を語り、聞いたことがない歌をうたった。その声にヴォルテラも心を奪われ、互いに愛し合うようになった。
しかしある日、アルベルトはもとの世界に帰りたいと言い出した。ヴォルテラは悲しんだが、国の様子をひと目見たら戻ってくるというアルベルトの言葉を信じて、転移の魔法を彼に使った。
しかし魔法には心配なこともあった。魂だけが転移したとき、何の姿に変わるのか分からないのだ。あるいは鳥や獣かもしれない。
「ならば三月過ぎて僕が戻らなかったら、ヴォルテラが迎えに来ておくれ。お互いの姿が変わっても、君の瞳の色を僕が忘れることはない。そして君の名前を呼ぶ僕の声を、君はきっと見付けてくれるだろう?」そう約束した。
しかしアルベルトは帰ってこなかった。今日は帰ってくる、明日は帰るだろうと待ち焦がれるヴォルテラの心に不安が広がる。
もしや病気にでもなったのではないか、もしか何かの間違いでどこかに閉じ込められているのかもしれない。そう思うと気も狂わんばかりだった。
そしてヴォルテラはアルベルトを追って彼の世界に転移した。
しかし転移したヴォルテラの姿は、雷雲を纏った巨大な竜だった。アルベルトを悲しく呼ぶ声にも人々はただただ恐怖して逃げまどい、その姿を見た王は躊躇無く軍隊を差し向けた。
王国との戦いは3日のあいだ止むこと無く続いた。飛んで逃げようにも魔術師の魔法で大地に縛り付けられ、ヴォルテラに戦う気は無くても纏った雷雲が電撃を放ち、否応なく兵士達を死体に変えた。
そしてようやく王都から講和の使者がヴォルテラのもとにやってきた。
ヴォルテラはその使者にアルベルトという男を捜していること、そして見つかれば何もせず立ち去ることを伝えた。
使者はヴォルテラに3日の猶予を乞うと、ヴォルテラの言葉を王に伝えた。
王はその言葉に安堵したが、宰相はじめ貴族たちが異を唱えた。
竜が本当に約束を守るのか。そもそもアルベルトとは何者なのか。竜とつながるものが人間とは思えない。あるいは我々を脅かす魔物のたぐいではないのか、と。
疑心暗鬼からくる狂気はとりとめもなく膨らんで皆を巻き込んでいく。
約束の日、王都を訪れたヴォルテラに王は言った。
この国にアルベルトという男はひとりもいなかった、と。
その言葉を不審がるヴォルテラに、中年の女が駆け寄り石を投げつけ叫ぶ。
「お前のせいで息子は殺された! 息子を返せ!」
衛兵に斬り殺される女の怨嗟と同時に、ヴォルテラは王の言葉の意味を悟った。
アルベルトという名の男は全て、しらみつぶしに殺され3日の間に国からいなくなったのだ、と。
ヴォルテラは王たちの救いがたい愚かさに絶望し、怒りのままに王都を壊滅させた。
それからもヴォルテラはアルベルトを探し続けた。
その結果3つの国を滅ぼした彼女は魔竜と呼ばる存在となった。
ヴォルテラは崩れた城にうずくまりながら、それでも自ら死を選ぶこともできず、気がつけば3年が過ぎていた。
ある日魔竜討伐にやってきた勇者の一行がヴォルテラの前に現れた。
彼らにヴォルテラを倒せるとは思わなかったが、彼女は疲れ果てていた。
ならばいっそ勇者に伐たれたふりをして自分の国に帰ろう、そう思って勇者の聖剣を奪い取った。
その剣で自ら喉を突こうとしたとき、その「声」がヴォルテラの耳に届いた。
『その瞳、やはりヴォルなんだね。済まなかった。でもようやく会えた』
「ああ、アルベルト! あなたがアルなのね!」
恋い焦がれたアルベルトの「声」は、手にした聖剣の中から聞こえた。
ヴォルテラは聖剣を手にそのまま空へ飛んだ。
いずこへと消え去ったヴォルテラをその後見たものはいなかった。